【遊びと創造】30年かけて創出された小網代の森は、自然環境の「箱庭」だった
NewsPicksで展開中の連載企画『地球がよろこぶ「遊び」のススメ』第1回。開発を利用して守られた小網代の森を歩き、再生を「再創造」として捉え直す。
NewsPicksで展開中の連載企画『地球がよろこぶ「遊び」のススメ』第1回。開発を利用して守られた小網代の森を歩き、再生を「再創造」として捉え直す。
自然を守るために、開発を止める。それはもう古いパラダイムかもしれない。 神奈川県三浦半島の先端近くにある「小網代(こあじろ)の森」。源流から海までの流域地形が丸ごと残されたこの場所は、開発計画を阻止して守られたのではない。“開発を利用して”守られ、「多自然流域生態系」として創出されたのだ。 1980年代から小網代の保全に携わってきた進化生態学者の岸由二氏は言う。 「リジェネラティブ(再生)という言葉を、過去を取り戻すかのように捉える風潮がありますが、そうではない。私たちがやっているのは、未来に向けた『リクリエイション(再創造)』であり、巨大な『ガーデニング』だ」と。 ヤマハ発動機とともに「リジェネラティブ」を考える新連載『地球がよろこぶ「遊び」のススメ』。第1回は、岸氏と小網代の森を歩きながら、人と自然の付き合い方を考えてみた。
都心から電車で約1時間半。神奈川県三浦半島の先端近くに、「小網代の森」はある。
広さ約70ヘクタール、東京ドーム15個分ほどの緑地には、絶滅危惧種を含む2,000種以上の生物が生息し、森や湿地をアカテガニが歩き回る。
大地に降った雨を集めて水系をつくりだす「流域」という地形が、関東地方で唯一、源流から海まで丸ごと保全されている場所だ。
緑豊かなこの森は「奇跡の自然」と賞され、国内外からの視察や近隣の児童の環境学習も受け入れている。
しかし、この自然を「日本の原風景」のように感傷的に捉えると、本質を見誤る。
ここは、綿密な都市計画と開発戦略による「多自然流域生態系※」として、1980年代以降に「デザインされた」場所だからだ。
※河川とその流域全体をひとつの生態系と捉え、治水や開発などの人間活動の影響を受けながらも、多様な生物が生息・生育できる環境を、自然の営みを活かしつつ保全・再生・創出しようとする考え方やそのシステム
「開発賛成」運動が生んだ奇跡の自然
1960年代(昭和40年代)頃までの数百年間、小網代の湿地帯は水田として、周囲の雑木林は薪炭林として利用されていた。
この土地で暮らす人々にとって、ここは食料や燃料を取るための田畑であり裏山だったのだ。
しかし、高度経済成長期に入り、プロパンガスや電気が普及すると薪や炭は不要になり、水田耕作もなくなった谷は、ササやツルの生い茂る乾燥した荒れ地になっていった。
そんな場所を、ゴルフ場やマンションとして再開発する動きが活発化したのが、日本がバブル景気に沸き始めた1985年頃だ。
仲間に誘われて小網代を訪れた岸由二氏は、都市計画や開発をより広域で捉え、行政にとってもデベロッパーにとっても土地の価値を高める“もうひとつのプラン”を提案した。
「私は開発に反対したのではなく、賛成したのです。自然も守れるもっとよい都市計画として、代替プランを付けて。 開発面積の4割を緑地として保全し、残りの6割で農地造成、公共施設、そして高付加価値な開発をしたほうが、防災や海産資源、地価の面でも長期的には利益になると科学的に提案したのです」(岸氏、以降同)
その理論の下支えとなったのが「流域思考」という考え方だ。
岸氏が提唱する流域思考では、土地を平面ではなく、高低差のある地形・生態系として捉える。都道府県や市町村といった行政区分よりも、雨水が集まってくる「流域」を単位とするほうが、生態系の保全や治水、適切な開発が工夫しやすくなる。
開発予定地となった地域は、複数の流域の複合地形だった。中心に位置するのは「浦の川」の流域。葉脈のように張り巡らされた支流や地下水は、全長1.3kmの浦の川に合流し、海へと流れ出る。
「開発の過程で、この浦の川の流域(現在の小網代の森)にゴルフ場やマンションが導入されれば、下流の小網代湾や相模湾の生態系は大攪乱され、漁業にも大きな被害が発生するでしょう。観光資源も失われてしまいます。 そこで私は、大規模開発にあたって浦の川流域は保全地とし、周囲のすでに開発の進んでいる流域群に開発の工夫を集中すべきと、科学的な事実を示しながら各所を説得しました」
その後、バブルの崩壊もあってゴルフ場の計画はなくなり、岸氏が描いた「流域保全」のグランドデザインは、企業・行政による全体開発計画に引き継がれた。
神奈川県、三浦市、公益財団法人かながわトラストみどり財団、そして岸氏が率いるNPO法人小網代野外活動調整会議の4者が協定を結び、連携して保全や管理を行う体制を構築。かつての開発主体であった京急電鉄もこの方針に賛同し、所有地の一部を県に売却もして森の整備に協力してきた。
こうして市民・行政・企業が連携し、30年以上かけてつくってきたのが、今の小網代の森だ。
水はどこからやってくる?
分水界(雨水が分かれていく境界のこと)に囲まれた大地を、水系をつくりだす「流域」という地形・生態系として捉えること。その把握を基礎として、自然を復旧するのではなく、新たに創造すること。岸氏の話は、現地を歩いてみるとよくわかる。
小網代の森には源流域から小網代湾にかけて、一本のボードウォークが整備されている。岸氏の言葉を借りると、この道は「人と自然とのインターフェース(境界面)」だ。ボードウォークは、小網代の流域から雨水を集めて流れる小川を覆う方式で設計されている。散策者は、浦の川の流れに沿って森を下ることになる。
岸氏が立ち止まり、小川を指差した。「この水は、どこから来ていると思いますか」。
綺麗に澄んだ水だ。上流に蓄えられた雨水がろ過されているのだと思ったが、それだけではなかった。
「この小川には、上流にある住宅地からの生活排水も混ざっています。町が利用する生活水も、この森の生態系を維持するのに欠かせない“水源”のひとつなんです」
流れる水は枝分かれし、所々に溜まることで湿地を潤している。そこにオギやヨシ、ヤナギなどの植物が繁茂し、トンボやホタルなどの昆虫、アカテガニをはじめ、多種多様な動物たちの棲み家となる。しかし近年、その頼みの綱である水循環に異変が起こり、湿地を維持することが困難になっているそうだ。
「水量が減っている理由のひとつは、気候変動による猛暑です。気温が上がると蒸発量が増えます。三浦市はここ50年で年平均気温が3度近くも上昇している。年間雨量に換算すると約300ミリ分が蒸発散で失われる計算になります。それだけ猛烈な乾燥が進んでいるのです」
自然は変わる。だから、手を入れる
一般的には、「人為的な手を加えることは、自然に反する」と考える人が多いのではないだろうか。だが、岸氏が語る小網代の自然には、人の営みも含まれている。彼は、「自然や生態系は壊れない。変わり続けるだけだ」と言う。だからこそ、健全な循環を創り出すために手を入れる。
「この湿地は、数十年前まで藪漕ぎをしないと入れないほどのササに覆われていたんです。私たちはそれを刈り込んで植生を変えました。水量が減って下流まで水が届かなくなると、いくつかの支流を止めるためにスコップで穴を掘り、地面を踏み固めて湿地を維持できるように流れを変えました。 変化は人為的なものばかりではありません。2011年の津波では川が逆流し、これまで小網代になかった外来植物の種を上流まで運んできました。湿地が干上がったことでセイタカアワダチソウのような外来種が繁茂し、もう刈りきれない状態になってきています。これも含めて、今の自然です」
ササのような繁殖力の強い雑草や日差しを遮る常緑樹が極端に生い茂ると、地面や水面に日が差さず、下草や藻類が育たない。そうすると、昆虫や小動物へと連なる食物連鎖が断たれてしまう。そこに意図的に手を入れたからこそ、小網代の生物多様性は高まり、新しい循環が生まれたのだ。
これが、岸氏にとってのリジェネラティブであり、リクリエイションだ。手つかずの自然を残すのではなく、「流域」という地形・生態系の単位で新しい循環をデザインする。箱庭のようでもあり、人と自然の関係を問い直す都市計画の実証の場といえるのかもしれない。
共生社会は、「遊び」から生まれる
研究のためでも、対価を得るための労働でもない。私財を投じ、多大な時間を費やす。岸氏の動機には幼少期の“遊び”の体験がある。
「私は鶴見川沿いで育ちました。幼い頃から川原や中州は釣りをしたり虫を捕ったりする遊び場だった。一方で、川は恐ろしいものでもありました。大雨が降ると頻繁に洪水が起こり、家が水浸しになっていました。 その状況で『洪水が起こりませんように』と祈っても駄目でしょう。どういうメカニズムで洪水が起こるのかを科学的に解き明かして、行政・市民の連携を育てないといけない。鶴見川の流域では、それをずっと実践し続けているんです」
最終的に目指すのは、人と自然が分断されず共生する社会をつくること。「実現するには300年はかかるかな」と、岸氏は笑う。人の価値観を変容させるには、世代を越えて自然に触れる体験を受け継いでいく必要があるからだ。
「私は10万人に1人のリーダーがいれば、社会は変わると考えています。ただ、そのためにはまず、“流域体験”を増やさないといけない。カギになるのは、子供たちです。 人は13歳までの経験から生きる術を学び、世界観を形成します。幼少期に森や川で生き物に触れ、夢中になって遊ぶ体験をすると、知識としてではなく、足元から広がっていくような身体的な自然観を持つ。それが、人の知的好奇心や活動の源泉ではないでしょうか」
子供は「遊び」によって、親や祖父母を自然のなかに連れてくる。彼らが親になれば、自分の子供たちにも自然に触れて遊ぶ体験をさせたくなるだろう。では、私たち大人にできることは?
「私にとって、小網代での活動は、神聖な『遊び』でもあるのです。リジェネラティブとは元に戻すことではない。人間が自然というシステムに介入し、泥にまみれながら、より豊かな環境を“創造”していくことです。 私たちは、昔より多くのことを知っている。新しい技術を使って、最高に面白いガーデニングができる時代に生きている。そう思って遊べばいいんですよ。大人も、子供も」
構成:海達亮弥/撮影:後藤 渉/デザイン:久須美はるな/編集:宇野浩志
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2026-02-09 NewsPicks Brand Design
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