1969年
ヤマハが1969年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
GPレース向け市販レーサーを発売
市販レーサーTD-2を駆りK・アンダーソンがランク2位
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1969年、ヤマハはファクトリーマシンでのGP参戦を休止、一方で市販レーサーのTD-2(250cc)、TR-2(350cc)を発売し、レースを志す幅広いライダーのニーズに呼応した。TD-2に乗る各国の有望なライダーがGPに参戦。なかでも、純白のレーシングスーツ鮮やかなスウェーデンのK・アンダーソンが健闘、優勝2回、2位2回、3位3回などの活躍をみせランキング2位となった。
開幕戦を2位で終えたアンダーソン、その実力を披露したのは、第2戦西ドイツ、ホッケンハイムだった。スタート直後MZ勢が飛び出し、ヤマハのゴールドとアンダーソンがこれに続く展開。終盤R・ゴールドがリタイアするが、焦点はアンダーソンとMZ勢の一騎討ちとなり、ラスト3周で首位たったアンダーソンがGP初優勝を飾った。その後、アンダーソンはマン島を除いて毎戦確実にポイントを稼ぎ、第9戦フィンランドGPでは、ベネリ、MZのワークスマシンを相手に大接戦を展開。12周目にトップにたつと、その後はペースアップし、1966年にM・ヘイルウッドがホンダでマークした2分34秒のラップ記録を上回る2分32秒1を叩き出し2勝目を飾った。
このシリーズ戦でのハイライトは、9月7日イモラでの第11戦イタリアGP。ここで旧型のファクトリーマシン2気筒を駆り出場したリードは、ベネリの4気筒のK・キャラザースと激しく首位を争った末優勝。またリードはこの日350ccクラスで市販レーサーのTR-2を駆りヤワの4気筒ライダーを抑えて優勝、2クラス優勝を飾った。250ccのほうで3位となったアンダーソンのチャンピオン争いは、最終戦に持ち越されたのだ。
そして9月14日の最終戦ユーゴスラビア。ここでアンダーソンが優勝すれば、市販レーサーによる世界チャンピオン誕生となるレースだったが、ベネリ4気筒のキャラザースには6秒及ばす3位でゴール。チャンピオン達成とはならなかった。
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 250cc K. Carruthers Benelli 89(103) 2 250cc K. Andersson Yamaha 84(108) 3 250cc S. Herrero Ossa 83(88) 4 250cc R. Pasolini Benelli 45 5 250cc B. Jansson Kawasaki/Yamaha 45 6 250cc R. Gould Yamaha 44 13 250cc P. Read Yamaha 15
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Pos. Constructor Point 1 Benelli 102(124) 2 Yamaha 93(139) 3 Ossa 83(91) 4 MZ 58 5 Suzuki 36 6 Kawasaki 28