コラムvol.07
ヤマハのレース活動50年の歴史をコラムでご覧いただけます。Vol.7「新たなエース誕生と2ストローク初の戴冠」
「おい、ホンダがすごいマシンを持ち込んできたぞ!」
翌日から始まるレースに備えてパドックでガレージを組み立てているところへ、ヤマハスタッフのひとりが息せききって飛び込んできた。
1964年、ついに世界GPフル参戦を決めたヤマハは、伊藤史朗のライディングで初優勝した2ストローク・2気筒のRD56をさらにパワーアップして投入。序盤こそややもたついたものの、フランスGPで1勝。第6戦ベルギーGPからは破竹の4連勝を果たし、初のメーカーチャンピオンを決定。意気揚々とイタリアGPの開催地、モンツァサーキットに乗り込んだ。
特に新加入したイギリス人ライダー、フィル・リードの活躍は目覚ましく、すでに4勝をマーク。ランキング2位につける前年チャンピオン、ホンダのレッドマンもここまで2勝しているが、最終順位は上位6レースの合計得点で争われるため、リードがあとひとつ優勝すれば最終戦を待たず念願のライダーチャンピオンが決まる。どちらも負けられない1戦だった。
そこへホンダがニューマシンを投入したとなれば、放ってはおけない。慌てて全員で様子を見に行ったが、しっかりカバーで隠され、練習走行の時以外は姿も見せない。わかったことといえば、4ストローク・6気筒エンジンを搭載し、直線コースでは驚異的なスピードを発揮するということくらい。
だが、モンツァは有名な高速コース。いったん離されたらもう勝機はないだろう。そこでリードは、ギアレシオを実質6速までとし、残る第7速をオーバードライブに設定した。まずスタートでうまく飛び出して混乱を避け、レッドマンの直後に食いつく。その後はスリップストリームを使ってエンジンを温存し、終盤で勝負を賭けるという作戦である。
ところがリードは、肝心のスタートでミス! 最初から大きく差をつけられ、もうダメかとあきらめかけたが、どうやら様子が違う。逆に少しずつ差が詰まっているようだ。ホンダの6気筒は直線こそ速いが、コーナーでは明らかにRD56の方が速い。
そう気づいたリードは、わずか7周でレッドマンを捉え、作戦どおり揺さぶりをかけはじめた。真後ろから激しくプッシュしたかと思うと、時には追い抜いて先行し、また背後に下がる。その繰り返しにリズムを乱され、発熱量の大きさが負担となったレッドマンのマシンは、だんだんパワーを失っていく。
そして最後の22周目、ようやくレッドマンにRD56を抜き返す余力が残っていないことを確認すると、リードはついにラストスパート。10秒の差をつけて、歓喜のフィニッシュラインを駆け抜けた。