Yamaha Journey Vol.09
ヤマハMT-07に乗るオーストラリア人女性ライダー、ソーニャ・ダンカンのオーストラリア大陸内陸部一周ツーリング体験談です。
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オーストラリアの魂を求めて、女性ライダーの初挑戦
ソーニャ・ダンカン
MT-07
#01 オーストラリア:内陸の未開地ネバーネバーで待ち受けるスリル
ニューカッスル ― クイルピー
50代の女性が新たな可能性に挑む。
その冒険への挑戦を胸に、ソーニャ・ダンカンはMT-07を駆り総走行距離8,000kmに及ぶオーストラリア内陸部一周ツーリング、「ビッグループ」へと旅立つ。未知なる”アウトバック”を目指して。
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眼前に広がった青い空は、まさに“アウトバック”への入り口。
エンゴニア、ニューサウスウェールズ州、オーストラリア
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”アウトバック”の夕陽に浮かぶ老木のシルエット。
クイルピー、クイーンズランド州、オーストラリア
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果てしなくどこまでも続く荒涼とした大地に夕闇が忍び寄る。
クイルピー、クイーンズランド州、オーストラリア
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ビッグループに向けて
「四輪は肉体を、二輪は魂を運ぶ。」初めてMT-07に乗った時、まさにそんな気持ちになりました。それからバイクに対する情熱が燃え上がるのに時間はかかりません。50歳になった私は、同年代の他の女性たちの冒険心を掻き立て、インスピレーションを与えたいと考えるようになりました。 新しく手にしたバイクで旅に出る。私の姿を見た女性たちに「その気になれば何でも出来る」と感じて欲しい。勇気ある一歩を踏み出せば、どこにだって到達出来る。そのことを身をもって伝えたいと思ったのです。
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ある晩、私は相方のリチャードと近所のお気に入りのイタリア料理レストランで夕食を摂っていました。オーストラリアを思いっきりバイクで駆け抜けてみたい。そんな夢を興奮しながら語り合っていると、この「ビッグループ」のアイデアが頭に閃きました。オーストラリア人であってもほとんどが足を踏み入れたことすらない内陸部のさらに奥の奥へ。総走行距離8,000kmの壮大なツーリング計画。私がこれから経験していくバイクでの冒険への第一歩となる期待に胸を膨らませました。リチャードは過去に訪れたオーストラリアの素敵な土地への再訪を心待ちにしながら、ツーリング初心者としての私の目に映る景色を共に眺めるのを楽しみにしていました。二人で訪れたい場所を思い付くままに挙げ、その場で紙ナプキンの裏に描き出される旅の全体像。ビッグループに向けて、私はいくつもの週末をライディングスキルを磨くために費やしました。想像されるあらゆる地形・路面状況を体験し、MT-07を快適に乗りこなす。そうしたウォームアップの総括として、スノーウィーマウンテンズへ4日間のツーリングに出掛けました。オーストラリア最高峰、標高1,835mに位置するシャーロット・パスを走る高原道路。スノーウィーマウンテンズを無事に走り終えた達成感からビッグループの挑戦への期待と自信が更に高まりました。その後数カ月間更なるライディングスキルの向上を図り、いよいよ準備万端。一大アドベンチャーに向けた荷造りをする時がやって来ました。女の私にとっての最大の問題は、限られた容量20ℓのパニアバッグ二つとタンクバッグ一つに、ツーリングに必要なもの全てを収めるため携行品を絞り込むこと。必要不可欠な衣服に加え、ヨガマットも何とか詰め込みました。キャンプ用品、食料、予備のガソリンなど旅の必需品はリチャードに任せて。
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雨の降り始めに漂う甘い香りに見送られて。
出発の日はあいにくの曇り空。私はシドニーの北に位置するニューカッスルの自宅を単身で出発しました。太平洋に面した湿潤な亜熱帯気候の地域を後にして、滑らかなリボンのようなアスファルトのニューイングランドハイウェーを北西に向かってひた走る。新鮮な春の雨の甘い芳香が、市場に牛を運ぶトラックから漏れる家畜特有の獣臭と入り混じり鼻腔を刺激する。ユーカリの木々が鬱蒼と生い茂るウォレマイ国立公園の森林地帯沿いを走った後、日が沈むまでの2時間ほどガソリンスタンドを探して彷徨います。そして最初の宿泊地、ニューサウスウェールズ州ダッボー市のホテルへ。
給油していた時、バージニアという名の中年キャリアウーマンが私に近寄ってきて、夜道で出くわすカンガルーに気を付けた方が良いと警告しました。私のことが心配になり、彼女の家に宿泊して夜明けまで待つよう気遣ってくれました。まったく見ず知らずの私に対して彼女が見せた寛大さと気遣い。心を動かされました。バイクに乗っていると自分自身と周りの人々との間にユニークで深い繋がりが出来上がっていく、そんな事実に気付かされた最初の出来事でした。
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シドニーから私の後を追って来たリチャードとはホテルで合流。翌日は早朝から一緒に、さらに北西に向かって真っ直ぐに伸びる道路を突き進みます。正午頃になると、私たちの目にする景色が突然様変わりしてきました。まばらな人影と徐々に見かけなくなる文明の痕跡。それらの面影を最後に確認できたのは、40年間利用客のない打ち捨てられたバイロック駅。その昔洪水によって線路が破壊され、以来住民の少なさから復旧されぬまま廃墟だけが残されています。
その日の夜、辺りの空気が涼しくなってきたころ、人口僅か2,000人ばかりの小さな開拓集落、バークに辿り着きました。この人里離れた辺境の居留地は、以北に果てしなく広がる”アウトバック”への真の玄関口と見なされています。オーストラリアでは今なおアウトバックのことを「ザ・バック・オ・バーク(=バークのさらに先)」と呼んだりします。 人が辿り着ける最果てがバーク、その先は未開地と言う意味。
バークに近付くと、周囲の景色は神秘的な赤褐色になります。私はバイクを止め、荒涼で低木の生い茂った平原を見渡しました。こんなにも大きく開けた景色や、今目の当たりにしている荒々しい側面のオーストラリアを経験したことがありません。私はその場で赤土の上に寝そべり、ただ空を見上げました。今この瞬間を生きていること、そしてこの旅を体験していることの喜びに満たされながら。
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アボリジニのジャック、カンガルーとの出会い。アウトバックへ。
翌日、朝は清々しい空気。出発してクイーンズランド州境を目指してさらに北へと向かいます。ガソリンスタンドでタイヤの点検をしていると、2人の孫を連れた賢明そうなアボリジニの老人が私たちの方へと近寄ってきました。彫られたマホガニーの木のような顔、雪のように白い頭髪、皮革のような肌をしたジャック。彼はここ3カ月もの間、アウトバックの大地をを渡り歩いては、孫たちに“古き良き伝統”を教えているらしい。水や食べ物の見つけ方、自分たちの手元にある資源や森で生き抜くための技能を駆使した、狩猟や目的地への辿り着き方。リチャードと私は彼の話に大変興味を駆り立てられました。彼は自分の部族に伝わる“夢”の話をしてくれました。4万年もの長きに渡って語り継がれてきたアボリジニの伝承の核となるものは、この世界の自然的、精神的、道徳的な要素の相関関係。バイクに乗っていると、自分とこの世界との調和を感じることが出来る。全ての衝動、見えるもの、匂い、肌に触れるもの全てが研ぎ澄まされ、旅自体を精神的なものにしていく。
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熱く乾いた空気の中を駆け抜けて行く。それは故郷の湿った空気とはまるで違う。いよいよニューサウスウェールズ州からクイーンズランド州へと跨げば、そこは私にとって意味のある一里塚。“ビッグスカイカントリー”と名付けたコバルトブルーの天球、煙のようにフワフワと浮かぶ白い雲、限りなく広がる赤褐色の大地の始まりです。アウトバックをさらに推し進んで行けば、目の前に現れたのはカンガルーとワラビーの大群。夕暮れ間近になると餌を求めて活発になります。カンガルーは大きいものだと体長2m、体重90kgにもなり、時速70km/h近いスピードでそんな図体が飛び跳ねる。突然一匹のカンガルーが道路を横切り私たちの目の前に現れました。日もかなり傾いてきたので、後方に合図を送って知らせます。その瞬間頭上を覆う真っ黒な影。翼を広げれば2m、体重5.5kg、直立して1mもあるオナガイヌワシが、その威厳と風格と共に天空へと高く舞い上がって行きます。アウトバックの象徴たる存在にこんなに近くで出会えるなんて!
バリンガンと呼ばれる小さな町に立ち寄った時、もう一人いかにもアウトバックらしい雰囲気を漂わせる人物に出会いました。西部劇に出てくるガンマンのように大きく両端の垂れた口髭、胡桃のように日焼けした肌、使い古されて型崩れしているアクブラ(オーストラリアではよく知られたカウボーイハット)を冠り、片手のみで紅茶を差し出してくれたその人は60歳になるジャッカルー(オーストラリアのカウボーイ)。落馬して手首を骨折し、今は農場での仕事をお休み中。体を思うように動かせないフラストレーションが表情に滲み出ていました。アウトバックでの暮らしは、普段私たちの生活から想像するより、ずっと過酷なものだと気付かされました。
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星空の下で一夜を過ごす初めてのキャンプ
私たちはキャンプの出来そうな場所を求めて走り続け、途中オーストラリアで最も知られた名所の一つであり、息を呑むような美しい自然生態を有するチャネルカントリーを通り抜けました。上空から眺めれば、砂漠一帯はさながら複雑に入り組んだ血管のような表情を見せる。不毛な砂丘、ミッチェルグラスやスピニフェックスと呼ばれるオーストラリア固有の草、アカシアの木が特徴的な沖積平野と川の流路が織りなす風景は、まさにこの世の破滅後の世界。夕闇が急いで忍び寄ってきても、テントを張って過ごす初めての夜に相応しい、完璧なキャンプサイトを探すというリチャードの決意は揺ぎないものでした。道路から逸れて、干上がった川底、木の根、地面に空いた穴を避けながら、道なき道を走行する不安。よりによって生まれて初めての本格オフロード走行体験がこんな黄昏時にやってくるなんて!しかしその甲斐あってやっと見つけた場所はまさにオアシス。熟した果実のように真っ赤な沈み行く太陽に照らされ、剥き出しの荒い岩肌の露頭に囲まれた粘土質の平らな地面。バイクから降りると、新鮮で刺激的なメンソールと甘い蜂蜜の混ざったような、ユーカリの若木の芳香に身も心も洗われるような気分になりました。岩山に登った私たちの目を奪ったのは、美しく迫力に満ちた砂漠の夕陽。地平線の向こうに燃えさかる日輪が吸い込まれるにつれて、陽炎に揺らめく、血で染まったように真っ赤な空が薄暗く霞んでいく。力強さに溢れた風景は優しさへと変化し、高鳴る鼓動が誘われる先は、心地良い内なる静寂。こんなにも美しく静かな場所を訪れたのは初めてです。
辺りがすっかり暗くなると、私たちは火を焚べました。揺らめく炎は傍のバイクと私たちの笑顔をオレンジ色に照らし出します。目の前に並べられたシェーブルチーズ、オリーブ、グルメクラッカー、ナッツ、ドライフルーツを軽く摘んだ後は、携行用に煮詰めて水分を飛ばした自家製カボチャのポタージュスープをサックリした食感の堅焼きパンと一緒に。リチャードがその場で拵えた、新鮮なシェーブルチーズ、バジル、チェリートマトの即席ニョッキも絶品です。丸一日バイクに跨って過ごした後、そのまま大自然の中で綺麗な空気と共に味わうアウトドア料理に匹敵する贅沢など存在するのでしょうか?キャンピングチェアにもたれ掛かり、見上げる夜空。魔法にでもかけられたかのように、その美しさには心を奪われます。乾燥した空気に加え、街の灯りによる光の干渉が殆どないおかげで、アウトバックは世界で最も美しい天の川を見ることが出来る場所。私はビロードの上に散りばめられたダイヤモンドのように煌めく惑星や無数の星を見上げ、リチャードと一緒に南十字星、北斗七星、さそり座など、夜空に浮かび上がった星座を夢中で探し出します。ふと頭に思い浮かんだのは、今私たちが見ているのと同じ星空を眺めながら、この過酷な大地を渡り歩いたジャックやその先祖たちのこと。広大な宇宙と、その中で私たちが今存在しているこの場所について思いを巡らせました。今までの人生においてこんなに漲る生命力を感じたことはありません。しかもまだ冒険は、今始まったばかりなのに。
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ソーニャ・ダンカン
二人の娘を持つ母。自ら設立した環境マネジメントコンサルタント会社の経営者であり、熱烈なバイク愛好家。本格的にスポーツバイクに乗り始めたのは2015年4月からだが、総走行距離8,000kmに及ぶオーストラリア内陸部一周ツーリングを成し遂げた。現在南アメリカ最南端のチリからカナダのニューファンドランド島を経てアラスカに至る、次の長距離ツーリングを計画中。