1983年
ヤマハが1983年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
最終戦、ケニーは僅差でタイトルを逃す!
GP史に残るタイトル攻防戦
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1983年も全12戦の開催、ヤマハYZR500はK・ロバーツ、GPフル参戦初となるE・ローソン、そしてM・フォンタンに託された。YZR500は、V型4気筒2代目のOW70。デルタボックス型フレームやフロント17インチなどが特徴だった。タイトル争いはこのV型4気筒を駆るロバーツと、ホンダV型3気筒を駆るF・スペンサーの一騎討ちとなり、2人は優勝6回ずつ、2位3回ずつ、ポールポジション6回ずつというGP史上例のない激闘がシリーズ戦を盛り上げた。結局2ポイント差でロバーツはランキング2位。ローソンはランキング4位となった。
スペンサーの6勝、ロバーツの5勝で迎えた最終戦、タイトル争いの決着はサンマリノGP、9月のイモラが舞台だった。この時点でスペンサーが5ポイント差でリードしており、ロバーツの逆転タイトル獲得には、ロバーツがスペンサーに5点以上の差をつける必要があった。仮にロバーツが優勝しても、スペンサーが2位となればスペンサーのタイトルが決まるという得点差。ポールポジション発進のロバーツは、順調に走ってこの日、6勝目を飾る。一方スペンサーの2位入賞を阻止できる最有力候補だったローソンは、スペンサーを抜くには及ばず、スペンサーに6秒遅れの3位でゴール。これでスペンサーのチャンピンが決まった。
ラバードが初タイトルを獲得
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南アの開幕戦から第3戦イタリアまでで3人のウイナー(いずれもヤマハTZ250)が誕生する混戦の幕あけ。そこから抜け出したのが第3戦の勝者、C・ラバードだった。ラバードは第4戦西ドイツでも優勝、その後スペインとオーストリアでは7位に甘んじたものの、第7戦ユーゴスラビア、第8戦オランダと2連勝。一挙にポイントを重ねチャンピオン戦線の筆頭に躍り出る。第9戦ベルギーで3位となるが、大詰めの第10戦イギリスGPで4位に入り、最終戦を待たずしてタイトルを決めた。チェコットに続く、ベネズエラが生んだ2人目の世界チャンピオンとなった。コンストラクタータイトルも、2年連続でヤマハが手中にした。
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Cate. Rider Machine 500cc Kenny Roberts YZR500(0W70) 500cc Eddie Lawson YZR500(0W70) 500cc Marc Fontan YZR500(0W70)
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 500cc F. Spencer Honda 144 2 500cc K. Roberts Yamaha 142 3 500cc R. Mamola Suzuki 89 4 500cc E. Lawson Yamaha 78 5 500cc 片山敬済 Honda 77 6 500cc M. Fontan Yamaha 64
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Pos. Constructor Point 1 Honda 158 2 Yamaha 154 3 Suzuki 98