分断する世界を「川」がつなぐ。源流大国・日本に学ぶ心地よい生の実感
分断が進む現代社会で、他者や世界との“つながり”を取り戻すには。長良川カンパニー代表・岡野春樹さんが語る「流域」という視点。
分断が進む現代社会で、他者や世界との“つながり”を取り戻すには。長良川カンパニー代表・岡野春樹さんが語る「流域」という視点。
森、里、海。それらが連なり、一続きになったエリアを「流域」と呼びます。この広大なフィールドで人々の移動や生活を支えてきたヤマハ発動機は、まさにそのつながりを担う存在に他なりません。本連載では、「流域」という視点を通して、よく生きるとは何か、その原点を探っていきます。
「よく生きる」って、どういうことなんだろう。
朝起きてスマホを手に取り、絶え間ない通知に応答し、会議をこなして眠りにつく——。その繰り返しの中で、私たちはふと、自分が今どこに立っているのかを見失いそうになる瞬間があります。
その一方で、海や森、川に関わりながら暮らす人たちが、どこか健やかで、幸せそうにも見える。その違いは、いったいどこから生まれているのでしょうか。
「大切なのは、自分がこの世界の大きな流れの一部であるという実感を取り戻すこと。その手がかりとして、『流域』という考え方が有効だと思うんです」
そう語るのは、岐阜県郡上市で人と自然の共再生に取り組む「長良川カンパニー」代表・岡野春樹さん。水の流れに人や組織のあり方を重ねて捉え直すという方法論を「流域デザイン」と名付け、その実践を現代社会のさまざまな領域へ広げています。
「近年、世の中の関心は、SDGs的な“量”の問いから、ウェルビーイングに象徴される“質”への問いへと移りつつあると感じています。でもその答えは、頭で考えるだけでは見えてこない。だから僕は、川に飛び込んでみることにした。そうしたら、不思議とそれが何なのか分かってきたんです」
思考より先に、まずは身体の実感で捉える。そうした姿勢の先に、「流域」という視点を見いだした岡野さん。本記事では、そんな彼の実践を手がかりに、変化の激しい現代をしなやかに生きるためのヒントを探ります。
「源流大国」日本に暮らすということ
会社を立ち上げたのは2020年のことです。当初は「郡上カンパニー」という名称で、郡上市の移住施策などを担っていました。その仕事を通して郡上中の面白い人たちと出会ううちに「この場所には、強烈な引力がある」と感じるようになって。その正体こそが、長良川だったんです。
郡上の山間部を源流とした全長約166kmの一級河川です。実は、郡上は東京23区を大きく上回る面積を持ち、山々に囲まれた谷あいにいくつもの集落が点在しています。それらをつなぐように貫いているのが、長良川とその支流たち。
驚くべきは、約80万もの人々がその恩恵に預かり、暮らしているにも関わらず、今もなお清流が保たれ、多様な生き物が息づいているということです。
ここに暮らす人々は、みんなそれぞれに「この川が好き」「この水が流れている場所が好き」という思いを自然に抱いていて、川がただの生活環境ではなく、価値観や生き方までをゆるやかに束ねる共通の土台になっているんです。
そう思われがちですが、実は日本そのものが、古くから川と深く関わってきた地域なんです。これは「川だけ地図」といって、日本中の川の流れだけを描いたものなんですが、海岸線がなくても、日本列島の形がくっきり浮かび上がっていますよね。
興味深いのは、川の源流がたった一点から始まるのではなく、あちこちから絶えず湧き出しているということ。地図を拡大していくと、一本の線に見える川が、実は無数の湧水の集まりでできてることが分かります。
そこには日本特有の地理学的な理由があります。世界に十数枚しかない巨大なプレートのうち、実に4枚がこの列島の足元でひしめき合っていること。加えて、限られた国土に世界の活火山のおよそ7%が集中していること。こうした力によって地層が複雑に隆起し、無数の水の通り道が生まれました。そこに世界平均の2倍近い雨や雪が降り注ぐんです。
この「水を通しやすい複雑な地層」と「圧倒的な降水量」が組み合わさることで、世界的にも類を見ない特殊な環境が生まれました。僕らはまさに、「源流大国」に暮らしているんです。
仰る通りです。その川は必ず源流から始まり、やがて下流の海へとたどり着く。山で森を育む人がいれば、その水で田を潤す人がいて、下流でその恵みを受け取り暮らす人々がいます。
その一本のつながり──すなわち「流域」を意識して生きることが、これからの時代、ますます大切になってくると僕は思っているんです。
「流れ」の中で生きていることを知る
現代の私たちは、あらゆる面で個別化、あるいは分断化された社会を生きています。自分が何に支えられ、だれとつながっているのかが極めて見えにくい。けれど「流域」という視点で世界を眺めてみると、本当はずっとそこにあったはずのつながりが、ふっと浮かび上がってくるように感じたんです。
以前、長良川の下流にあたる伊勢湾の牡蠣漁師さんを訪ねたとき、「上流の人たちが森を守ってくれているから、自分たちは漁ができる。ありがとう」と言われたことがありました。それは自分たちの営みが、顔の見えない誰かに支えられているということ、つまりこの流域全体の流れを意識していなければ、決して出てこない言葉だと思います。
その感覚に触れたとき、「ああ、自分が本当に求めていたのはこれだったんだ」と腑に落ちたんです。
よくそう聞かれるんですが、特にそんなことはなくて。元々は東京の広告代理店で働く普通のサラリーマンでした。それがたまたま仕事で縁のできた郡上に移住して、川を軸に遊ぶ面白すぎる人たちと出会ったのがすべての始まりです。彼らと一緒に遊ぶ中で、自分自身も大きな流れの一部であることに気付いていったというか。
たとえば郡上には、夜の冷たい川に入って鮎などを突く「夜イカリ」という漁文化があります。それは暮らしと遊びが地続きになったような営みで、天候や水位、月の出方を読み、「今夜は行けそうだな」という感覚のもとに、仲間と川に集まる。
僕らは無理に獲ろうとはしません。焦れば焦るほど殺気が魚に伝わり、かえって逃げられてしまう。大切なのは川の流れと溶けあうこと。時間や効率に縛られず自分のリズムが川と重なりあったとき、魚が獲れる。この漁をしていると、自分もまた一匹の生き物なのだという感覚に戻ることができるんです。
実は僕、前職時代に自律神経を壊して、休職した時期があったんです。当時は、常に前進し続けなきゃいけない、立ち止まるのはよくないことだという、一種の強迫観念にとらわれていたのだと思います。ですが、郡上の人たちと川で遊んでいるうちに、必ずしもそれだけが正解ではないのだと、素直に感じられるようになって。
ええ、まさにその延長線上にある話だと思います。実は近年、SDGsに代わる考え方として、SWGs(Sustainable Wellbeing Goals)という言葉が少しずつ広がってきています。
簡単に言えば、成長や効率だけを追いかけるのではなく、人や社会が無理なく、気持ちよく生き続けられる状態を大切にしよう、という考え方のこと。僕はこの感覚が、「流域的に生きる」という視点と、とても近いところにあると感じています。
流域を意識して暮らしてみると、自分の生活が、決して一人切り離されて存在しているのではなく、豊かな関係性の中で「生かされている」という事実に気づかされます。そうした手触りを広げることが、これからの社会をより良くしていく鍵になるのではないか。そう信じて活動しているんです。
源流から始まる、創造性
はい。僕らは「創造性回復研修」と名付けています。水の流れをヒントに自然の構造を読み解き、自分や組織を“流れ”で捉え直す。それによって本来の創造性を取り戻し、その感性を仕事に生かしてもらおうといった狙いがあります。
2泊3日の行程は、フィールド体験、座学、対話、内省という4つの要素で構成されています。たとえば座学では、組織心理学者であるウィリアム・ブリッジスの『トランジション理論』の話を引用し、人や組織に訪れる「終わり」と「混沌」、そして新しい「始まり」のサイクルについて深く考えます。
ただ、こうした理論を会議室で聞くのと、源流域で川の流れを体験した後で聞くのとでは、全然違う。そこで、僕らはまず参加者に源流を体験してもらっているんです。何よりも先に、冷たい水に入ってもらう。すべてはそこから始まると考えています。
江戸時代、町人たちが富士山を参詣する「富士講」という信仰文化があったのをご存じでしょうか。その巡礼者を迎え入れていたのが、源流域に住む「御師(おし)」と呼ばれる案内人です。彼らのところに到着した巡礼者が、山に登る前にまず何をしていたか。実は、冷たい水を浴びていたんです。
いわゆる禊(みそぎ)ですね。「御師」たちはいきなり高尚な説法をしたり、山の意義を説いたりすることはなかったとされています。まずは冷たい水を浴びさせ、都市生活者の心身を「今、この瞬間」に引き戻そうとした。これは後から知ったことなんですけど、僕らが今やっていることとまったく一緒だなと(笑)。
都市で暮らしていると、頭はずっと回っているのに、身体の感覚はどんどん鈍っていきますよね。疲れているのに休めない、ぼーっとしているのに緊張は抜けない。そんな凝り固まった状態のまま聖地に連れて行っても、ただ情報を受け取るだけで終わってしまう。
だからこそ御師たちは、まず水に入れることで旅人の心身をリセットさせていた。これは現代では神経の『二軸理論』として説明がつくのですが、実に見事な「カスタマージャーニー」だと思っていて。
当時の人々がどこまで意図していたかは分かりませんが、それが実際に合理的なプロセスだったんでしょうね。実際、僕らの研修で源流を体験すると、みんな急に子どもみたいな顔になるんです。
子どもって上下関係とか気にせずに遊びますけど、大人同士でもそうなる。役職の鎧が外れて、誰もが「同じ流れの中にいる人」になる。たぶん、人が健やかに、よく生きるための感覚って、そういうフラットな状態の中にあるんじゃないかなって思うんです。
心が求める「流れ」に気付く
根本には、やはり現代社会に広がる「分断」があると思います。効率や成果を優先するなかで、人も組織も細分化され、自分が何に支えられ、誰とつながっているのかが見えにくくなっている。そのことに企業の人たちも気付き始めていて、だからこそ研修というかたちで問い直そうとしているのではないでしょうか。
企業活動は「流域」のあり方とよく似ています。自社の製品やサービスが、どこから生まれ、どんなプロセスを経て、誰に届くのか。それが人々の暮らしにどう作用し、巡り巡ってどこへ還るのか。そうした全体の循環を捉えることではじめて、真の意味での持続可能なビジネスの姿が見えてくるのだと思うんです。
何より大切なのは、一人ひとりが「よく生きる」という実感を持つことですね。企業の根幹を成すのは、結局のところ「人」ですから。「数値」や「効率」からいったん離れて、自分がどんな「流れ」の中に身を置きたいのか考えてみる。そうすることで、日々の暮らしに確かな「手触り」が戻ってくる。その小さな実感の積み重ねが、やがて組織や文化、地域を支える力へと育っていくはずです。
そう思います。僕自身、東京で働いていた頃は成果に追われ、知らぬ間に感覚を摩耗させていました。でも、郡上の川の流れや濃密な人間関係に身を置いたとき、ようやく「ここで息をしていいんだ」と思えた。そのとき得た実感が、僕にとっての原点でした。
「よく生きる」とは決して、特別な成功を手に入れることではなく、自分が心地よいと感じる流れに気づくことだと思うんです。そうした個人の変容が波紋のように広がっていけば、組織も社会も、もっと健やかな形に変わっていける。僕はそう信じています。
執筆:根岸達朗 撮影:三浦 優樹 取材/編集:日向コイケ(Huuuu)
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