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アメリカで7年間にわたりレース活動を行なってきたチャド・リードは、コースの内外で多くの浮き沈みを経験をしてきた。しかしそのなかでも常にヤマハとともにあり、ヤマハもリードとの関係を維持し続けた。2002年のデビュー・シーズンにはAMAスーパークロス東地区125ccでチャンピオンを獲得。2003年にはスーパークロス世界選手権、2004年にはAMAスーパークロスでそれぞれチャンピオンに輝き、YZ250とYZ450Fを駆り数々の勝利をおさめてきた。
ライディングのフィーリングという意味ではインディアナ・ポリスがよかったと思う。あのときは圧倒的な勝利を挙げることができた。ホールショットから後続を引き離し、気持ちよく、力強く乗れていた。僕がコースをデザインしたのでよくわかっていたし、確かにフィーリングがぴったりと合っていたんだ。ダートは難しかったが、総合的にしっかり走れたレースだったと思う。
何がいえる? 何もいえないよ。何も変えることはできない。これまでにいろいろな素晴らしい経験をしてきたけれど、同時に人生最悪のことにも向き合わなければならなかった。短期間に非常に多くのことを学んだと思っているんだ。たとえばヨーロッパでの生活を1年、それからアメリカへ来て7年が過ぎた。それでもまだ26歳。考えてみれば大変な経験だ。僕はモーターサイクル・レースをするために、そして世界のトップになるためにここへやって来た。そしてそれを実現したのだから、顔を上げて、胸を張って誇ることができる。
ヤマハがアルミ製フレームを初めて採用したときには、マシンの剛性に慣れていかなければならなかった。YZ250Fで活躍していた2003年には、確かなフィーリングをつかむのに苦労していたんだ。今シーズンは材料の変更などで剛性が変わっていて、僕らは2005年から今までの間にたくさんのことを学んだよ。とにかくマシンがよく走ってくれたので、コーナーやフープスで自信を持てるようになり、それからはまた別の部分の改良に取り組むことができるようになった。ここが最も大きな変化で、コーナリングとハンドリングに集中することができた。エンジンは常に素晴らしかった。4ストローク・エンジンを採用したのはヤマハが最初で、それからずっと最高の性能を維持し続けた。このオフシーズンにはエンジンのテストはせずに、パイプ周りを変更しただけで十分だった。これが僕のエンジンテスト(笑)! コーナリングとハンドリングについての目標は達成できたので、シーズンインに当たってエンジン・テストに進んだ。2008年型マシンは、とてもありがたい贈り物だったんだ。
ヤマハとの関係はとても良好。 この「関係」には相互的な意味があって、まずそれぞれを自覚し、それから互いを尊敬するということ。2003年と2004年は最高のバイクを与えてもらって、何度も優勝し、2003年にはスーパークロス世界選手権のチャンピオンを獲得。でもルーキーとしてのミスもいくつかあって、その年はAMAのタイトルを逃すことになった。2004年を迎えるにあたり、どうしても勝ちたいという気持ちが強くなっていたこともあって、すべてが思い通りにうまくできて、チャンピオンを獲得することができた。そのあとは大変なことにも遭遇して苦しい状況が続いたが、その度にキース・マッカーティと話し合い、困難を乗り越えてきた。
来シーズンはまだずっと先だが、それまでにやらなければならないことがたくさんあるよ。モチベーションは常に高く、マシンのフィーリングはいいし、ライディングをエンジョイできる。でも先のことは誰にもわからない。車のレースにも興味があって、アメリカか故郷のオーストラリアかはわからないけれど、必ずいつかはやってみたい。今の僕は準備万端で、元気でハッピー。そして最後にはナショナルにも出場して、僕のグリーン&ゴールドのカラーリングを見せたいんだ。 |