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ヤマハ発動機株式会社 Revs Your Heart

コラムvol.25

ヤマハのレース活動50年の歴史をコラムでご覧いただけます。Vol.25「チャンピオン9回、71勝を紡いだエースの系譜」

vol.25 1988/RR/World Grand Prix チャンピオン9回、71勝を紡いだエースの系譜

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デビューシーズンの1988年、イギリスGPで初優勝を果たしたウェイン・レイニー(左)。スタートからハイペースで逃げ、独走に持ち込むスタイルは、後に"レイニーパターン"と表現されるほど多く見られた

 ロンドンから北へ約300km。草原に囲まれたドニントンパークサーキットで開催された1988年イギリスGPは、6万5000人のファンを集め、ひときわ大きな盛り上がりを見せていた。
 シルバーストーンから会場を移して2年目、コース路面の全面的な改修によってラップタイムが飛躍的に向上。各クラスでエキサイティングなレコードラッシュが続いたことも、ファンの熱狂に輪をかけた。特にGP500は、ガードナーが自ら記録した前年のベストタイムを3秒も縮める1分35秒09でポールポジションを獲得。さらに予選出走41台のうち、18台が前年レコードを更新するハイレベルな展開となった。
 70度V4エンジン搭載のYZR500(0W98)を駆り、ここまで12戦5勝。3回目のチャンピオンに向けて着々とポイントを重ねているエディ・ローソンは、ガードナーに次いで予選2位。誰の目にも、決勝はこの二人が優勝争いの主役を務め、好調のクリスチャン・サロンや2勝を挙げているスズキのシュワンツがその隙を窺う展開……と見えた。
 だがその予想は、スタート直後に早くも覆される。予選5番手、セカンドローから猛烈なダッシュで先頭を奪ったのは、ローソンと同様、ケニー・ロバーツの後押しで世界GPデビューを果たしたウェイン・レイニーだった。
 続いてガードナーが、キリと競り合いながら3位で1周目をクリア。翌周、2位に上がって一気にトップを窺うが、レイニーもハイペースを緩めず積極的にレースをリードする。逆に気負い過ぎたか、5周目、ガードナーは勢い余ってコースアウト。転倒こそ免れたものの、サロン、マッケンジーに先行を許す結果となってしまった。
 11周目過ぎ、ガードナーが再び2位までポジションを挽回するが、サロン、マッケンジーとのバトルで時間と体力、タイヤを消耗。その間にも着々とリードを広げたレイニーを追うほど、余力を残してはいなかった。
 一方ローソンは、スタートで出遅れ8番手に後退。その後もどうしたことか、予選で見せた速さがいっこうに戻ってこない。粘り強くマシンをプッシュし、なんとか中盤5位までポジションを回復したが、序盤のアクシデントから立ち直り驚異的な追い上げを見せるマギーにかわされ、6位をキープするのが精いっぱい。
 こうなると、レイニーの独走を阻む相手はもういなかった。注意すべきはマシントラブルとアクシデントだけだ。

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1988年、3度目のGP500チャンピオンに輝いたエディ・ローソン(♯3)は、翌年、レイニー(♯17)に後を託すかのようにヤマハを去った

 彼が初めてYZR500をライディングしたのは、1984年秋のTBCビッグロードレース。この時24歳の彼は、1983AMAスーパーバイクチャンピオンを経て、ロバーツのチームで1984世界GP250にフル参戦。ランキング8位に入ったが、TBCではローソンと平忠彦の対決を後方から見ているしかなかった。
 それから4年。再びAMAでの活躍が認められ、ついに実現した世界GP500フル参戦。初優勝こそチームメイトのケビン・マギーに先を越されていたが、すでに5回の表彰台を獲得。2週間前には、灼熱の鈴鹿8時間耐久レースでガードナーからポールポジションを奪い、マギーとともに独走優勝を果している。その自信が、GP初優勝を目前にしてもバランスを失わない心の余裕を与え、豪快かつ繊細なマシンコントロールを支えていた。
 一周ごとに念願の初優勝が近づいてくる。やがて、英国の伝統を物語るレンガ作りのピット脇から、チェッカーフラッグを携えたオフィシャルが姿を現わした。ガードナーとの差は7秒以上。もう何ひとつ心配はない。
 レイニーは、世界GP500通算22勝/シリーズチャンピオン3回のロバーツ、25勝/3回(ヤマハ通算)のローソンに続いて、自ら24勝/3回を達成するチャンピオンリレーに初めて名乗りを挙げた。

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