1970年
ヤマハが1970年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
R・ゴールドが市販レーサーでタイトル獲得
市販レーサーTD-2、ランキング上位独占
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1969年からヤマハのファクトリー参戦休止により、市販レーサーTD-2がGP250ccでの主力となり、1970年に入るとグリッドの大半をTD-2が占めるようになった。この1969年は、R・ゴールド(GBR)、K・キャラザース(AUS)、K・アンダーソン(SWE)、J・サーリネン(FIN)ら各国の強豪がTD-2を駆り、ヤマハ選手同士の熾烈なタイトル争いが見られた。全12戦中、TD-2が表彰台中央を逃したのはユーゴスラビアの1回だけだった。ヤマハライダーによる接近戦が最も象徴的だったのは第11戦イタリアGPで、ここでタイトルも決定。コンマ03秒差で、ゴールドがキャラザースの僅か先でゴールしてチャンピオンを決めたのだった。
ゴールドの優勝で幕あけとなった1970年。前半注目の的となったのが6月のマン島TTだった。250ccクラスは100台のエントリーの中、キャラザース、ゴールドのTD-2コンビが1、2位と活躍した。約60kmのコースを6周するこのレース。3周目からトップに立ったキャラザースは、2位ゴールドに3分以上の大差で優勝。この2人は、ともに同年のチャンピオン候補としてクローズアップされていくのだった。なお、この大会元チャンピオンのP・リードは負傷で欠場した。
その後、シリーズ戦はゴールドがオランダ、べルギー、東ドイツでの3連勝を含む活躍でランキング首位を走る。第9戦アイルランドGPを終えた段階で、ゴールド5勝、キャラザース3勝。そして9月の第10戦イタリアGPを迎える。タイトル防衛のためにはこのレースを絶対落とせないキャラザースと、初タイトルを目指すゴールドとの争いが注目された。順調にスタートしたゴールドに対して、キャラザースは始動に手間取り13秒もロスしてしまう。序盤こそMZのファクトリーマシンがペースメーカーとなるが、5周目にトラブルでリタイアすると、ゴールドが首位に躍り出る。一方のキャラザースは確実に追い上げ、8周目にはトップ集団に加わる。20周のレース後半は、ゴールド、キャラザース、リードとヤマハトリオが目まぐるしく首位を入れ替える接戦。ゴールラインまであと半マイルの最終コーナーの突っ込みで、ゴールドはブレーキングを遅らせキャラザースのインをつく。これで2人は横一列に並んでチェッカーを目指すことに。しかし2人の前を走る周回遅れをかわすときの一瞬の判断の差が、レースに終止符をうった。ゴールライン通過は両車全く同時に見えたが、写真判定では、ゴールドの約半車身リードを示していた。コンマ03秒差の僅差。かくしてゴールドはシリーズ6勝目を飾り、最終戦をまたず初のチャンピオンに輝いた。キャラザースに1秒遅れでリードが3位。ヤマハのTD-2トリオの上位独占となったこの日は、タイトル決定戦に相応しいドラマチックなレースだった。
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 250cc R. Gould Yamaha 102(124) 2 250cc K. Carruthers Yamaha 84 3 250cc K. Andersson Yamaha 67 4 250cc J. Saarinen Yamaha 57 5 250cc B. Jansson Yamaha 34 6 250cc C. Mortimer Yamaha 30 12 250cc P. Read Yamaha 22
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Pos. Constructor Point 1 Yamaha 105(177) 2 MZ 55(57) 3 Ossa 27 4 Aermacchi 10 5 Suzuki 9