1981年
ヤマハが1981年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
バリー・シーン、最終戦で優勝
“キング”K・ロバーツ&“サー”B・シーンの競演
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K・ロバーツが本社契約ライダーとして参戦し4連覇をめざした。そして英国で“サー”の称号をもつB・シーンがヤマハチームに加わり、世界の頂点にたつ英米のライダーがYZR500を走らせることになった。また各国代理店契約で4選手が市販TZ500を駆り参戦。スズキ勢とのタイトル争いを展開したが、ロバーツが2勝してランキング3位、シーンは1勝でランキング4位に終り連覇はならなかった。タイトルは中盤以降調子をあげてきたスズキのM・ルッキネリのものとなった。
ロバーツはこの年、新型YZR500(OW54)で参戦した。エンジンは従来の並列4気筒ではなく、4つの気筒を正方形状に並べた「スクエア4」型でヤマハGP用エンジンとしては、初のレイアウトだった。しかし開幕戦で好調だったのはスズキ勢。初戦ザルツブルクでは、ロバーツがリタイアする中、R・マモラ、G・クロスビー、河崎裕之のスズキが表彰台を独占する。挽回を図るロバーツは第2戦ホッケンハイム、第3戦モンツァではこの新型マシンを駆って2連勝し、中盤からも波にのるかに見えたが、その後ブレーキトラブルなどアンラッキーが影響し力を出し切れずにシーズンを終えた。
一方、シーンはシリーズ序盤並列4気筒のYZR500(OW53)で出場、開幕戦4位、続く2戦を6位・3位で終えると、第4戦フランスからはロバーツ同様のスクエア4搭載YZR500(OW54)で出場。フランス4位、ベルギー4位、イモラ2位と上位フィニッシュを飾るがノーポイントもあり終盤まで苦しい展開が続いた。しかし激しい雨の中でのレースとなった最終戦スウェーデンでは歯車が噛み合い本来の力を発揮。ポールポジションから発進、ファステストラップを記録、2番手のB・ファンドルメン(ヤマハ)を僅差で制しシーズン初優勝を飾った。なおこの年、YZR500開発ライダーの高井幾次郎はイギリスGPに出場して8位となった。
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Cate. Rider Machine 500cc Kenny Roberts YZR500(0W54) 500cc Barry Sheene YZR500(0W53/0W54) 500cc 高井幾次郎 YZR500(0W54)
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 500cc M. Lucchinelli Suzuki 105 2 500cc R. Mamola Suzuki 94 3 500cc K. Roberts Yamaha 74 4 500cc B. Sheene Yamaha 72 5 500cc G. Crosby Suzuki 68 6 500cc B.van Dulmen Yamaha 64 21 500cc 高井幾次郎 Yamaha 3
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Pos. Constructor Point 1 Suzuki 105 2 Yamaha 124 3 Kawasaki 43