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全日本モトクロス選手権 2015年レディースチャンピオンの安原さや選手が22年間に渡るモトクロス人生にピリオド
2018年10月29日
近畿の名門クラブチーム「名阪レーシング」から、全日本モトクロス選手権レディースクラスで活躍してきた安原さや選手が、2018年10月28日、スポーツランドSUGOで開催された今シーズンの最終戦MFJGPを最後に引退することを発表しました。5歳でモトクロスをはじめて22年、また全日本には2005年から本格的に参戦を開始し、2015年のチャンピオン獲得など、ヤマハYZ85一筋で14シーズンに渡り、レディースクラスのトップとして戦ってきたライダーです。
安原選手の初優勝は2006年で、この年にランキング4位。続く2007年には、ランキング3位を獲得してトップライダーの仲間入りを果たした安原選手でしたが、その道のりは順風満帆とはいきませんでした。特に2011年にはシーズンのほとんどを棒に振る大怪我を負います。リハビリを続け2012年に復帰を果たしますが、その後も度重なる怪我があり、その度に復活を遂げチャンピオン候補の一人としてシーズンを戦い抜きますが、追い求めてきたチャンピオンには一歩届かないシーズンが続きました。
しかし、ヤマハ発動機株式会社の創立60周年迎えた2015年、シーズン2勝を含む8度の表彰台を獲得する大活躍で、悲願のチャンピオンを獲得。同時に、2000年にレディースクラスがスタートして以来、ヤマハにとって初のチャンピオンでもありました。
その後もベテランライダーとして、若いライダーに負けない走りを続け、今シーズンは第6戦に優勝、第8戦では新型YZ85を駆り自身初という2連勝(第7戦中止)を飾ります。ラストレースとなった最終戦では涙を流しながら4位でチェッカーを受け、ヤマハトップのランキング3位を獲得して、22年に渡るモトクロス人生にピリオドを打ちました。
このように安原選手は、ヤマハの「顔」として全日本での勝利を追求する一方、ある時は選手会長として、ある時は一人のライダーとして、モトクロス会場にとどまらず、二輪関連イベントへの出演や、メディアへの露出など様々な活動を展開。モトクロスの普及という視点で、その楽しさや魅力を伝えることに力を尽くし、モトクロスの発展に寄与してきました。
モトクロスは今シーズンで引退となりますが、安原選手は新たな道に進むことも決定しており、そこでのさらなる活躍が期待されます。
安原さや選手談
「まずは私を支えてくれてたくさんのファンの皆さまにお礼を言いたいと思います。本来であればライダーである私がいろいろなものを皆さまに伝えていく立場ではありますが、“走ろう”“がんばろう”という力をいつも与えてもらいました。ここまでモトクロスを続けてこられたもの、ファンの皆さまのおかげです。本当にあたたかいご支援をありがとうございました。私は22年間にわたりモトクロスを続けてきましたが、当初の目標は若い私を支えてくれたヤマハの皆さんのように、ライダーを支えていくような立場になることでした。そのため国際A級ライセンスを取り、チャンピオンを目指すなど、いろいろなことにチャレンジしてきました。結果的に実現しませんでしたが、いまの自分を作る重要な経験になったと思います。またモトクロスを通じて普段はお会いできないような様々な分野の人たちと出会いもあり、刺激を受け、またモトクロスのことを知ってもらう機会を持つことができ、少しはこの業界に貢献できたと考えています。これから違う道に進むわけですが、いつかまたモトクロスに関わる機会もあるかもしれません。その時は皆さま、あたたかく迎えてくれるとうれしいです。本当に長い間ありがとうございました」