イノシシが消えた山から、もう一度。挫折の先に見つけた「30年後の森」を作る猟師
狩猟と林業、二足のわらじで里山保全に取り組む猪鹿庁・興膳健太さん。山から獲物が消えるという窮地の先に見出した「30年後の森」へ続く道とは。
狩猟と林業、二足のわらじで里山保全に取り組む猪鹿庁・興膳健太さん。山から獲物が消えるという窮地の先に見出した「30年後の森」へ続く道とは。
私たちの暮らしのそばには、さまざまな“道”があります。舗装された道路だけでなく、田畑の間を抜けるあぜ道や、動物が歩いた獣道、水の流れが刻んだ水みち——。そこには、人や地域、自然との関わりの中で生まれた物語が宿っています。ヤマハ発動機が生み出すモビリティも、そうした多様な“道”と共に育まれ、人々の移動や遊びを支えてきました。『Series 道』では、自らの手で“道”を切り拓いてきた実践者を訪ね、その視点に触れることで、自然との付き合い方や、次世代に残したい道のあり方を探っていきます。
「獣道って、どんな道だと思いますか?」
岐阜県郡上市の山中で、狩猟団体・猪鹿庁の興膳健太さん(通称ゼンさん)は、ふいに足を止めて私たちに問いかけました。細く険しく、茨に覆われた荒れた道——そんなイメージを思い浮かべる私たちに、ゼンさんは首を横に振ります。
「実は逆なんですよ。野生動物って、本能的に無駄な体力を使わずに歩ける道を選ぶ。だからそういう道は人間にとっても歩きやすいんです。でも、僕らはその道を歩きません。獣に悟られてしまうので」
狩猟の目的は、獣を「獲る」こと。そのためには、あえて道を外れ、「道なき道」を進む必要がある。合理的な判断のようにも聞こえますが、話を聞いていると、そこには単なる効率だけでは説明できない別の価値観が立ち上がっていきます。
「歩きやすい道って、正直あんまりワクワクしないんですよね。それよりも、ここ行けるかなって迷うくらいのほうが獲れた時の喜びも大きい。道って、自分で決めるから面白いんです」
勾配のある山道を歩きながら、「普段はこんな風に喋ることはないんですけどね」と、時折山肌に鋭い視線を向けるゼンさん。その背中には、獲物と向き合う張りつめた緊張と、自らの足で道を歩む自由さが、静かに同居しているように感じられました。
私たちが普段、当たり前のように受け入れている「整備された道」。その外側に広がる「道なき道」に、彼は何を見ているのか。山中での足取りを追いながら、その哲学を紐解いていきます。
後ろめたさを手放さない
忍び猟の時は大体こんな感じですね。こういうところで雪の上に残った足跡とか、まだ湯気の残る糞とか、かじられたばかりの葉っぱを見つけると、「獲物が近いぞ!」って感じでテンションが上がるんです。
ただ、そういう時こそ慎重にならないといけない。獣って人の気配に敏感で、一度でも察知されると動きがガラッと変わるんです。シカなんかは「ピィー」っと警戒音を出して、周辺の仲間に危険を知らせるので、そうなると、狩りの難易度が一気に上がってしまう。
相手は文字通り「命がけ」ですからね。だからこそ僕も、一人の猟師として彼らとは真摯に向き合いたいんです。たとえば、シカの発情期に、雄が縄張り争いで出す鳴き声を真似して呼び寄せる『コール猟』という手法がありますが、僕はやりません。
シカの立場になって考えてみてください。発情期は子孫を残せるかどうかを賭けた、いわば人生最大の勝負どころ。その覚悟で「誰や!うちの縄張りに入ってきたやつは」って出て行ったら、待っていたのは人間で、 「え?」って思った瞬間、パーンと撃たれる。それってあまりにも惨めじゃないですか。
僕は新人狩猟者向けの講師をしているんですが、「どうやったら獣が獲れるようになりますか?」っていう質問にも「常に獲りたい獣の気持ちを考えてください」と答えてます。結局、獣の気持ちが分からなければ、獲ることなんてできませんから。
でも、そう言うと矛盾してるようにも聞こえますよね。気持ちがわかるなら、そもそも獲るなよって。だから後ろめたさはずっとありますよ。でもそれを感じなくなったら、この仕事をやってはいけないとすら思ってるんです。
山の声を「翻訳する」猟師集団
立ち上げ当初から掲げているのは「里山保全」ですね。かつての里山は、集落のすぐ裏手にあって、薪を拾ったり、山菜を採ったり、時には獣を狩ったりといった具合に、人々の暮らしと密接に溶け合った場所でした。
ところが今は、そのつながりが少しずつ希薄になり、その結果、昨今の熊問題のように、野生動物と人の暮らしが衝突するようになってしまった。だからこそ僕らは「狩猟」を通じて、もう一度、人が山に関わり続ける日常を取り戻そうと考えているんです。
大きく分けて、三つの柱があります。一つ目は「山に入る人を増やすこと」。技術講習や体験プログラムを通じて、若い世代や都市部の人たちに狩猟に興味を持ってもらうための普及活動をしています。二つ目は「獲った命を社会につなぐこと」。自分たちで獣を仕留め、商品にして、販売する。いわば狩猟の6次産業化*ですね。そして三つ目が、特に重要だと考えている「山そのものを育てること」です。これは比較的最近始めた取り組みなんですが、伐採後の山に木を植える、いわゆる植林を行っています。
*農林漁業者(1次産業)が加工(2次産業)や販売(3次産業)までを一貫して行い、新たな付加価値を生み出すこと。
現在の林業は、伐る作業こそ機械化が進んでいますが、植える人が圧倒的に足りていない。そこに僕ら猟師が入ることで、獣たちが暮らせる豊かな山をもう一度作ろうと考えているんです。狩猟と林業、その両方から里山に向き合うことで、より根本的な里山保全ができるのではないかなと。
メンバーの多くが、もともと自然体験インストラクターだったことが大きいかもしれませんね。自然と人の間に立つという役割を、いまは猟師の目線でやるようになったというか。
「猟師」と聞くと、「野蛮」とか「危ない人」みたいなイメージを持つ人もまだ一定数いますが、本来は、山の声を社会に届けるような存在でもあったと思うんです。そうしたあり方をもう一度きちんと伝えたいと思って、活動しています。
それでも山から離れない
基盤になったのは、2012年に立ち上げた「狩猟サミット」ですね。「猟師は里山保全者だ」というキャッチコピーを掲げ、今の時代に狩猟がなぜ必要なのか、人と山の関係をどう結び直すべきかを世の中に向けて問い直したいと思い、始めました。
初回から200人近くが集まる盛況ぶりで、その後は静岡、京都、北海道と、全国を巡る形で展開していきました。このイベントを通じて僕らの認知が広がると同時に、山に関わる仲間も着実に増えていった。ただ、その先に思いもよらない挫折が待っていたんです。
2017年に「日本猪祭り」という全国で駆除されたイノシシの肉を集めてその質を競う“効きシシ”イベントを始めました。食べ比べを通じて、イノシシが単なる「害獣」ではなく「資源」としての可能性があることを伝えたかったんです。
イベントは第一回から人気を博し、いよいよこれからという開催3回目の年に「豚コレラ(現・豚熱)」が起きてしまいました。
はい。野生のイノシシを介して、家畜の豚にも感染が広がるという、畜産業にとって致命的な流行病です。当時は国内で初めての感染が確認され、あろうことか発生源の一つが、僕らの拠点である岐阜県だった。
実はその年がちょうど亥年(いどし)だったこともあり、「大間のマグロ」になぞらえたイノシシの「初競り」を計画していたんです。郡上から一頭100万円のイノシシが出たら話題になるぞ、なんて意気込んでいたんですが、それも全部白紙に。
食べても人には感染しないとされてましたが、世間の目は厳しかったですし、何より畜産家の方々の不安を考えれば、そんな状況でイベントを強行するわけにはいきませんでした。
あまつさえ、時間が経つに連れて感染がどんどん拡大して、ついには僕らがフィールドとしいてる山からもイノシシがいなくなってしまった。正直、そのときは「全部終わった」と思いました。産業や文化を作ろうとしてきたのに、肝心のイノシシが山から消えたわけですから。もう、本当に落ち込みましたね。
それが不思議なもので、「もう山には関わらない」という選択肢は、微塵も浮かびませんでした。イノシシが獲れないのであれば、彼らが戻ってくるような山を育てよう、そう考えたんです。すぐに和歌山で独自の林業をしている会社に住み込みで研修させてもらって、そこで得た知見を元に、植林事業を始めることにしました。
守りながら狩る「新しい百姓」へ
そもそもイノシシって、コナラとかクヌギといった餌になるドングリが安定して実る山じゃないと定着しないんですね。だから自分たちで苗を買い、植えて、守って、育てる。それをひたすら繰り返してきました。
ただ、やってみるとこれが想像以上に難しかった。一番大きな壁は、僕ら個人の努力ではどうにもならない「仕組みの問題」だったんです。
僕らが目指しているのは、「イノシシがまた安心して暮らせる山」を取り戻すことです。そのためには、何十年も先を見据えて、どんな木を植えて、どう育てていくかを考えなければならない。山づくりって、本来、それくらいのスケール感で向き合う世界だと思うんですよね。
ところが現在の林業の仕組みは、どうしても“今できること”に重心が置かれやすい。たとえば、補助金制度は「植えること」を後押しする設計になっているし、企業の森づくりも「活動を始めること」自体に価値が置かれることが多い。もちろんきっかけとしては大切ですが、本当に問われるべきは、植えた後の30年、50年を誰が、どんな想いで見守り続けるか。そこには責任を持って寄り添う「山主」が不可欠だと思います。
しかし現実は、持ち主の高齢化という切実な問題に加え、それを引き継ぐ子や孫の世代が、山への関心をすっかり失ってしまっている。僕らがどれだけ想いを込めて木を植えても、その後の未来を託せる相手が、そこにはいないんです。
そこにさらに追い打ちをかけてきたのが、シカの増加です。僕らが植林のために皆伐した土地って、日当たりが良くなって若芽がたくさん生えるんですけど、鹿にとっては天国みたいな餌場なんです。せっかく植えた苗木も、翌日にはすべて食べ尽くされているなんてことも珍しくありません。正直、やってみて分かりました。狩猟よりも、山を育てる方がよっぽど難しいかもしれないって。
でも最近は、その中に新しい可能性も見えてきました。それは林業や農耕、狩猟を分けて考えるのではなく、一括りの営みとして捉え直す、いわば“新しい百姓”的な生き方です。
たとえば植樹した場所がシカに狙われるのであれば、それを避けるんじゃなくて、あらかじめ「シカが寄ってくる場所」として織り込み、周囲の動線を読みながら罠を仕掛ける。つまり木を守ることと、獣を狩ることを、切り離さずにやっていくんです。
これまではプラスチック製のポットで苗木を守るのが主流でしたが、山にゴミが残る問題もあるし、国の補助対象から外れる流れも出てきています。そう考えると、今後は僕らのようなやり方が、山を維持していくための現実的な選択肢として広がっていくんじゃないかと思っています。
実際、最近は「農家ハンター」っていう人たちが全国に増えていて、彼らは自分の畑を守るために狩猟免許を取り、自ら罠を仕掛ける。中山間地域では獣害がひどすぎて、畑そのものが成り立たなくなっている場所も少なくありません。そうした状況を見ていると、これからは「畑で肉を獲る」というやり方がよりスタンダードになっていくような気がしています。
関わり続けることが、道になる
うーん、そう言われると、あまりないかもしれないです。普段からどっちに行こうかなと悩むこともないし、その選択が正しいかを事前にあれこれ考えたりもしない。ただ、一度自分が選んだ以上は、納得いくまで歩き続けたい、という気持ちはありますね。
たしかに諦めは悪い方かもしれません(笑)。ただ、やってみて改めて思うのは、自然を前に僕らができることなんて、たかが知れてるということです。
自然界は、増えたり減ったりを繰り返しながら、勝手にバランスを取っていく。人間はつい安定を求めるけど、完璧な共生ラインなんてそもそも存在しないんですよね。
結局、「関わり続けること」しかないんだと思います。今の山で起きている問題の多くは、人が関わらなくなったことに原因がある。僕らは山と人との間に、もう一度つながりを戻そうとしているだけなんです。大切なのは、明確な答えが出なくても、諦めずに関わり続けることですね。
ただ、冬の雪山のように、生身の人間だけではどうしても踏み込めない領域もあります。そういうときに、僕らの身体を拡張して、接点をつくってくれるのが、「道具」や「モビリティ」の役割なんじゃないかなって。
個人的には、ヤマハ発動機さんには冬山用のエコなモビリティを作ってほしい、と密かに願っているんです。たとえば、野生動物を探し、写真に収める「フォトハンティング」という遊び。シカは5点、カモシカは10点、なかなか出会えない動物はボーナス点、という具合に仲間同士でスコアを競い合う。
あくまで一つのアイディアですが、そういった“遊び”の入り口があれば、山がもっと身近な存在に変わるんじゃないかなと。
そういうワクワクする遊びを通じて、人がまた山と関わるようになる。そんな未来があったら最高ですよね。僕らは猟師として山に入り、木を植え、獣と向き合い続ける。そして、その営みを次の世代に手渡していく。一方で、ヤマハ発動機さんは、モビリティを通じて人と自然、人と社会の関係を考え続けていく。
正解なんてどこにもないけれど、その積み重ねをふと振り返ったときに、それが結果として道になっていればいい。そんな歩みを、これからもそれぞれの場所で続けていけたらいいですね。
執筆:根岸達朗 撮影:三浦 優樹 編集:吉山日向
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