1961年
ヤマハが1961年に参戦したレースのアーカイブをご覧いただけます。
グランプリ初参戦
GP初挑戦、初ポイント獲得
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1961年、ヤマハチームはホンダ、スズキにつづき世界GPに参戦を開始、フランスGP、マン島TT、オランダ、ベルギーGP、アルゼンチンGPの5レースに出場した。当時、世界GPのエンジンは、MVアグスタ、モトグッチ、モリーニ、ベネリ、モンディアル、ホンダなど、東ドイツのMZ以外のほとんどのメーカーが4ストロークを使っていたが、ヤマハは2ストロークの可能性に照準をあわせて250cc、125ccとも2ストロークで挑んだ。
デビュー戦は5月21日の第3戦フランス、クレルモン・フェランだった。ここでは、空冷2ストローク2気筒のファクトリーマシンRD48を駆る伊藤史朗が8位、野口種晴が10位で完走したがポイント圏外だった。
続く4戦目マン島TT。RD48を駆る伊藤は60kmコースを5周するこのレースを2時間08分49秒で完走、トップに約13分遅れながらも6位となり、ヤマハはGP初ポイントを獲得した。その後、オランダで伊藤が6位、野口が8位、ベルギーGPでは伊藤5位、砂子義一6位、アルゼンチンGPでは伊藤4位。5レースに参加して伊藤は7点でランキング9位、砂子は1ポイントで17位。コンストラクターポイントは7点で6位。ホンダには大きく水を開けられシーズンを終了した。
初参戦するもノーポイントで終る
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1961年ヤマハは、GP250ccクラスと並行し125ccクラスにも参戦を開始した。125ccGPマシンとして、空冷2ストローク単気筒のRA41を開発して投入した。初戦のフランスGPでは野口が8位、マン島TTでは伊藤11位、大石秀夫12位、野口17位、オランダでは砂子9位、伊藤10位、ベルギーでは砂子13位と健闘するが、ポイント獲得には及ばなかった。
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Cate. Rider Machine 250cc 伊藤史朗 RD48 250cc 野口種晴 RD48 250cc 砂子義一 RD48 125cc 伊藤史朗 RA41 125cc 野口種晴 RA41 125cc 砂子義一 RA41 125cc 大石秀夫 RA41
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Pos. Cate. Rider Constructor Point 1 250cc M. Hailwood Honda 44(54) 2 250cc T. Phillis Honda 38(45) 3 250cc J. Redman Honda 36(51) 4 250cc 高橋国光 Honda 29(30) 5 250cc B. Mclntyre Honda 14 6 250cc T. Provini Morini 10 9 250cc 伊藤史朗 Yamaha 7 17 250cc 砂子義一 Yamaha 1
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Pos. Constructor Point 1 Honda 48(86) 2 MZ 11 3 Morini 10 4 Benelli 10 5 MV Agusta 8 6 Yamaha 7