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RZV500R 開発者インタビュー

展示コレクションの関連情報

社長のひと言で決まった開発計画

PROFILE

橋本秀夫氏(はしもと・ひでお)
RZV500Rの初期プロジェクトリーダー、車体設計担当
高田正隆氏(たかだ・まさたか)
RZV500Rエンジン設計担当
鈴木章高氏(すずき・あきたか)
RZV500Rエンジン実験担当
福沢美好氏(ふくざわ・みよし)
RZV500Rの走行実験リーダー

橋本:RZV500Rは、RZ350を国内導入したあと、企画を作り始めたんだよね。RZ250のおかげで「ヤマハの2ストロークはスゴイ」という評判がたって、「これはもう行くところまでいくしかないんじゃないの?」と。

高田:当時、ケニー・ロバーツが世界GPで3連覇したあと、V4エンジンのYZR500(OW61)を走らせていたところで、すごく勢いがあったから「よし、あのレプリカを作ろう!」って話になったんですよ。

橋本:ところがそのスケッチを描いている頃、社長に1回目の製品プレゼンテーションをしろと言われてね……。レースの成績はともかく、会社の業績が思わしくない頃だったから、こりゃ沈没するなあと半分あきらめていたら、「こういうモデルこそ今やらなきゃいかんな、ヤマハ発動機は」とOKが出た。うれしいのと、これは大変だ、という複雑な心境でしたね。

鈴木:でも、よくOKが出ましたね。

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RZV500Rイメージスケッチ

橋本:うん。RZも「ほんとうの2ストロークスポーツはこうだ」と思い切って作ったけれど、RZVはそれ以上に究極の2ストロークフラッグシップ、ファクトリーレーサーのレプリカを作ろうとしたわけで、売れるとか売れないとか考えてなかったからね(笑)。

高田:FJ1100とかFZ400とか、売れそうなモデルの企画は他にあったし……。

橋本:そうそう。社員やディーラーさん、販売店さんまで、みんな意気消沈していましたから、社長はどうすればヤマハ発動機が元気になるかと考えていたんじゃないかな。これをやったら儲かるぞ、なんてことよりも、「さすがヤマハ発動機はスゴイ!」と思わせる精神的なカンフル剤が必要だと……、たぶんね(笑)。

福沢:だからこそ、よけい妥協はできなかった。

橋本:エンジンの形態にもこだわったし、車両の形態にもこだわった……。我々は市販車しか作ったことがないけれど、最初からOW61を作ったレーサー部門から、いろいろと技術的なネタを仕込んで、レーサーレプリカといわれて恥ずかしくないものを作ろうとしたわけです。

高田:でも、残念ながらあんまり売れなかったなあ。

福沢:パワーウェイトレシオが国内仕様で2.7、海外向けのフルパワーモデルだと2.0。レーサーでも1.8とか1.7っていう時代だから、簡単には乗りこなせないですよ。

鈴木:価格も高かったしね。82万5000円? 当時の750ccスポーツが65万円くらいだったから、そう簡単には買えない。

橋本:いや最初は限定販売にしたくらいで、売れようが売れまいが関係ない。この商品の価値をわかってくれるファンが必ずいるんだと信じて作った、いわば「特別なお客さまのために用意したプレミアムな1台」なんだから。


絶妙な吸排気のバランスで成り立つV4
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橋本:最初に仕様が決まったのは、OW61と同じ、2ストローク500ccのV4エンジン。それをもとにスケッチを起こしながら、やはりOW61を目標に、できるだけ軽量・スリム・コンパクトな車体にしようとホイールベースを1375mmに決めたんだよね。

高田:私に話が回ってきた時は、V4エンジンの大まかなレイアウトまで決まっていて、バランサーをどうしようかとか、キャブレターをどうやって収めようかとか、そういう部分をすり合わせながら詳細を詰めていったんです。

福沢:確か、バランサーを2本のクランク軸の間に挟むために、Vバンクを広げて50度にしたんじゃないかな。

高田:そこにキャブレターとマニホールド、そしてエアクリーナーを収めなきゃいけないから、本当は50度でも大変だった。

鈴木:ヘッドパイプの後ろにエアクリーナーがあって、そこからダクトで左右に吸気を分け、それぞれ車体の外側から前後2気筒分のキャブレターにつながり、キャブレターから混合気がL字型のマニホールドを通って4つのシリンダーに入る……(笑)。かなり知恵の輪的なレイアウトです。

高田:そう、90度曲がるんですよ、吸気マニホールドが。すると当然吸気の流れにロスが発生するので、試作品を作って検証した覚えがある。

鈴木:でも私が一番気になったのは、前と後の気筒で吸気方式が異なること。前列2気筒はクランク室リードバルブ、後列はピストンリードバルブという特殊なレイアウトだったんです。別のエンジンをやっていた時に、クランク室リードの方が出力的に有利で、ピストン打音というメカノイズも低いことがわかっていたから、クランク室リードにそろえて欲しいと主張したんですが、いろいろ努力した結果うまくいかず、性能開発でずいぶん苦労しました。後列気筒は吸気方法が違うだけでなく、排気管の長さを確保するのも難しくて、なかなか前列と同等の性能に届かなかった。

高田:だから最初は、前と後ろを別々に性能開発したんだよね。



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鈴木:わざわざ2気筒ずつ、吸気方法とマフラーの取り回しが異なるエンジンを手作りして、性能開発して、キャブレターセッティングして、それを合体してベンチに架けるんです。ところが、2本のクランク軸出力がバラバラだと、不正燃焼を起こしてギクシャクしてしまう。そこで、うまくバランスを取るためにキャブレターセッティングがすごく重要になる。ベンチで見当を付けておいて、福沢さんと2人でテストコースへ行き、現場でああでもないこうでもないと試行錯誤の連続でした(笑)。

福沢:そうでしたね~。吸気システムが前後で違うし、爆発順は斜めたすき掛け、排気管の取り回しもバラバラ。2つどころか、4つ別々のエンジンを繋いでいるようなものだから、キャブレターセッティングも気筒ごとに違うんです。アクセルをパッと開けた時にコンマ2、3秒のタイミングで"燃える感じ"をつかもうとするんですが、なかなか4発がそろわない。これは4番気筒がガスを欲しがってるとか、3番はニードルを少し絞らなきゃとか、そういう判断力を養ういい勉強になりました。でもそのうち、4つの気筒のチームワークができてくる(笑)。最初はバラバラバラバラって回ってたエンジンが、そのうちどこかの回転域でウワーン……と調和する。そのポイントをどこに決めるか、みたいなことを我々走り手は積み重ねていったわけです。

鈴木:私は、言われるままハイハイとベンチのデータを頭に浮かべてセッティングし直していただけですけど、整備手順が大変で、カウルを外してエアクリーナーを外して、さあキャブレターをバラしてってやってると、1回30分コース(笑)。

福沢:そのうち、以前の症状がどうだったか忘れちゃうんですよ(笑)。

高田:機構の上では、不思議歯車を使ったこともRZVの特徴かな。

橋本:あったね、不思議歯車!

高田:2軸クランクの構造上、どうしてもバックラッシュ(ギアの遊び)の変動が大きいので、かなりメカノイズが出るんです。そのためドライブ側に、不思議歯車という、歯数が1枚違うギアを2枚重ねしたものを使ってバックラッシュを吸収させた。

鈴木:もうひとつ、このエンジンは排気ポートの下まで水がまわるよう、シリンダー全体に冷却水ジャケットを伸ばしてあるんです。おかげで、限界の焼き付きテストをしてもまったく平気でした。

高田:そのためボディシリンダーの端面に余計な穴(冷却水ジャケット)が空いてるもんだから、シリンダーを塗装する時はひとつひとつゴムで穴を塞いでもらってた。不思議歯車や吸気系もそうだけど、RZVは組むのに相当手間がかかるモデルだったんですよ。今、私は製造部門で品質管理の仕事をしていますが、当時RZVに携わっていた方と話をすると、「なんだおまえが図面を引いてたのか!」って怒られたりする(笑)。


2ストロークフラッグシップを担うプライド
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橋本:製造部門に苦労をかけたのは、アルミフレームもそうだった。

福沢:開発はずっとスチールで進めていて、最後に国内向けのアルミフレームを作ったんですよね。

橋本:アルミの量産フレームはこれが初めてで、溶接も何もまったくノウハウがなかったから工場は大変だった。それでもヨーロッパの半年遅れで市場導入できたのは、製造部門のすごい努力があったからこそ。

鈴木:だけど、今考えれば、どうして国内だけアルミだったのかな(笑)。

橋本:国内仕様は、エンジンの馬力規制があるから車体をできるだけ軽くしたかった。それと、本物(OW61)に近い質感が欲しかったことも大きな理由だね。

福沢:アルミの開発は、基本的にスチールフレームの外形を踏襲しつつ、国内向けエンジンに合わせて剛性バランスや各部のセッティングを詰めていったんですが、細部の作り込みは凝ってましたね。バンク角を稼ぐためにダウンチューブなどが面取りしてあって、四角じゃなく五角形断面パイプだった。

高田:乗り比べると、やはりアルミとスチールはかなり違う?

福沢:フィーリングは全然違いましたよ。アルミフレームにフルパワーエンジンを載せても性能にまったく不足はないけれど、開発が先行したスチールの方が車体としてはまとめやすかった。

橋本:タイヤもRZV専用品だったよね。

福沢:最高速度230km/hなんてモデルはほかにないし、パワーウエイトレシオが2.0というのは当時のレーサーに近いから、フロントの荷重が足りないと簡単にウイリーしてしまう。だけど、単純に前を重くすると切り返しまで重くなるので、操縦性の軽いフロント16インチホイールを使ったわけです。ところが、小径ホイールは路面衝撃を受けると跳ねやすいので、それを吸収できる性能と速度域に見合う耐久性を持つタイヤでなければならない。それで、タイヤメーカーさんも一緒に頑張ってくれた。

橋本:そのくらい、担当者はみんなプライドを持ってたんだよね。

高田:うん、それは確かです。

鈴木:何といっても"2ストロークのヤマハ"ですから、そのフラッグシップとなればよけい気持ちが入るし、モチベーションも高かった。今となっては一生の誇りですよ。

※このページのプロフィール、および記事内容は、2004年10月の取材によるものです。
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