55mph - This is Africa ! Chapter 01
ヤマハ テネレ700で走る、河西啓介と桐島ローランドによるヨーロッパからモロッコまでのグランドツーリング旅紀行です。
僕らがモロッコを目ざした理由
ヤマハのアドベンチャーモデルの代名詞である「テネレ」。日本での発売が待ち望まれているその最新モデル「テネレ700」で50代の男たちが、ヨーロッパ、そしてアフリカを目ざすグランドツーリングに出かけた。
モーターサイクル・ユートピア
2019年の年の瀬が迫ったころ、僕(河西啓介)とフォトグラファーの桐島ローランドは、ヨーロッパからアフリカ・モロッコを目指しバイクツーリングに出かけた。モロッコはアフリカ大陸の北端に位置する、アフリカ、アラビア、ヨーロッパの文化が混ざりあったエキゾチックな国だ。
なぜ僕らがモロッコを目指したのか? その理由はヤマハが1980年代に発行していた『55mph(55マイル)』という冊子にあった。「MOTORCYCLE UTOPIA(モーターサイクル・ユートピア)」というコンセプトを掲げたこの冊子には、世界のさまざまな場所にオートバイで出かけ、そこでしか撮ることの出来ない写真を大胆にレイアウトし、そこでしか得ることのできない経験、体験を文章にして添えるという、とても贅沢な紀行記事が掲載されていた。
いまは50代を迎えた僕もローリー(桐島ローランド)も、若い頃に『55mph』を読んで、“いつかこんな風景の中を走ってみたい”と夢を膨らませていた。そしてあれから30余年の時を超えて、あの頃の“憧れ”を実現しよう、ということになったのだ。
僕らは御殿場にあるガレージに集まり、旅の構想を練った。海外での生活、旅行、ツーリング、すべてにおいて僕より遥かに経験値の高いローリーに「どこに行きたい?」尋ねたところ、彼は「アフリカ大陸のモロッコへ行こう」と提案した。
その理由のひとつは、やはり『55mph』の中にあった。1985年に発行された第7号では、当時のパリ-ダカール・ラリーで活躍していたイタリア人ライダー、フランコ・ピコによるモロッコ紀行がフィーチャーされていた。
ダカール・ラリーへのオマージュ
ローリーが考えていたのは「ポルトガルの首都リスボンをスタートし、スペインを経由してジブラルタル海峡をわたり、アフリカ大陸のモロッコへ至る」というルートだった。
じつはこのルートには、もうひとつのローリーの“想い”が込められていた。彼は2007年、ダカール・ラリーに出場し、見事完走を遂げた。その時のスタート地がリスボンであり、ジブラルタルをわたりモロッコ、そしてセネガルの首都であるダカールに至るというコースだったのだ。
日本に先がけ欧州で販売されている新型テネレ700で、そのルートをなぞるような旅をしたい、というのが彼の考えだった。
ヨーロッパから、海をわたりアフリカ大陸へ。それはとても魅力的だったし、なによりダカール・ラリーをたとえ一部であっても感じられる(もちろんルートは異なるが)というのは“モーターサイクル・ユートピア”というのに相応しい体験であると思えた。
2007年にローリーがダカール・ラリーに初出場、完走を果たしたときに乗っていたマシン。ゴールしたままの状態でガレージに飾られていた。
そして今回、この旅を「テネレ700」で走るということにも大きな意味があった。アフリカの言語で「何もないところ」を意味する”“Ténéré”のオリジナルモデルが登場したのは1982年秋のパリショー。オロードモデルのXT550をベースに、30Lの大型タンク、ヤマハオフロード車初のフロントディスクブレーキ、モノクロスサスペンションなどを装備したXT600テネレは、まさにパリダカを走るために生まれたバイクだった。
以降「Ténéré」の名前は、ヤマハのアドベンチャーモデルの代名詞となり連綿と受け継がれていく。それゆえ名前を受け継ぐ最新モデル「テネレ700」にとって、アフリカ大陸というのはまさに“ルーツ”と言える場所であり、テネレ=パリダカマシンというイメージが深く刻まれた僕らにとっても、それは特別な体験になるに違いなかった。
ポルトガル・リスボンからの出発
その後、あらためてスケジュール、アクセス、ルートなどを検討し、リスボンにあるヤマハ・モーター・ヨーロッパ(YME)でテネレ700をピックアップしてスタート、スペインに入って地中海に面した港町タリファからフェリーでモロッコに渡り、あちらを3日ほど走ってから、ふたたび船でスペイン、そしてリスボンへと戻るという計画を立てた。オートバイに乗るのは正味6日間、そのあいだにダートを含んだ約2200kmを走るというハードなグランドツーリングだ。
そして12月初旬、僕と桐島ローランドを乗せたブリティッシュ・エア504機はリスボン空港へと降り立った。いよいよここからポルトガル、スペイン、モロッコをめぐるテネレ700での旅が始まる。
真冬の東京からやってきた僕らにとって、南ヨーロッパはずいぶん暖かく感じられた。天気のよい日なら日中の気温は20℃近くまで上がる。だが空気の乾いた欧州では1日の寒暖の差が激しい。予報によれば朝晩は10℃以下まで冷え込むようだ。
リスボンの市街からほど近いYMEのガレージでは、精悍な顔つきのテネレ700が僕らを待っていた。色はイメージカラーである鮮やかなブルー。もう1台はホワイト/レッドの2トーンで、こちらは馴染みがなく却って新鮮だ。跨ってみると、一見した車体の大きさに対して、幅がスリムなので思ったより“足着き”がいい。身長180cmを超えるローリーは言うに及ばず、標準的な日本人体型(身長173cm)の僕でも不安はない(身長170cm以下の方にはローシートを勧めるが)。
走り出してすぐ、とても走りやすいバイクであることがわかり安心した。689ccパラレルツインは低回転域から安定したトルクを発揮し、アクセルを開ければ高回転域までモーターのような精緻さで回る。とはいえ決して“無機質”な訳ではなく、ビッグツインらしい鼓動感もしっかり感じさせてくれる。
YMEのスタッフに各部のチェックと調整を行ってもらい、僕らはいよいよモロッコを目ざすグランドツーリングへと出発した。
リスボン西部のテージョ河岸にある、大航海時代を記念した「発見のモニュメント」。船の船首に似せたコンクリート製の記念碑は52メートルもの高さがある。そして僕らの旅も心からスタートした。
桐島ローランド
1968年生まれ。ニューヨーク大学芸術学部写真科を卒業しフォトグラファーに。雑誌および広告写真などを中心に活躍する。現在はCyberHuman Productionsのテクニカルアドバイザー。学生時代からバイクに親しみ、オン/オフ問わずレースにも出場。2007年ダカール・ラリーに出場し完走を果たす。
河西啓介
1967年生まれ。早稲田大学卒業後、広告代理店勤務を経て自動車雑誌『NAVI』編集部員に。オートバイ雑誌『MOTO NAVI』、『NAVI CARS』などを創刊し編集長をつとめる。現在はフリーランスのモータージャーナリスト、編集者、プロデューサーとして活動する。