Yamaha Journey Vol.22
XT225に乗る英国人女性ライダー、ヘレン・ロイドのアフリカのツーリング体験記です。
2度目のアフリカ:荒野のツーリング
ヘレン ロイド
XT225
#02 本当のアフリカ:戦争 → 友情
アンゴラ - ザンビア - ナミビア - ボツワナ - ジンバブエ - マラウイ - タンザニア - ルワンダ - ウガンダ
2009年、イギリスでの仕事を辞めてアフリカを自転車で走り抜けたヘレン・ロイド。6年後の2015年、彼女はふたたびアフリカの大地を訪れることに。ただし、今回、運転するのはヤマハ XT225。ケープタウンからカイロまで駆け抜けた15か月間。待ち受けるのは、美しい大地に共存する思いやりのある人々や独自の動物たち。総距離40,000kmにおよぶツーリング旅行記の第2章では、アンゴラからウガンダへと向かいます。大自然の中でのキャンプでは、野生のサルとトラブル発生!
地域の中心地ルバンゴ付近の高地をうねるように伸びるレバパス山道(標高1,845m)
ウイラ州セラデレバ(アンゴラ)
高さ105m、幅400mのカランデラ滝。アフリカ最大規模の容水量を誇る。
マランジェ州カランデラ(アンゴラ)
サファリを散歩中に見かけたキリンとシマウマの群れ。実はこのとき、テントがミドリザルに荒らされていました!
オカバンゴ・デルタ(ボツワナ)
日暮れのモーターサイクル・サファリ。バイクでサバンナを走りながら野生動物を探す。
マーチソンフォールズ国立公園(ウガンダ)
Amigos da Picada:アンゴラでの友情
以前の自転車旅でアンゴラを訪れたときは、コンゴ民主共和国に移動するための5日間の通過ビザしか手に入れられなかった。あれから1年後、南から旅をしている今回は、運が良ければナミビアのウィントフックで30日間の観光ビザを取得できるという噂を耳にしていた。結果はというと、穏やかな交渉と笑顔、そして、運のおかげで、無事にビザを取得することができた。
「観光」という言葉をアンゴラで聞くことはほとんどない。27年続いた戦争が2002年に終結してから、この国は今も復興の最中にあるからだ。国境を越えて数キロしか進んでいないにもかかわらず、道端には古く錆びた戦車が放置され、しばらく進むと、「危険 ― 地雷」の看板が立てられていた。道路や安全の確保された道を外れての走行や、思いつきのキャンプは非常に危険だ。
そこで、つたないポルトガル語とうろ覚えのスペイン語を頼りに、キャンプのできる村を探すことに。村長の小屋の外側にテントを立てることもあれば、町で警察署に案内されることもあったが、いつも温かく歓迎され、親切に面倒をみてもらうことができた。食べ物や飲み物だけでなく、洗濯用としてバケツに入った水と石けんまでも提供してくれたのだ。鍵の付いていない簡易式トイレ(地面に穴を掘っただけ)を使わせてくれることも。
1週間をかけてナミベ州と南西にあるイオナ国立公園の自然を探検したあと、海岸に沿いに首都を目指した。アンゴラは大きくふたつに分けることができる。石油で潤う海岸地域と、それ以外の農村地域だ。
そして、わたしたちがひとりのバイク仲間と出会ったのも、ロビトという裕福な街だった。ビーチでバーを運営していたその男性が、わたしたちにキャンプ滞在するように招いてくれたのだ。男性によると、ヤマハ、ハーレーダビッドソン、デゥカティなど、あらゆるバイクに乗る熱狂的バイカーシーンが成長しているそうだ。しかも彼は、街でモーターサイクルクラブの運営もしているという。ルワンダには、メンバー約300人が所属するAmigos da Picadaというもっと大きなクラブがあるそうだ。クラブの会長を務めるのは、リリオと呼ばれる男性。なんとこの人、ビザの申請時に招待状を書いて助けてくれた「友人の友人」と呼ばれていた人物だった。
ルワンダへ向かう道中、昼食に立ち寄った場所で1台のトラックがわたしたちの並びに停まった。すると、話をしたいという合図を運転手が送ってくるではないか。旅を愛する同志として、自分の国で助けになれることはないか聞きたかったらしい。彼も同じくバイクに乗るそうで、ルワンダにあるモーターサイクルクラブのメンバーだそうだ。クラブとはもちろん、Amigos da Picadaのことだ。「会長と会いたいけど、電話番号を知らないからメールするしかないんだよね」と口にすると、運転手は携帯電話を取り出し、あっというまにリリオへ取り次いでくれた。そしてわたしたちは、その日の午後に会うことになった。
それからの数日間、多くのバイカーと出会い、ランチに連れていってもらったり、ルワンダの観光スポットを案内してもらったりした。クラブの整備士の助けで、待望のメンテナンスと修理を行うこともできた。レザージャケットを身にまとい、見るからに屈強な男たちによるおもてなしは、実につつましく、これでもかというほど惜しみないものだった。
アンゴラ:鉄道と道の果て
東へ進むにつれて、道路は険しさを増していく。コンゴ民主共和国との国境沿いの旧道を進んだ末、ザンビアの北西端へ到達。アスファルトの舗装が無くなり、平らな道が続く。途中に立ち寄った町で、英語を話す地元の人から進行ルートについて教えてもらった。
どうやら、わたしたちが進もうとしている道には草木が生い茂っているらしく、こんなアドバイスをしてくれた。「道が終わったと思っても、そのまま進むんだ。もうこれ以上は道が無いと思っても、大丈夫。その道であっているから。とにかく、前に進むんだ」。
いざ、生い茂る草の中を進むと、藪の中を編むように続く1本道はかすかにしか見えなかったが、なんとか到着した村で給油をして、旅を続ける。GPSによると、道は続いている。ところが現実はというと、敷かれたばかりの鉄道ではないか。線路わきには、古い車両が錆びて横たわっている。かつて駅だった建物は廃墟と化していた。戦争の爪痕だ。
1本道は線路に沿って続いていた。歩くには十分の幅で、バイク1台が走行できる。道が細くなったり、道がくぼんで大きな穴になっていたりする場所では、ゆっくりと線路の砂利に乗り上げて進むことに。
一番つらかったのは、国境まであと少しの場所だった。深い砂道と苦闘しながら走行を続ける。追い抜いた唯一の乗り物といえば、道を塞ぐように放棄された車だ。ホイール、エンジン、シートなど、全パーツが誰にも“拝借”されずに残っていたことは、この道を走った人の少なさを物語っていた。あとで陸軍のチェックポイントへ停車したときに聞いた話では、その車は6か月間あの場所から動いていないそうだ。
ボツワナの湿地帯:モコロと猿の奇襲
国境を越えてザンビアに入ったあとは、南に進路を取って、広大なザンベジ川経由でボツワナへ戻った。最初にボツワナを走ってから3か月が経ち、長らく雨の気配は無くなっている。マカディカディ塩湖は広く干上がった大地となり、バイクで走れるようになっていた。
とはいえ、まずわたしたちは多くの野生動物が生息する湿地帯のオカバンゴ・デルタでキャンプすることに。モコロ(木をくり抜いたカヌー)に乗ると、ウミワシ、カワセミ、コウノトリ、ツルといった鳥を見られただけでなく、水上へ日の沈みかけた夕方には、葦をかき分けたところで、カバの家族の水浴びを目にすることができた。島のきれいな場所でキャンプの準備をしたあと、火を起こしてパンを焼いた。広がる星空のもと、セミが夕べの音楽を奏でている。翌朝、歩いてサファリに出かけると、ゾウ、キリン、シマウマのほか、たくさんのレイヨウがいた。でも、最も強烈な印象を残したのは、ミドリザルだった。キャンプの場所へ戻ると、1匹のミドリザルにテントが荒らされていたのだ。引き裂かれたテントの中をのぞくと、パン用の小麦粉の袋が破られていた。おかげで一面が真っ白。しかも、フンだらけ。「もう二度と大自然の中でテントを無人にしない!」と誓った瞬間だった。
旅を続けて6か月。南アフリカを大きく1周したわたしたちは、ケープタウンからたったの1,500kmしか離れていないことに気づいた。もっと北に行かなくては。そして向かったのがジンバブエ。不自由な経済状況と身内びいきがまん延する国にもかかわらず、そこには、現状を耐え忍ぶすばらしく友好的な人たちが溢れていた。お次のマラウイでは、光り輝く黄金の砂浜が湖に沿って広がっていた。何か月も過酷な運転を続けてきたわたしたちにとっては、ゆっくりと休息する機会だ。そこからタンザニアに入り、タンガニーカ湖の南岸にある村へ向かう。そこでボートに乗る算段だ。
タンガニーカ湖:貨客船リエンバでクルージング
タンガニーカ湖を往来する貨客船リエンバに乗り込んだあと、バイクを荷物用の網に包んでクレーンで引き上げてもらった。空中に引き上げられるバイクを見たときは、網が耐えられるのかどうか不安でしょうがなかったが、作業は何事もなく完了した。それからの3日間は、快適な速度で移動を楽しむことができた。船が客と貨物の乗降のために村へ停泊するときが、旅の時間だ。桟橋の無い場所では、汽笛が鳴らされる。すると、村人たちが木のボートを漕ぎながらやってくる。荷下ろしを受け取るためにリエンバから近い場所を競い合うためだ。トウモロコシ、ニワトリ、リンゴなどの入った袋は無差別にボードへ投げ込まれ、男たちは這いつくばるように船の横壁をつたって降りていく。女の人には手が差し伸べられ、赤ん坊は当たり前のようにボートからボートへパスされる。
1,000の丘がある国として知られるルワンダを1周し、ウガンダに入国した。ウガンダは、国立公園でのバイク走行が認められている唯一の国だ。サドルに乗ったまま楽しむサファリでは、ハイエナから数メートルしか離れていない場所を通過することもあれば、若い雄のゾウが襲ってきたら、急いで走りださなければいけないことも。すがすがしいと同時に不安にさせられる体験だった。さて、次はケニアのナイロビを目指す。25,000kmを走行してきたわたしたちのバイクは、すばらしい動きを見せてくれているが、そろそろ新しいタイヤが必要になってきた。ナイロビなら、それが手に入る。バイクのオーバーホール以外にも、ゆっくりと休んで、先々の旅に向けてビザや書類の調整もできるはずだ。
ヘレン・ロイド
イギリス、ノーフォーク出身。大学で航空工学を学び、旅の合間を縫って、資金作りのため技術者として働いている。2009年の夏、仕事を辞め、自転車でアフリカを走破。本シリーズでは、自転車からバイクに乗り換えてふたたび訪れたアフリカの旅を振り返る。これまでに「Desert Snow」と「A Siberian Winder’s Tale」の2冊の本を上梓。現在、新作の準備が進行中。