55mph - This is Africa! Chapter 03
ヤマハ テネレ700で走る、河西啓介と桐島ローランドによるヨーロッパからモロッコまでのグランドツーリング旅紀行です。
2200kmの旅の道のりで
ヤマハ最新のアドベンチャーモデル「テネレ700」で、桐島ローランドと河西啓介、50代の男2人がヨーロッパ、そしてアフリカを目ざすグランドツーリングに出かけた。ついにアフリカ大陸へとわたった一行を待っていたものは?
青い街、シャウエンへ
モロッコにわたり2日目、僕とローリー(桐島ローランド)は「シャウエン」の街を目ざしていた。モロッコ北部の山あい深くにある小さな街。家の壁も道の階段もさまざまなブルーで塗られた、まるでおとぎの国のような“青い街”は、世界中の旅行者の憧れになっている。ローリーが2007年のダカール・ラリーに参戦したときは立ち寄れなかったため(もちろん観光などしている時間はないわけだが)、今回は「ぜひ行こう」と希望したのだ。
未舗装の山道を越えて到着したシャウエンは、想像通りのフォトジェニックな街並みで、多くの旅行者がわざわざここを訪れる理由がわかった。曲がりくねった路地と階段。ヨーロッパとイスラムの様式が混ざりあった建物、かつて400年にわたり異教徒の立ち入りを禁じてきたという歴史が、独特のエキゾチックな景観をつくり出している。ちなみに“青”の理由には諸説あるようだが、かつてスペインを追われて住み着いたユダヤ人が、街をつくるさい彼らにとって神聖な色だったブルーに染めていった、と言う説が有力らしい。
“青い街”にはおおいに感激したが、じつはそれにも増して印象に残ったことがある。シャウエン、そして次の目的地である「フェス」へ向かう道中の雄大な風景と、その道程でのテネレ700の走りだった。
山越えの荒涼としたダートロード。地平線まで続くどこまでもまっすぐな道。悠然と道を横切る牛や馬。路上にはときおりトラップのように、大きな穴や崩れ落ちた路肩が現れる。そんな場面では、テネレのフレキシブルなエンジン特性、よく躾けられた柔軟なサスペンションに助けられた。本当に頼もしかった。
テネレの美点は、その走りをじつにシンプルな構造で実現しているところにある。近ごろの二輪車のトレンドといえる、ライディングモードやトラクションコントロールといった電子制御の類いは備えていない。付いているのはABSぐらいのものだ。だがそれは「あらゆる道を走破し、帰ってこられる」というポリシーに基づいたもの。化粧より素材にこだわった、というところにメーカーの見識が感じられる。アドベンチャーモデルの用途や目的を考えれば、とても理に適った選択だと言える。
フェスの迷宮に迷い込む
その日の目的地、「フェス」は千年以上もの歴史を持つモロッコ最古の王都。そのメディナ(旧市街)には高い城壁がそびえ、曲がりくねった細い路地が入り組んでいる。ゆえに世界一の“迷宮都市”とも言われている。そんな13、14世紀当時の姿をとどめるこの街を歩き回るのは、まさに“タイムスリップ”のような体験だった。
同時に僕は、もうひとつの“タイムスリップ”も体験していた。このフェスの街のことを知ったのは、かつて『55mph』でモロッコ紀行を読んだからだ。イタリア人ライダーのフランコ・ピコが表紙に写るvol.7。当時バイクに乗り始めばかりの若者だった僕は、その記事を読み、ある衝撃を受けた。「バイクに乗ればこんなところに行けるんだ!」と。その数十年後、フェスの街にこうしてバイクでやってきたということが、まるで奇跡のように思えた。
僕たちはフェスを後にすると、モロッコの現在の首都であるラバトを経由し、ふたたび港町、タンジェへと向かった。その道中、高速道路を走っているときに陽が落ち始めた。僕らの後ろで西の空が夕陽で燃えるように赤く染まり、いっぽう目の前の東の空には蒼い空に満点の星が煌いている、そんな風景を見た。
たしかに僕らはいま、アフリカ大陸を走っている。
前を走るローリーが駆る、テネレの赤いテールランプを見ながら、僕はそう実感していた。
タンジェに泊まった翌朝、フェリーに乗り込みモロッコを発った。入国ではあれだけ苦労させられたのが信じられないほど、モロッコからの出国、スペインの入国はあっけなかった。なんとも不思議な気はしたが、それも“This is Africa”ということなのか。
勇敢なる同行者、ルイス
モロッコを後にしてあらためて、今回のヨーロッパ〜アフリカをめぐる旅が無事に進んでいるのはルイスのおかげだということを感じていた。ルイスは僕らにテネレ700を用意してくれた、リスボンにある「ヤマハ・モーター・ヨーロッパ」のスタッフ。このツーリングにはガイド役として同行していた。ポルトガル人のルイスは髭面の大男だが、人懐こい笑顔に柔和な人柄が溢れている。彼は1200ccの「スーパーテネレ」にまたがり、日ごろツーリングで走っているというポルトガル、スペインはもちろん、じつは彼自身初めて訪れるというモロッコでも、頼もしいナビゲート役をつとめてくれた。
じつは旅の道中でいちど、こんなことがあった。モロッコに入って2日目、朝早く宿を出てシャウエンへ向かう途中、細い山道にゲートが設けられ、そこに屈強そうな男たち数人が立ちはだかっていた。どうやら「ここを通るなら金を払え」と要求しているようだった。僕は彼らの言葉が理解できなかったが、それでもかなり緊迫した状態であることは分かった。
そんな男たちに向かい、ルイスは毅然とした態度で交渉を始めた。ときおり脅すように声を荒げる輩にも臆せず、10数分ほど話したのち、彼らは諦めたようにゲートを開け、僕らに「行け!」とジェスチャーした。僕はほっと安堵しながら、「何が起こるかわからない。やっぱりここはアフリカなんだ」と実感した。同時にルイスの勇敢さに敬意を抱いた。
スペインからポルトガルへ。僕らの旅もいよいよフィナーレを迎えようとしていた。その日の宿泊地であるポルトガルの「エヴォラ」へと向かう途中、先導のルイスは高速道路を降り、一般道を進んだ。そこから数時間、気持ちのいいアップダウンのあるワインディングロードがどこまでも続く、ライダーにとってはまさに“天国”のようなルートを走った。
世界一のイベリコ豚に出会う
朝から昼過ぎまで、休憩もせず走り詰めに走った後、ルイスが案内してくれたのは「アラセナ」という小さな町にあるリストランテ。一年中冷たく乾いた風が吹き、気温の高低差が少ないこの街は、イベリコ豚の生ハムの産地として知られている。そしてこの「ホセ・ビセンテ」は、日本のマンガ『美味しんぼ』で、“世界一美味しいイベリコ豚料理を出す店”として紹介されたこともある名店だった。
前菜からメインまで、オーナーのホセさんの手になる、イベリコ豚づくしのコース料理に舌鼓を打った。甘味のある脂身が口の中でとろりと溶ける、さすが“世界一”を謳うだけある、絶品の美味しさだった。しかもリーズナブル!
贅沢な腹ごしらえを終えた後、スペインとの国境を越えてポルトガルへ。その日は旧市街全体が世界遺産に登録されている歴史の街、「エヴォラ」に投宿し、翌日はついに最終日。にこの旅の出発地でもあるリスボンへ向けて走り出した。
The Journey is over……
エヴォラからリスボンまでは約130kmの道のりだ。朝からしとしと降っていた雨は、気まぐれに強くなったり弱くなったりを繰り返したが、昼前にはあがってくれた。僕らの行く手には日が差し、明るくなった空には、旅の終わりを祝福するような虹がかかっていた。
テージョ川にかかる鉄吊橋、「4月25日橋」を越えてリスボン市街へ入る。ついに6日間にわたる僕とローリーのグランドツーリングが終わった。ヤマハ・モーター・ヨーロッパのガレージにバイクを止めると、トリップメーターはちょうど「2200km」を指していた。
ローリー、ルイス、そして僕。3人はこの旅を無事に走りきったことを互いに讃えた。そして高速道路、ワインディング、ダート、あらゆる道をこともなげに走破してくれた相棒、テネレ700に感謝した。
モーターサイクルはいつも僕らを“あたらしい場所”に連れて行ってくれる。ともに50代を迎えた僕らは、この旅であらためてそのことを知った。そしてこの旅の記録が、それを読んだ誰かを、あたらしい旅へといざなってくれることを願う。かつて僕らが『55mph』を読み、胸を踊らせたように。
桐島ローランド
1968年生まれ。ニューヨーク大学芸術学部写真科を卒業しフォトグラファーに。雑誌および広告写真などを中心に活躍する。現在はCyberHuman Productionsのテクニカルアドバイザー。学生時代からバイクに親しみ、オン/オフ問わずレースにも出場。2007年ダカール・ラリーに出場し完走を果たす。
河西啓介
1967年生まれ。早稲田大学卒業後、 広告代理店勤務を経て自動車雑誌『NAVI』編集部員に。オートバイ雑誌『MOTO NAVI』、『NAVI CARS』などを創刊し編集長をつとめる。現在はフリーランスのモータージャーナリスト、編集者、プロデューサーとして活動する。
Editor/Writer
KEISUKE KAWANISHI
Photographer
TORU HASEGAWA
Special Thanks
ROWLAND KIRISHIMA
LUIS FIGUEIREDO(YAMAHA MOTOR EUROPE N.V.)
Y’S GEAR
DAINESE JAPAN