1963年
ヤマハが1963年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
ベルギーGPでグランプリ初優勝
全4戦に出場、ベルギーGPでヤマハの伊藤が初優勝!
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1963年、ヤマハは2年ぶりにGPロードレースに参戦した。投入マシンは空冷2ストローク2気筒を搭載するRD56だった。マン島TT、オランダ、ベルギー、日本の4レースに出場した。2年前1961年の初参戦のシーズンは、マン島TTレースで伊藤史朗が6位に入賞していたが、さらに上位を狙っての参戦だった。このマン島TTレースの250ccクラスで、ヤマハは迫力ある好レースを展開。2位に伊藤、4位に長谷川弘が入り「2ストロークのヤマハ強し」を示した。2ストロークレーサーがTTレースの250ccクラスの上位に入賞したのは、第2次世界大戦後初めてのことで、伊藤は日本人として初めてTTレースの表彰台に立った。
このシーズン、参戦2レース目となるオランダ、コースは一部に公道を取り入れた1周7.70kmで、ほとんどが平坦だが、様々な半径のコーナーが連続するスロースピードコース。前評判としては、イタリアのモリーニが日本のヤマハ、ホンダに対しどのようなレース展開をするか、またヤマハがいかに“エンジン・ブレーキのウイークポイント”をカバーするかに関心が集まった。好天のもと観衆は15万余り。まずリードを奪ったのが伊藤。続いて伊藤を追ったのがホンダのJ・レッドマンで、このシーズン第1~2戦で連続優勝を飾っているモリーニのT・プリヴィニは、一度もヤマハに挑戦することなく終わった。レースは日本車同士、つまり伊藤VSレッドマンの闘いとなり、結果はマン島TTレースと同様の成績、レッドマン1位、伊藤2位となった。また4位に砂子義一が入った。
続く第5戦ベルギーGP、会場のスパ・フランコルシャンでヤマハはGP初優勝を飾る。スタートとともに勢い良く飛び出したのはベネリの4気筒だったが、ヤマハRD56は開始直後、瞬時にトップを奪っていった。1周を終えての順位は砂子義一、伊藤の順で、早くもヤマハ勢はベネリ4気筒、モリーニ単気筒、ホンダ4気筒のライバルを大きくリード。3周目に砂子・伊藤の順位が入れ替わったほかは、3位以下を全く問題とせず、9周を快走。2位にも入り、ヤマハは同年の海外遠征の最終戦を初優勝で飾った。伊藤のタイムは新記録だった。
初開催となった日本グランプリは、シリーズ最終戦に組まれた。鈴鹿には15万余の観衆で埋まった。出走はヤマハ4台、ホンダ5台、スズキ3台、モリーニ1台の合計13台。ヤマハは伊藤、長谷川、砂子、そして新たにヤマハに加入した英国のP・リードの布陣だった。レースは終始、伊藤、リード、レッドマンの熾烈な闘いになり、4位以下は大きく水を開けられた。この3者のトップ争いは壮絶で、8周目にようやく伊藤を抜いたレッドマンがトップに立てば、リードがこれを奪い返し、再び伊藤がトップに立ち、リード、レッドマンがこれを追うという激戦。最終周に入っても順位の予想がつかない激しいレースとなり、結局リードは最終周で不調となり3位に後退。しかし伊藤はゴール寸前までコンマ1秒を争い、最速ラップを記録しながらも、わずか一車身の差の2位。しかしタイトル獲得を目前として背水の陣をしいたホンダ4ストローク4気筒を相手に、ヤマハ2ストローク2気筒は存分にその存在をアピールした。
最終戦で完走するもノーポイント
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最終戦日本GPの125ccに、市販車YA5型の発展型の単気筒ロータリーバルブ式のレーサーを出場させた。砂子義一がこれを駆り7位となるがポイント獲得には至らなかった。
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Cate. Rider Machine 250cc 伊藤史朗 RD56 250cc 長谷川弘 RD56 250cc 砂子義一 RD56 250cc Phil Read RD56
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 250cc J. Redman Honda 44(58) 2 250cc T. Provini Morini 42(49) 3 250cc 伊藤史朗 Yamaha 26 4 250cc T. Robb Honda 20(21) 5 250cc L. Taveri Honda 13 6 250cc A. Shepherd MZ 11 7 250cc 砂子義一 Yamaha 9 8 250cc P. Read Yamaha 4 9 250cc 長谷川弘 Yamaha 3
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Pos. Constructor Point 1 Honda 44(63) 2 Morini 42(51) 3 Yamaha 26 4 MZ 13 5 CZ 4 6 Benelli 3 6 NSU 3