Moto Life 「ときには雨に恵まれて」
雨が落ちてきたら空想するといい。灰色のキャンバスに心を描いて走るのは意外と楽しいことさ。どしゃ降りの雨に恵まれながらオートバイ乗りは考える
オートバイを路肩に寄せると僕はちいさなため息をついた。
朝から降り続く雨は昼前にさらに勢いをまして峠道に降り注いだ。
たっぷりと水の膜を張ったアスファルトは磨かれた黒曜石のように光り、MT-03の特徴的なシルエットを映し出す。輪郭が滲んでゆらめくその姿はどこか絵画的で、とても美しく見えた。
オートバイから降りることも忘れて地面を見つめる僕の横を一台のファミリーカーがパスした。叩きつける雨をものともせず、あっという間に遠ざってゆく車のテールランプ。ようやくわずかな孤独感が漂ってきた―――
オートバイに乗り始めてから20年余り。
ようやく天敵である雨と上手に付き合えるようになった。
若いころは旅先で出会うあらゆるモノやコトが鮮烈で感動的だった反面、ひとたび雨が降ると世界が裏返ったかのように気分が憂鬱になった。どんなに風光明媚な場所を走っていても、ポツリときた瞬間に消化試合になると言っても過言ではなかった。いまこの瞬間の状況こそがツーリングの成否を決めるすべてだった。
だが、年を重ねるとバイクツーリングの醍醐味は「いま」だけではないことに気が付く。絶えず変化する目の前の事象に対して自分が何を思って何を考えるか、それを知ることが大人のオートバイ乗りの愉悦なのだと。
雨の日のツーリングは感じることよりも思考することに集中する。
色彩の薄い雨の風景はモノクロフィルムで撮られた写真や映画がそうであるように、ライダーの心情や感情を投影できる「余白」が多く存在するからだ。ライダーの豊かなイマジネーションによって雨の風景は現実と空想がない交ぜになった劇場空間へと変わる。
心の奥底に眠っていた思い出によって鉛色の空が愛おしく見えることもあれば、濡れたフューエルタンクやタイヤやアスファルト、草木の姿に思いがけず退廃的な美を見出すこともあるだろう。雨天という困難に向き合う心の動きを追っていくことで新たな自分を知るきっかけになるかも知れない。こうしたいわばインナートリップにおいては晴れも雨も平等の価値がある。雨の日には雨の日にしかない機微があるのだ。
雨を楽しむ、とはいささか殊勝に過ぎる言い方かもしれないが、齢四十にしてようやくその境地に指先を引っかけることができた。少なくとも大雨に振られてもちいさなため息ひとつで我慢できる程度には……