1982年
ヤマハが1982年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
G・クロスビー、未勝利ながらヤマハ最上位
ニュージーランドのクロスビーがランキング2位
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1982年は全12戦の開催、ヤマハYZR500はK・ロバーツ、B・シーン、G・クロスビー、M・フォンタンに託された。この中でクロスビーは、未勝利なら2位1回を含む5度の表彰台を獲得、ヤマハ最上位のランキング2位となった。タイトルは5勝を飾ったスズキのF・ウンチーニとなった。
このシーズンは、ホンダの参戦も話題となった。F・スペンサーがホンダ水冷3気筒マシンで出場。南アフリカのK・バリントンもカワサキ500ccを駆り参戦、日本の4メーカーが顔を合わせた。この年からダンロップタイヤを使用したロバーツは、まずは開幕戦のアルゼンチンGPで優勝、シーンも2位に入りヤマハワンツーで順調な滑り出しとなった。第2戦オーストリアでは新型YZR500(0W61)をヤマハは発表した。水冷2ストロークV型4気筒マシンで、500cc2ストロークGPマシンとして初のV型4気筒。この日、ロバーツはこの新型を駆り3位表彰台に上った。だが悲しい出来事が起きた。第4戦スペインGPを10日後に控え、スポーツランドSUGOでYZR500をテストしていた高井幾次郎は第1コーナーで転倒、マシン開発に尽力した生涯を完全燃焼させた。
ロバーツは、その悲しみも冷めやらぬスペインGPで、0W61を駆りシーンとともにワンツーを飾ってシーズン2勝目を飾る。その後ロバーツはミサノ4位、オランダ2位、ベルギー4位に入るが、終盤の4レースはトラブルなどが続き結局ランキング4位に終わった。一方でスペンサーはベルギーGP優勝(ホンダ車初の2ストロークでのGP勝利)などで、ランキング3位だった。
TZ250&トルナードがタイトル獲得
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1970年代後半から1980年中盤まで、GP250ccクラスでは、市販レーサーのヤマハTZ250が多数派となっていたが、タイトルはファクトリー参戦のカワサキが1978~1981年と4連覇していた。そうした中、1982年はヤマハを駆るフランスのJ・L・トルナードとドイツのA・マンク(カワサキ)が熾烈な争いを展開し、僅か1点差でトルナードがタイトルを獲得。ヤマハのタイトルは、1973年のD・ブラウン以来通算8回目。またコンストラクタータイトルも、5年ぶりにカワサキから奪還した。
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Cate. Rider Machine 500cc Kenny Roberts YZR500(0W60/0W61) 500cc Barry Sheene YZR500(0W60) 500cc Graeme Crosby YZR500(0W60) 500cc Marc Fontan YZR500
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 500cc F. Uncini Suzuki 103 2 500cc G. Crosby Yamaha 76 3 500cc F. Spencer Honda 72 4 500cc K. Roberts Yamaha 68 5 500cc B. Sheene Yamaha 68 6 500cc R. Mamola Suzuki 65 10 500cc M. Fontan Yamaha 29 12 500cc B.Van. Dulmen Yamaha 23
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Pos. Constructor Point 1 Suzuki 154 2 Yamaha 133 3 Honda 106 4 Kawasaki 31 5 Sanvenero 17 6 Cagiva 1