小さなものを大きくすれば、見えてくるものがある。言うまでもないことだ。しかし、大きなものを小さくする過程で初めて気づくこともある。
1/6のミニチュアタンクづくりに没頭した日々――。それはまさに「SR400」の魅力をあらためて実感し、この不朽の名車の再発見・再評価を愉しむ時間でもあった。
実車と変わらぬ
素材と構成、
工法を求めて。
惜しまれつつ、43年の歴史に終止符を打った「SR400」――。「その美しいタンクを手元に置いておきたい」というファンの要望で、ミニチュアタンクの製造企画が持ち上がった。
しかし、原点たるヤマハ発動機(以下・ヤマハ)が、その原点をカバーするほど難しいことはない。「ヤマハが造るからには外観の完全な再現を目指したい」という難題が、製造技術部門に持ち込まれた。
「これは一筋縄ではいかないぞ。そう思った」
快く引き受けたまでは良かったが、実車のタンクを忠実に1/6のサイズで再現するという要求がいかに困難であるか、そこに気付くのに時間はかからなかった。
技術者を悩ませたのは「SR」のタンクの天面にある微妙な表情だ。視認することさえ難しいわずかなふくらみが、給油口の手前に存在する。こうした微妙な表情変化さえも、「ヤマハがやるからには再現してほしい」というのがリクエストだった。「一筋縄ではいかないぞ」。そう思うのも当たり前だ。
あらためて言うまでもなく、ミニチュアタンクに使う素材は実車と同じSPCE鋼板だ。深絞りに適した冷間圧延鋼板で、表面には亜鉛めっき処理が施されている。「SR」のタンクは一見スリムで上品に見えるが、じつは見た目以上に絞りが深い。プレス時のシワの出方を実車と同じシミュレーターで検証し、アレンジを加えてやや薄めの板をチョイスした。
それだけではない。タンク部材の構成や加工についても、実車の工程の再現にこだわった。アウターパネル2枚(左右)と、底面にあたるインナーパネル1枚の構成である。コアなファンにはよく知られる左右非対称の形状も、もちろん忠実に再現している。
一方で、いかにシミュレーションを重ねようとも、油圧プレス機がこの3枚の板に命を与える時、その強度や角度によってわずかなシワをつくることがある。ミニチュアモデルの試作過程では、タンクの天面・前方に微細な縦ジワが発生した。
ここからが匠の技だ。誰も気づかないように形状をわずかに変更すれば、そのシワを逃がすことはできる。しかし、匠はそれを許さない。“捨て絞り”と呼ばれる鋼板のスクラップ部にシワを吸収させるため、プレス後にカットされてしまうこの部分の再設計を繰り返し、見事に対応して見せた。
手のひらに乗る、
ティアドロップの
静かなる息吹。
こうしてかたちを得た、左右のアウター、そしてインナーを加えた3枚のパネル。次なる課題はそれらの接合だった。
実車の接合工程では、抵抗溶接やアーク溶接といった工法が用いられた。もちろんそれにもトライした。しかし板厚のアレンジによって、いくつかのテストピースに変形の跡が見られることがわかった。検討の結果、外観品質を最優先するため実車と同様の接合を断念し、ロウ付けやハンダなどあらゆる方法でトライを繰り返した。そうした中から強度や美観などすべての基準を満たす方法として、専用ガンを用いた構造用金属接着剤による接合に決定した。
手間と根気を要する接合工程。それを終えると、やっと、愛おしさを感じるあの見慣れたティアドロップが姿を現す。接合部に丁寧にサンドペーパーをあてて研磨すれば、あとは塗装工程を残すだけのはずである。
しかし、ここにヤマハの手によるもうひと手間が隠されていた。要求は「パネルの繋ぎ目となるフランジまでの完全な再現」である。プレス加工の工程であえて15度寝かせていたフランジを、このために用意した治具を使って手作業で起こし上げる。ぜひ実際に実車と比較してみて欲しい。フランジの微妙な角度にまでこだわり抜いた、ヤマハの手を実感していただけるはずだ。
サンバーストを
繊細な
水転写で再現。
加工を終えたタンクは、実車の生産でも活躍した塗装職場に届けられ、まず化成被膜処理が施される。その上で、「究極の黒」とも言われる誇り高きヤマハブラックが吹き付けられる。
サンバースト塗装やピンストライプの再現には、「SR400 Final Edition Limited」で実績のある水転写グラフィックが用いられた。ヤマハ発動機の塗装職場にも、製品レベルでこの技術を習得している技能者はわずか3人しかいないという。
そんな稀有な技能を持つベテランが、すっかり手のひらになじんだ硬いヘラと柔らかいヘラを使い分けながら、フィルムとタンクの間の水を抜き、シワを逃がす。かつて「YZF-R1」のタンク天面に、バレンティーノ・ロッシ選手のサインを転写した限定モデルが発売されたことがある。その仕事も、この技能者の手によるものだった。
「自分にしか検知できないゆがみがある。他の人には見えないシワもある」。ごく薄いフィルムの上で滑らかにヘラを走らせ、一定の圧を加えながらタンクの曲面を追従する。その一連の所作に躊躇やよどみは見られない。「難しいからおもしろい」――。そう言ったあとに光の角度を変えて目視でその完成度を確認すると、「そしてなにより、美しい」と水転写の魅力を語った。
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数量限定で生産された「SR400 1/6 ミニチュアタンク」。造作に関わった技術者は、小さくつくる過程で「あらためて知ったことがたくさんあった」と振り返る。そして「工作機械も限られ、加工技術もまだ未成熟であった1978年に、これだけ美しいタンクをつくりあげた先人の知恵と苦労にあらためて感服の念を抱いた」と締めくくった。