1973年
ヤマハが1973年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
最高峰500cクラスへ参戦開始
サーリネン&YZR500、デビュー戦優勝
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1969年以降、GPへのファクトリー参戦を休止していたヤマハは、この年の4 月の開幕戦フランスGPに登場、最高峰500ccへの初参戦としてGPに復活した。このクラスでは1966年にホンダがコンストラクタータイトルを獲得していたが、その後は休戦していた。1970年代序盤は4ストロークのMV アグスタが連勝街道を進んでおり、2ストローク勢は4ストロークの速さについていけない状況だった。そうした中、前年TZ250のプロトタイプでチャンピオンとなったフィンランドのJ・サーリネンと日本の金谷秀夫がヤマハ初の500ccGPマシン、YZR500を駆った。開発呼称0W20(0Wは「ゼロ・W」だが、オーダブリューと呼ばれる)だった。ライバルはこの年MVアグスタに移籍したリードとなった。
ポールリカールでの決勝は20周、サーリネンは、4ストロークのリード(MV アグスタ)に16秒差で優勝、デビュー戦を優勝で飾った。金谷も3位に入賞。2週間後、ザルツブルクの第2戦もYZR500は快調でサーリネン、金谷がワンツー。第3戦西ドイツのサーリネンは、コースレコードを記録するが、チェーン切れでレースを落とすが、ヤマハのこのクラスでの活躍は、グランプリシーンに強い印象を与えていた。
しかし第4戦イタリアで悲劇は起こった。500ccレースの前に行われた250ccレースの開始直後、コース上のオイルにのった先行マシンが横向きになり、これにこのクラスにも出場していたサーリネンが突っ込み空中高く跳ね上げられコースに落下。ヘルメットは無残にも真二つに割れ帰らぬ人となった。レースは250ccも500ccもキャンセルされた。ヤマハチームは、この事故の後、ロードレースへのファクトリー参戦を取りやめ、哀悼の意を示した。
ヤマハ、初のコンストラクタータイトルを獲得
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500ccクラスでの悲劇で、ヤマハチームはGP参戦を取りやめたが、他のカテゴリーではヤマハを駆るプライベイト選手が活躍した。350ccクラスでは、フィンランドのT・ランシボリの3勝など、ヤマハを駆る選手の活躍でヤマハにとって初の350ccコンストラクタータイトル獲得をもたらした。
ブラウンがタイトル獲得!
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ヤマハの市販レーサーを駆りD・ブラウンが4勝を飾りタイトルを獲得した。またコンストラクタータイトルもヤマハが獲得、このクラスで通算7度目、4年連続でライダー&コンストラクタータイトルの獲得となった。
アンダーソンがタイトル獲得!3度目のコンストラクタータイトル獲得
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125ccでは、K・アンダーソンがシーズン5勝を飾り初のチャンピオンを獲得。ヤマハライダーの125cc世界チャンピオンとしては、1967年のB・アイビー、1968年のP・リードに続く3人目。またこのクラスでのライダー&コンストラクタータイトル獲得も3度目となった。
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Cate. Rider Machine 500cc Jarno Saarinen YZR500(0W20) 500cc 金谷秀夫 YZR500(0W20)
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 500cc P. Read MV Agusta 84(108) 2 500cc K. Newcombe König 63(69) 3 500cc G. Agostini MV Agusta 57 4 500cc W. Giger Yamaha 44(48) 5 500cc J. Findlay Suzuki 38 6 500cc B. Kneubuhler Yamaha 34 7 500cc J. Saarinen Yamaha 30 8 500cc 金谷秀夫 Yamaha 22
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Pos. Constructor Point 1 MV Agusta 90(117) 2 Yamaha 76(115) 3 König 65(79) 4 Suzuki 50(58) 5 Harley Davidson 16 6 Kawasaki 14