1991年
ヤマハが1991年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
W・レイニーV2達成
W・レイニー、2年連続タイトル獲得
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1991年、ヤマハファクトリーは6台体制。新たにYZR500のシートを得たのは1990年AMAスーパーバイクチャンピオンのD・チャンドラーと世界耐久などで実績をもつA・モリヤスの2人だった。この中でマールボロヤマハチームロバーツのW・レイニーは15戦中6勝を飾って2年連続チャンピオンを獲得、ヤマハも同クラス7度目のコンストラクタータイトルを獲得した。またヤマハは、シーズン終盤から世界GP及び全日本選手権に出場する有望チームに対し、ファクトリーマシンYZR500のリースを開始、レースの活性化のための活動を展開した。
ライダーチャンピオンは全15戦のうち成績のよい13戦の得点が有効得点となる新ルールとなった。レイニーは第14戦のルマンまでに優勝6回、1位4回、3位3回などの成績をあげ、有効得点が233点に達したため、最終戦のマレーシアGPを待たずしてチャンピオンを決定。ランキング2位はM・ドゥーハン(ホンダ)だった。
開幕戦日本GPは、K・シュワンツ(スズキ)が優勝、ドゥーハン2位、レイニー3位、コシンスキー4位で幕を開けた。レイニーは続く第2戦オーストラリアで優勝しランキングに立つと、第3戦アメリカGPも優勝。しかし第4戦スペインでは、上位を走りながらもタイヤの滑りが激しくなり3位を守るに留まる。これでドゥーハンにランキング首位を明け渡してしまい、その後その順位のまま第8戦まで続く。レイニーは後半、第8戦ハラマで3勝目。続くオランダでは終盤まで首位を走るが、ラスト100mのシケインでダートに乗り上げた隙にシュワンツに抜かれ2位。一方のドゥーハンはこのオランダで転倒リタイア、この結果レイニーがランキングトップに返り咲いた。その後は第10戦フランスで4勝目。第11戦イギリス2位、第12戦サンマリノ、第13戦チェコスロバキアで2連勝。終盤第14戦ルマンでは、シュワンツ、ドゥーハン、レイニー、コシンスキー、W・ガードナーの5人のトップ争いで息を飲む展開となるが、シュワンツが優勝。レイニーは3位でゴールし、最終戦を待たずしてタイトルを決めた。
マレーシアでの初GPとなった最終戦、しかしテスト走行中にレイニーとシュワンツが転倒負傷して出場できず、ファンは落胆。レースではポールポジションを獲得していたコシンスキーが、ガードナー、ドゥーハンを抑えてGP500初優勝した。
TZ250Mのカソーリがランキング10位に終わる
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前年のチャンピオンマシンYZR250に替わり、市販レーサーをベースとしたTZ250Mをヤマハは投入、ドカドスヤマハチームからA・プーチ(スペイン)、アゴスチーニヤマハのP・カソーリ(イタリア)がTZ250Mでフル参戦。ホンダは主力選手にファクトリーマシンを準備し、ランキングは上位5位までをホンダが独占した。カソーリがランキング10位に終った。
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Cate. Rider Machine 500cc Wayne Rainey YZR500(0WD3) 500cc John Kocinski YZR500(0WD3) 500cc Jean-Philippe Ruggia YZR500(0WD3) 500cc Adrien Morillas YZR500(0WD3) 500cc Juan Garriga YZR500(0WD3) 500cc Doug Chandler YZR500(0WD3) 250cc Alberto Puig TZ250M 250cc Paolo Casoli TZ250M
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 500cc W. Rainey Yamaha 233(240) 2 500cc M. Doohan Honda 224(239) 3 500cc K. Schwantz Suzuki 204 4 500cc J. Kocinski Yamaha 161 5 500cc W. Gardner Honda 161(167) 6 500cc E. Lawson Yamaha 126 7 500cc J. Garriga Yamaha 121(125) 9 500cc D. Chandler Yamaha 85 10 500cc J.P. Ruggia Yamaha 78 11 500cc A. Morillas Yamaha 71
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Pos. Constructor Point 1 Yamaha 242(272) 2 Honda 226(256) 3 Suzuki 204(220) 4 Cagiva 130