1992年
ヤマハが1992年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
500ccエンジンのリースが本格始動
レイニーが3年連続チャンピオン獲得
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500ccの呼称は「GP1」と改定され全13戦の開催。得点計算は全ポイント加算方式に戻った。ヤマハは3台のファクトリーYZR500を投入。この中でマールボロヤマハチームロバーツのW・レイニーは3年連続チャンピオンを獲得。シーズン中盤まで優位にあったM・ドゥーハン(ホンダ)を抑えての3連覇だった。ただ、コンストラクタータイトルは、ホンダに譲ることとなった。
この年、特筆すべきはヤマハによるGP活性化政策の推進だった。この頃500ccクラスは出場台数の減少が著しく、そのクラスの存続自体が危惧されていたが、ヤマハはGPレースの振興のための活動を進めた。前年の1991年からはYZR500リースを開始していたが、1992年からはヤマハYZR500のエンジンについて欧州コンストラクターへの販売を開始。その結果ヤマハエンジン搭載車のグリッド占有率は、66%(日本GPの例)に及び、同クラスの参加選手数も回復、レース活性化に貢献。ヤマハエンジンを搭載し、各国、各コンストラクターのマシン作りの思想が反映された500ccマシンは、GPレースをより興味深いものとした。最終的にこの年のポイントを獲得できた28選手のうち17選手がヤマハエンジンでの活躍で、ヤマハはチャンピオン獲得という照準だけでなく、レース振興を図る姿勢を示した。
レイニーの開幕は順調な滑り出しではなかった。開幕戦日本GPでは2周目に転倒リタイア。第2戦オーストラリア、第3戦マレーシア、第4戦スペインまでは、いずれもドゥーハンと競り合いながらも2位に留まり、ドゥーハンの開幕4連勝を許した。第5戦イタリアではトップ走行中12周目に転倒リタイア。第6戦ヨーロッパでようやく今季初の優勝を飾った。さらに第7戦ドイツでは予選中に転倒し手を痛めレース中盤リタイア。第8戦オランダは不参加となったが、このときポイントリーダーのドゥーハンも予選中に転倒して右足を骨折し、ともにレースに出場できなかった。 レイニーはカムバックした第9戦ハンガリーで5位。第10戦フランスでシーズン2勝目、第11戦イギリス2で位、そして8週間ぶりにドゥーハンが参加した第12戦ブラジルでは3勝目を飾り、ドゥーハンとの差を2ポイントにし最終戦南アフリカを迎えたのだった。
この最終戦、レイニーが3周目までトップだったが4周目にコシンスキーが首位にたち以後独走して優勝。一方のレイニーは、W・ガードナーに続き3位、この日6位に留まったドゥーハンを逆転し3年連続タイトルを手中にした。チームメイトのコシンスキーは、優勝1回、2位2回、3位2回でランキング3位となった。
ドイツのシュミットがランキング7位
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J・シュミットは、欧州のヤマハカップ出身ライダーで、この年はミツイドイツからTZ250Mを駆り参戦。フランスGPで4位に入る活躍を見せるが、全13戦のうち3戦はノーポイントに終わりランキング7位でシリーズを終えた。
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Cate. Rider Machine 500cc Wayne Rainey YZR500(0WE0) 500cc John Kocinski YZR500(0WE0) 500cc Juan Garriga YZR500(0WE0) 250cc Jochen Schmid TZ250M
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 500cc W. Rainey Yamaha 140 2 500cc M. Doohan Honda 136 3 500cc J. Kocinski Yamaha 102 4 500cc K. Schwants Suzuki 99 5 500cc D. Chandler Suzuki 94 6 500cc W. Gardner Honda 78 7 500cc J. Garriga Yamaha 61
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Pos. Constructor Point 1 Honda 216 2 Yamaha 195 3 Suzuki 127 4 Cagiva 79 5 ROC Yamaha 22 6 Harris Yamaha 9