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XS-1 開発者インタビュー

展示コレクションの関連情報

XS-1の高い評価は、オーナーのみなさんが築き上げてくれたもの。
感謝の気持ちでいっぱいです。

PROFILE

五十嵐清夫氏
(いがらし・きよお)
XS-1のエンジン設計チーフ
藤森孝文氏
(ふじもり・たかふみ)
XS-1の走行実験担当
松島利則氏
(まつしま・としのり)
XS-1の車体設計チーフ

五十嵐:XS-1は、ヤマハ発動機にとって初めての4ストロークモデル。そのエンジン設計をやらせてもらったことは、大変ありがたく思っています。チャンスをくださり、指導をしてくださった先輩方。苦労を共にし、XS-1の完成度を高めてくれた仲間たち。そして何より、XS-1をいつまでも大切に乗ってくださっている多くのオーナーの方たちに対して、心から感謝の気持ちでいっぱいです。

藤森:私の場合は、XS-1の開発によって、大切なことをたくさん学ばせてもらったという印象が強いですね。当時の私は、腕利きの先輩ライダーに囲まれた、いわば走行実験チームの丁稚みたいな立場でした。XS-1開発チームのみんなと一緒に苦労しながら、改めて思えば、ヤマハ発動機の未来をどう作っていくのかというようなことを学んでいたのだと思うのです。

松島:私はXS-1の開発が終わって間もなく、設計バタケを離れて品質管理に異動してしまいました。このバイクが高い評価を受けたのは、そのあと、もう少し時間が経ってからのことだったと思います。XS-1の開発では、車体性能はもちろんですが、"どうやって物を作るか=生産工程"を考えて設計しなければならない、という基礎的な経験を積んだと思っています。

五十嵐:初めての試作エンジンができ上がって、火を入れた時の感動は格別でしたね。回り始めた瞬間、「おお、やった!」と歓声が上がりました。まるで初めて図面を引くような若い設計者と、ゼロから線を引いた4ストロークエンジンですから、みんなの思いはひとしおだったわけです。ただ、性能的には目標の3分の1もパワーが出なかった。

藤森:確かに、図面上で考えていたエンジンと実際にできたエンジンはずいぶんかけ離れていました。それで、火入れした日から手作り、手直しで性能アップの日々が始まる。社内でオートレースのエンジンを触ったことのある人にいろいろ教わったり……。それから試作や熱処理、2000GTの設計者など、社内はもちろん社外のタイヤメーカーさんやサスペンションメーカーさんからも教わることが多かったですね。苦労したぶん勉強できたということでしょう。

五十嵐:仕様が変更されるたびに発行される改訂通報という書類が、XS-1の場合2,500枚発行されましたので、少なくとも2,500回の試行錯誤があったわけです。

松島:デザインのほうは、GKデザイン(現・GKダイナミックス)の石山篤さんが担当されたのですが、あの方も妥協をしない。一方でこちらも必死ですから、時には正面からぶつかることもありました。なかでも印象的だったのは、サイドカバーのデザイン。アメリカのムスタングマッハ1の写真を持ってきて、サイドのエアインテークを指差しながら「こういうイメージなんだ。だからもっと絞ってほしい」と。こちらが「これが限界だ」と言えば、「いやもっとできるはずだ」と、いつまでもそれが続くんです(笑)。その他にもクランクケースカバーのバフがけや、スリムなフューエルタンクなど、デザイン上のこだわりは数え切れないほどありましたね。

五十嵐:発売した後もいろいろありました。その頃私は「申しわけありません、申しわけありません」って謝ってばかりいた気がします(笑)。特にオイル漏れの問題が発生した時は、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。特約店さんからクレームの連絡が入ると、リュックサックにシリンダーヘッドを入れて現場まで出かけて行き、販売店さんの店頭で対策パーツを取り付けながら、「ご迷惑をおかけしました」と土下座をして謝った。

藤森:そうそう。その対策のために設計と実験のチームが集まって、日が暮れるまで作業しました。私はブーツのまわりにオイルの飛散を防ぐウエスを巻いて、朝から晩まで谷田部のコースを走っていました。いまでこそ感動という言葉を使って、バイクに味付けをしていく実験の仕事が確立されていますけれど、当時は文字どおり壊れるまで走り回るのが仕事。"どんな楽しさを出すか、どんな味付けをしていくか"うんぬんより、性能と耐久性を引き出すことが第一条件でしたからね。

五十嵐:でも、XS-1がお客さまに愛されているとわかって、報われました。いつ頃でしたか、XS-1が60台ほど集まるオーナーミーティングに招かれて、本当にきれいに乗ってもらっている姿を目の当たりにした時の感動はいまも忘れません。フィンの一枚一枚まできれいに磨き上げられていて、XS-1の開発に携わって本当によかったと思いました。

松島:本当にそのとおりですね。ありがたいことです。

藤森:いろいろな意味で、XS-1はかけがえのないモデル。私個人にとってもヤマハ発動機にとっても、楽しさを作り込む姿勢を認識した原点だと思いますし、YZF-R1へと続くヤマハ4ストロークスポーツの技術と精神は脈々と受け継がれています。私は一線を退きましたが、いまでも若いテストライダーたちに「XS-1」を教材として使い、「楽しさとは何かを感じてほしい」と言い続けています。

※このページのプロフィール、および記事内容は、2004年1月の取材によるものです。
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