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55mph - Roots. Vol.02

ヤマハ TRACER9 GTで走る、河西啓介と桐島ローランドによる四国・高知6日間のツーリング旅紀行です。

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Vol.2 日本の原風景を探して、西へ

ウィルスの脅威に晒された閉塞感の中で、誰もが渇望する “自由な移動”への思い。その長いトンネルの先にかすかな光が見え始めたいま、僕らはモーターサイクルで旅を試みる。東京から四国・高知を往復するグランドツーリング。それは不自由な暮らしのなかで見失いそうになる、自分たちの“原点”を確認する旅でもあった。

55マイルの速さで行こう

2021年11月のよく晴れた朝、僕たちは東京・丸の内をスタートした。フォトグラファーの桐島ローランド、僕、レイナとタニャという2人の女性ライダー、4人による「55mphツーリング」が始まったのだ。6日間で高知県・土佐までの往復2000km余りを走る旅。初日は京都までの約450kmの道だ。
僕とローリー(桐島ローランド)が乗るのはヤマハのツアラー、TRACER9GT。888cc3気筒エンジンを積むネイキッドスポーツ「MT-09」をベースに、ハーフカウルを装着したモデルだ。さらに「GT」は前後サスペンションをグレードアップし、クルーズコントロール、グリップウォーマー、フルカラーTFT液晶メーターなどを備える。東名、新東名、名神と高速道を乗り継いでいくこの日のルートに、TRACER9GTはまさにぴったりだった。3気筒エンジンは力強いトルクと高回転域での気持ちのよい伸びを兼ね備え、2気筒と4気筒の“いいとこ取り”のようなキャラクターを持つ。高速道路走行での常用域となる80〜100km/hでは、3気筒特有の鼓動を感じながら走り続けることができた。

ここで今回のツアーのキーワードであり、ヤマハ発動機が1980年代に発行していた冊子のタイトルでもある『55mph(55マイル)』の由来について触れておこう。mph(milies per hour)は主にアメリカ、イギリスで使われる速度の単位で、1mphはキロ表示に換算すると1.6km/h。つまり55mphは約88km/hとなる。アメリカの雄大な道を55mphでゆったりと走る気持ちよさ、かつての『55mph』にそんな「ゆとりあるモーターサイクルライフを楽しもう」という意味が込められていたのだ。
都心を出発し、首都高から東名、新東名を経て西へと向かうルートは概ね順調だった。とはいえ常に全身に風を受けて走るモーターサイクル、そして4人でペースを合わせながらの走りは、四輪でのドライブほどラクではない。食事や休憩はこまめに取り、疲れを溜めないようにした。なにしろまだ初日なのだから。
名古屋を越え、愛知から三重へと渡る湾岸高速では、西の空に落ちていく美しい夕陽に向かって走ることができた。11月半ば、日没は早い。京都のインターチェンジを降りる頃にはすっかり夜の帳が降りていた。帰宅時間で混み合う京都の町中を4台で連携しつつ迷わず走りきり、無事に宿に到着。55mphツーリングの初日が終わった。

世界最長の吊り橋を渡って

2日目の朝。この日は京都を出発、明石海峡大橋で淡路島へと渡り、さらに四国に入り高知・土佐を目指す。距離は400km弱ほどだ。初日より少し短いし、夜までに宿に着けばいいだろう、ということで朝は少しだけ嵐山周辺をめぐることにした。桂川にかかる渡月橋を渡り、パーキングにバイクを止めて“竹林の小径”を散策する。ウィルスの流行がひと段落し、観光客が戻り始めた嵐山はなかなかの賑わいだった。撮影で何度も訪れているローリーが、勝手知ったるという感じで撮影スポットを案内してくれる。意外だったのはタニャが思いのほか京都に詳しいこと。聞けばバイクで一人旅に出かけ、日本の観光名所をあちこち訪れているのだという。

1時間ほどで散策を終え、バイクに跨り走り出す。少し急げば午後早いうちに四国に渡れるだろう。幸い天気は今日も快晴だ。日中は気温も上がりそうだが、とはいえ朝の空気はキンと冷えている。しかし寒さをほとんど感じずにすんでいるのは、僕らが着ているウェアによるものだろう。この旅では加圧式のアンダーウェアとソックス、ウィンター用のグローブとアウター、一式の「ダイネーゼ」の最新ウェアを着込んでいる。その防寒、防風性能は想像以上で、晩秋のツーリングでもウェアによってここまで快適に走れるのだと気付かされた。さらにアウターの上にはMotoGPにも使われるダイネーゼのエアバッグ・テクノロジー「D-Air」を用いた「スマートベスト」を着ている。加速度およびGセンサーを内蔵し、転倒および衝突時にはエアバッグを展開させ身体を守ってくれるのだ。もちろん世話になる事態は絶対に避けたいが、身に着けていることによる安心感は絶大で、それによりツーリングの快適さがぐっと増しているのは間違いない。

名神、阪神高速を経由し、明石海峡大橋を渡る。全長3911mにおよぶ世界最長の吊り橋だ。海面からはかなりの高さがあり(吊り橋のケーブルを支える塔の高さは298.3m!)、高いところが苦手な僕にとって、バイクで渡るのはかなりスリリングだった。そんな僕をよそにレイナとタニャはじつに堂々とした走りっぷりを見せる。タニャの乗るテネレは、2年前にポルトガル−モロッコのツーリング時にその走破性、安定性の高さに感心させられたが、タニャはたった1日半の付き合いでその性能をしっかり引き出しているようだ。
いっぽうレイナのMT-07は、ネイキッドゆえの身軽さ俊敏さが美点なのだが、逆に今回のように高速道路での移動がメインとなるツーリングでは、ライダーの負担が大きくなるだろうと予想できた。だがレイナの走りはそのことをまったく感じさせない安定したものだった。ライダーとしての経験値は異なる4人だが、明石海峡大橋を隊列を組んで駆け抜ける4台には、明らかな一体感が生まれていた。

“うだつ”の上がる町を訪ねる

明石海峡を望む淡路サービスエリアで昼食と休憩を取り、ふたたび走り出す。高速道路で一気に淡路島を南北に縦断し、眼下に鳴門の“うず潮”を臨む大鳴門橋を渡るといよいよ四国入りだ。これまで何度か四国には来ているが、こうしてバイクにより陸路で渡るのは初めてだった。旅にはいろいろな手段があるが、五感を研ぎ澄ませて走るモーターサイクルの旅は「やって来た」という実感がひときわ強い。それこそツーリングの醍醐味なのだ。
宿泊地である高知・土佐に向かう前に「立ち寄ろう」と決めていた場所があった。徳島県の北西部、美馬市にある「うだつの町並み」。明治時代のものを中心に江戸中期から昭和初期にかけての建造物が建ち並び、近世、近代の町並みがそのまま残されているという場所だ。日本の魅力や自分たちのルーツを見つめ直そうという今回の旅の目的を考えても、どうしても訪れてみたい場所だった。

高速から一般道に降り、少々道に迷ったが、陽がゆっくり西に傾き始めた頃、なんとか到着した。ちなみに「うだつ(卯建)」とは、江戸時代の民家の両側に「卯」字型に張り出した小屋根付きの袖壁のことを言う。元は隣家との境に設けられた防火壁だったが、次第に装飾的な意味合いが強くなり、富や成功の象徴となっていった。裕福でなければうだつを造ることができなかったことが転じて、「うだつが上がらない」という言葉が生まれたのだそうだ。かつて「脇城」の城下町として栄え、交通の要衝でもあったこの地域は、まさに“うだつが上がった”豊かな町だったのだ。

平日の夕方、観光客も少なく、僕らはタイムスリップしたかのような町並みで、時間を忘れてシャッターを押した。日本のモーターサイクルを海外メーカーのそれと較べたとき、デザインや色使いなどが“控えめ”だと感じることがある。だがこうして日本の伝統的な風景の中にバイクを置いたとき、すっと馴染むその様に不思議な日本の“和”のDNAというべき何かを感じてしまう。
気づくとすっかり陽が暮れようとしていた。僕らは慌てて現代の“馬”を駆り立て、目的地である高知・土佐へと走らせたのだった。

桐島ローランド

1968年生まれ。ニューヨーク大学芸術学部写真科を卒業しフォトグラファーに。雑誌および広告写真などを中心に活躍する。現在はCyberHuman Productionsのテクニカルアドバイザー。学生時代からバイクに親しみ、オン/オフ問わずレースにも出場。2007年ダカール・ラリーに出場し完走を果たす。

河西啓介

1967年生まれ。早稲田大学卒業後、 広告代理店勤務を経て自動車雑誌『NAVI』編集部員に。オートバイ雑誌『MOTO NAVI』、『NAVI CARS』などを創刊し編集長をつとめる。現在はフリーランスのモータージャーナリスト、編集者、プロデューサーとして活動する。

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