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“アジアの大声援を受け世界を翔けるヒーローの創造” ヤマハの挑戦(前編)

2017年3月2日

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2016年、ヤマハ発動機の現地法人Thai Yamaha Motor Co., Ltd.(TYM)が運営する「Yamaha Thailand Racing Team」は、アジアのモータースポーツシーンにおいて大きな成果を残しその存在を際立たせた。アジアロードレース選手権(ARRC)・アジアプロダクション250(AP250)でチャンピオン、スーパースポーツ600(SS600)はヤマハ勢トップのランキング5位、全日本選手権のST600ではランキング2位を獲得。まさにアジアを代表するチームの一つになったといって過言ではない。ところがTYMは、決して現状に満足してはいない。それは、ある出来事がきっかけになっている。

「忘れもしません。2015年3月22日のことは。この日は、タイのモータースポーツにとって重要な一日となりました。われんばかりの歓声がサーキットを包み込み、我々も感動を覚えたものです。悔しことにそれを実現したのはヤマハのライダーではありませんでした。それでもタイの国民が心を奮わしたその瞬間は本物だった。憧れと嫉妬…… 次はヤマハがと、心に誓った瞬間でもありました」 その出来事とは、スーパースポーツ世界性選手権(WSS)・タイラウンド、ライバルメーカーではあるが、タイ人ライダーがヨーロッパ勢を抑え優勝を決めた瞬間のこと。そしてこの言葉は、当時、まさに現地で戦いを繰り広げていた「Yamaha Thailand Racing Team」、そしてTYMのスタッフたちが共有した感想である。

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時を少し遡る。2000年の初頭のことだ。
TYMは、当時からモータースポーツ活動を積極的に取り組んできた。なかでもヤマハブランドのイメージ向上やモータースポーツ普及、ライダーの育成を目的に2003年より開催してきた「YAMAHA ASEAN CUP RACE*」では、多くのチャンピオンを輩出し、実力を示したライダーは、次のステップとして、「Yamaha Thailand Racing Team」に迎え入れた。そして彼らは、レースでの活躍をもって、市場に「スポーツのヤマハ」を浸透・定着・牽引するローカルヒーローとして、TYMの営業戦略を支える重要な役割を担った。

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一方、TYMのマーケティング担当者は「タイにおけるモータースポーツ普及のシンボルになってほしいという狙いもありました。子どもたちが憧れ、目指す存在の創造です。そのためには世界に肉薄できるライダーに成長してもらう必要があります。だからこそ彼らをプロフェッショナルとしてリスペクトし、できる限りのサポートを行ってきました」
TYMは、アジアにおいて日欧米というモータースポーツ先進国を意識し、それに追いつこうと人材育成に取り組んできた。そのハイライトが、ARRCでのチャンピオン獲得や、全日本へ進出し、ST600で2012年のチャンピオンに輝き、その後も日本人ライダーを圧倒していった姿である。
さらに、2015年3月、グローバルモデル「YZF-R3」の市場導入に際して行ったイベントでは、バレンティーノ・ロッシはじめとする当社のMotoGPライダーとともに、タイ人ライダーがプロモーションの核を担った。
これに抜擢されたのが、現在もアジアを主戦場に活躍を続けるデチャ・クライサート、チャロンポン・ポラマイである。TYMの計画通り彼らは、モータースポーツにおけるシンボルとして、マーケット視点のローカルヒーローとして市場に大きな影響を与える存在になったのだ。

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だからこそ、WSSでローカルヒーローの座をライバルに奪われたことに対する悔しさは大きなものだった。しかし、反撃ののろしはすぐに上がる。
2015年、当社は、新設されたばかりのARRC・AP250を起点としたステップアップの構築に取りかかった。当社とアジアの現地法人が連携し、「アジアから世界へ」というスローガンを掲げ「人材育成」をスタートさせたのだ。将来、世界選手権でアジアのヤマハライダーが、当社のブランドスローガン「Revs your Heart」を実現することを目的としたプロジェクトである。この中に、TYMの「Yamaha Thailand Racing Team」の姿もあった。デチャ、チャロンポンに続くヒーローを育成するための新たな挑戦である。

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AP250参戦を続ける一方、驚くべきことにTYMは、もう一つ、世界に通じる道も模索していた。
モータースポーツファンならずともご存知だろう。1994年にロードレース世界選手権GP500にデビュー。以来2004年まで、GPで活躍してきた故阿部典史*(ノリック)。そのノリックが、MotoGPチャンピオンの育成を目指し2006年に立ち上げた「Team Norick*」に、若手ライダーを送り込むというプロジェクトである。これを受けたのが、ノリックをGPライダーに育て、現在はノリックの意思を受け継いでチームを運営する阿部光雄監督*である。

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「AP250が人材育成において有効であることは十分に証明されました。一方で、アジアにおける世界へのルートは、日本にも存在しています。そこで、AP250と並行してもう一つのプロジェクトを走らせたのです。同時に腹を括りましたね。販売会社のレース活動は、基本的に商品を売るための燃料でなければならない。しかしこのプロジェクトは、純粋にMotoGPライダーを育てることが目的です。ただし、もしこれが成功したならば。いや、成功させなければなりませんが、タイ国内はおろか、アジアの大声援を受けながらMotoGPを快走するタイ人ライダーが生まれる。TYMが、タイのモータースポーツ界、世界に誇れる英雄を育てるのです。こんな素敵なことはありません(TYMマーケティング担当者)」

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選ばれたのは二人。一人は、2015年「Yamaha Thailand Racing Team」からAP250にフル参戦し、ランキング7位を獲得したピーラポン・ブーンレット(1998年生まれ)。そして、もう一人は、TYMが主催するワンメークレース「Yamaha R3 Thailand Challenge Cup」など、ローカルレースの参戦経験しかないケミン・クボ(1999年生まれ/タイ人の母親と日本人の父親を持つハーフ)。事前にタイ国内の有望株を集めオーディションが行われ、ピーラポンとともに、阿部監督の目に留まったのがケミン。まさに大抜擢と言える人選だ。

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プロジェクトのスタートは2016年と決まった。
阿部監督は、このプロジェクトの話を聞いたとき「おもしろい」という感想しかなかったと話す。「現在は、MotoGPに日本人ライダーすらいない。ハードルはめちゃくちゃ高い。でもね、MotoGP史上初となるタイ人ライダーを育てるなんて楽しみでしかない。ヤマハも本気、だから僕も全身全霊ぶつかってやろうと思ったわけです」
阿部監督は、彼らを迎えるにあたり「YAMAHA Thailand Team Norick」を立ち上げた。こうして舞台は整い、ピーラポンとケミンの武者修行がスタートした。

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ご参考
YAMAHA ASEAN CUP RACE
アセアンの各現地法人で実施する予選レースを勝ち抜いた選抜ライダーが、単一の車両によって行うヤマハワンメークレースであり、アセアン No.1ライダーを決定する国際大会として2003年にスタート。当社の二輪事業における最重要エリアであるアセアンにおいて、当社のブランドイメージ強化を図り、モータースポーツの普及・振興、青少年育成を目的に開催。モータースポーツ普及については、「YAMAHA ASEAN CUP RACE」を目指し、各現地法人がヤマハカップなどを組織・運営し、ライダーを育成する一連の流れを構築。競技人口拡大、レベル向上が図られ、現在のARRCでの活動など、アセアンから世界を目指す流れを築いている。

阿部典史
1994年、日本GPで、ラスト3周で転倒となるがトップを走る衝撃的なGPデビューを果たす。この年はライバルチームから全日本に参戦していたが、シーズン途中でヤマハに移籍。イギリスGPから3レースに出場すると、1995年からGP500にフル参戦を開始してランキング5位を獲得。初優勝は1996年の日本GP。その後1999年リオGP、2000年日本GPと、計3回の優勝を獲得した。2005・2006年はWSBに参戦。2007年は全日本に復帰したが、この年の10月交通事故により32歳という若さで他界。

Team Norick
故阿部典史(ノリック)が、「MotoGPチャンピオンの育成」を目指し2006年に設立。子どもたちにバイクの楽しさを知ってもらおうと始めた「ノリック親子バイク教室」がその前身となっている。当初は子どもに焦点を当て「Team Norick JR」として活動していた。2007年、ノリックが他界したものの、その意思を引継いたノリックの父、阿部光雄が監督となりチームを継続。現在は幅広い年代のライダーの育成を担い、近年ではヤマハ契約ライダーの野左根航汰を輩出するなど、目標に向け着実に歩み続けている。

阿部光雄
故阿部典史(ノリック)の父であり、Team Norickの代表兼監督を務める。自身は、日本におけるモータースポーツのひとつであるオートレース(公営競技)の選手として1968年にデビュー。その傍らで、ノリックを育て、またチームを運営しながら、2015年に47年間にわたる選手生活を終えている。現在は、ノリックの意思を引継ぎ、Team Norickの運営に専念。全日本、ARRCなどを舞台に、ライダーの育成を続けている。

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