オイルは液体パーツ
ヤマハ発動機の技術ストーリーをご紹介します。
オイルあってこそのエンジン。
ヤマハはエンジンオイルを純正の液体パーツとしてとらえ、オイルの開発を行っています。ヤマハでは創業当時からメカニズムとオイルの関係について研究を重ね、多くの知識と経験を得てきました。
ヤマハにはオイルだけを担当する部署はなく、エンジン実験のエンジニアたちがその業務を行っています。このコラムでは、純正オイル開発の歴史から現在の高性能オイル開発にいたる「モノづくり」の現場を紹介していきます。
- Vol.1
メカとオイルは同時進行で開発 - Vol.2
ホームメイドのブレンド - Vol.3
VMAXのオイルをXS250のエンジンで作る - Vol.4
サーキットより厳しい真夏のデリバリーバイク - Vol.5
オイルは化学 - Vol.6
現場主義
YAMALUBEを「液体パーツ」と位置付ける理由をストーリーで伝える映像です。
ストーリー編(フル・バージョン/13分20秒) > ショート・バージョン(6分30秒)を観る > 60秒バージョンを観る
ゾートロープ編:「液体パーツ」― エンジン開発が設計するもうひとつの純正コンポーネント
グラスハープ編:「液体パーツ」― エンジン開発が設計するもうひとつの純正コンポーネント
機械編:「液体パーツ」― エンジン開発が設計するもうひとつの純正コンポーネント
ヤマハのオイル伝説
開発エンジニアが語る純正オイルの真実
Vol.1
メカとオイルは同時進行で開発
液体パーツと呼ぶ理由
見た目はさほど変わらないモーターサイクルと自動車のエンジンオイル。その大きな違いは、モーターサイクル用オイルにはいくつもの役割が与えられていることです。自動車用エンジンオイルは、エンジン内の潤滑・密封が主な担当領域でミッションやデフは別体であり潤滑も別系統。ところが小型化が必須のモーターサイクル用エンジンは、クラッチやミッションが一つのユニットとして設計されており、1つのオイルですべてをまかなわなければなりません。
潤滑、密封、冷却、洗浄、防錆などが欲しいエンジン、適度な粘性力が欲しいクラッチ、ギアとギアの接触ショックを緩衝してほしいミッション。それぞれが、異なる働きを要求してきます。通常運転では約10秒弱でエンジンオイルはエンジン内を周回して戻ってくるわけですが、その中で多くの仕事をこなしているわけです。
さらにヤマハにはモーターサイクルだけでなく、船外機やスノーモビル、ATVなど、特殊な環境で使用されるエンジンがあります。過酷な使用環境や運転状態を踏まえて最適なメカニズムが開発されるように、オイルもエンジンに合わせて開発。ヤマハがオイルを液体パーツと位置づけている理由はここにあるのです。
ヤマハ純正オイル開発の歴史
メカニズムとオイルが並行して開発されてきた歴史を象徴する技術があります。それは、1963年に開発された世界初のオートルーブポンプ。当時、2ストロークエンジンは、規定の割合のオイルを予めガソリンに混ぜて給油する「混合給油潤滑」でした。しかし、このオートルーブポンプの出現によって、オイルはオイルタンクに給油すれば済む「分離給油潤滑」へ。その利便性は世界中の利用者から絶賛されました。
しかし、分離給油潤滑のメリットはそれだけではありませんでした。スロットルワイヤーと連動してオートルーブポンプを作動させることで、エンジンの運転状況にあった混合比でオイルを供給することを可能にしたのです。これによってエンジン性能を最良の状態で発揮させるとともに、白煙の低減やサイレンサーに付着するオイルデポジットの低減にも貢献しました。
プランジャーポンプを採用したオートルーブポンプ
シンプルな構造のオートルーブポンプ
開発のきっかけは、ワールドグランプリのレーシングマシンにありました。ヤマハは1961年のフランスグランプリから参戦を開始。その頃にはすでに分離給油潤滑のマシンをレースに参戦させデータを蓄積していました。このときGPマシンに採用されていた強制潤滑用オイルポンプからヒントを得て、プランジャ―ポンプを活用したオートルーブポンプを開発。1964年、このオートルーブシステムを初めて採用した市販車としてYA-6が発売されました。
1962年鈴鹿での全日本ロードレースを走る250ccレースマシン。潤滑ポンプが取付けられていた
オートルーブポンプシステムを始めて採用したYA-6(1964年発売)
その一方で、オートルーブシステムをより効率よく機能させるためのオイルの開発も行われていました。強い油膜力、少ない燃焼残量、良好な洗浄性、低温での流動性などを確保するために、当時市販されていた2ストローク用オイルや石油精製メーカーの試作オイルを対象に試験を実施。耐焼き付き性、摩耗性、カーボン堆積、排気口の閉塞性、リングへの影響、プラグへの負荷などを評価項目にベンチテストと実機での走行テストを行いました。そこから生まれた専用オイルが「ヤマハオートルーブオイル」。この時の取り組みが後々の純正オイル開発の起点となりました。
Vol.2
ホームメイドのブレンド
エンジン実験のエンジニアが純正オイルをつくる
いつもはメカニズムと向き合っているエンジニアがオイルを設計する。そのきっかけは、ヤマハ製品が広く海外に輸出されるようなり、車種バリエーションも増え、エンジンのさらなる高性能化が推し進められていた1970年代。多くのユーザーに安心してバイクライフを楽しんでもらうためにも、将来を見据えた純正オイルの開発が急務となったことでした。当時はオイルに関する社内評価基準が統一されておらず、ベンチでの実機テストが主な評価方法。手間も時間も要する作業。そんな時代、エンジン実験グループにひとりの新入社員が配属されました。
そのエンジニアは矢代善伸。エンジン開発に携わる要員は一般的に機械工学系出身ですが、矢代は化学系出身という異色の人材でした。入社そうそうに上司から「お前は化学屋なんだからオイルも見ておけ」と告げられた矢代は、本業のエンジン開発業務のかたわらオイルの研究をたったひとりで始めることに。分子レベルで中身を探る成分分析はまさに化学屋の領域でした。
矢代はまず、A7の2ストローク125ccエンジンをベンチにかけて、当時流通していたオイルを分析することからスタート。しかし、視点はオイルだけに注がれていたわけではありませんでした。ある問題が発生した時、原因がオイルなのかメカニズムなのか、それが特定できれば開発の精度はさらに上がるはず。矢代はピストンやシリンダーの仕様を変えて結果を見るという実験も行いました。エンジン実験のエンジニアとして、物事を正しく観察するためでした。
次に取り組んだ実験がガスクロマトグラフィーという分析。気体中の特定のガスの濃度を測ることで、内容物の成分を特定するというもの。一滴のオイルを分析機にかけ昼食時や休憩時に結果を見に行き、また次のオイルを仕込む、という地味な作業を繰り返しオイルの正体は何なのかを観察しました。しかしながらその結果は、矢代がイメージするものではありませんでした。
こうしたいくつかの分析手法を試した後に、矢代がたどりついた方法が熱分析でした。これは、「熱分析機」という装置を用い、熱に対する特性から逆算してオイル成分を分析するというもの。オイルが酸化するときのエネルギー等からオイル成分とその分子量を割り出し、ベースオイルや添加剤の特性を推定することが可能となりました。これによって、オイルの基本性能を数値化することに成功。目標とするエンジン性能に照らし、ベースオイルはこのクラスで、添加剤にはあれとこれがよさそうだ。こうした推測が可能になったことで、効率の良いオイル開発に道が開けたのです。
オイル開発のエンジン実験で用いられたA7(1968年)
オートルーブスーパーの誕生
矢代は化学屋としてどうしてもオイルの成分を知りたい、しかし、当時はオイルメーカーがその成分を開示することはありませんでした。オイルメーカーとモーターサイクルメーカーの間には、プロフェッショナル同士の見えない壁があったともいえましょう。その壁を崩すようなあるエピソードがあります。オイルの成分とその働きについての知見を重ねていた矢代は自らベースオイルと添加剤を入手。要求性能に照らしてそれらを自ら手でブレンドした試作オイルを作りました。そしてそのオイルを4リッター缶に詰め、その成分と効果を明記したシートをオイルメーカーに手渡しこう言いました。「これを超えるオイルを作ってください」。
2ストロークエンジンのオイルは、オイルタンクからオイルポンプを経由してガソリンと混合され燃焼室に入り、潤滑した後に排気ガスといっしょに排出されます。焼き付きやリングスカッフ、排気煙、吸気ポートやサイレンサーの詰り、低温での始動性など、メカニズムが理解できていないと良いオイルは作れません。そこで、矢代はこれまでの知見を生かし試作オイルをブレンドしたわけです。ヤマハはオイルのことを理解している、そうした認識をオイルメーカーから得ることで、それ以降、成分などのデータが開示されるようになり、開発の精度や効率が高まっていきました。
その結果、誕生したオイルが市場で高い評価を獲得し続けたオートルーブスーパー。このオイルは守備範囲が広く、スクーターからスーパースポーツまでのモデルをカバーし、排気煙も少なく、低温での始動性にも優れていました。オートルーブスーパーは、R,RSと進化を遂げて、今もなお販売されています。
純正オイルの評価方法として現在も継承されているノウハウは、このオートルーブスーパーの開発によってもたらされたものといってもいいでしょう。オイルの成分を把握し、粘度や蒸発性、摩擦低減性、せん断性、泡立ち性など、ヤマハの純正オイルとして必要な性能を数値化して評価をしていく。これによって、効率の良いオイル開発することが可能となり、モーターサイクルはもとより船外機、スノーモビル、ATVなどの純正オイル開発につながっていきました。純正オイルを使用してもらうことで、そのエンジンの性能を100%生かすことができる。まさに純正の液体パーツなのです。
現在も発売されているオートルーブスーパーとスーパーRS
Vol.3
VMAXのオイルをXS250エンジンで作る
4ストロークエンジン用純正オイル開発の道
2ストロークスポーツがメインだったヤマハも、1970年に入るとXS-1を皮切りに、4ストロークモデルが徐々に投入されはじめました。しかし、1980年代に入るまでの約10年間は純正オイルとしての社内評価基準はまだ存在しておらず、2ストロークオイルと同様に4ストローク用純正オイルの開発について議論されるようになりました。エンジン開発チームが、まず着手したことは市場にある4輪車用エンジンオイルをつぶさに調べ、ヤマハ車に最適なオイルを選別することからスタートしました。
ところがその頃、オイルレジェンドである矢代(本コラムVol.1とVol.2で登場)は、このとき2ストロークエンジン開発と純正オイル開発で手いっぱいの状態。ちょうどそこに、やはり化学科出身の三浦透がエンジン実験に配属されてきました。三浦は「化学はもういいから機械をやりたい」と自らエンジン開発を志望したエンジニア。多忙な矢代にとっては渡りに船の人材だったことでしょう。三浦もまた矢代同様に、エンジン実験という本業の傍らでオイルを見るという役回りに。ヤマハにはオイル専任のエンジニアはいません。プロダクツの信頼性と性能向上を高次元で実現するためには、エンジンとオイルを同次元で語れるエンジニアが必要なのです。
4ストローク用純正オイルの開発に際して、ヤマハが重視したことはやはり実機によるテストでした。まずは回さなければわからない。それがヤマハのやり方です。三浦はそのころ初代VMAXのエンジン開発が担当業務でした。このVMAXをはじめ大排気量化、高出力化が加速するスポーツモデルに相応しいエンジンオイルとはどのようなものなのか。開発中のエンジンをオイルのテストで回すわけにもいかないタイミングの中、三浦がとった手段はXS250のエンジンによるベンチテストでした。1,200ccのV4型DOHC、しかもVブースト付きエンジンの代役を空冷250ccツインエンジンが担えるのか?
実験エンジンとして用いられたXS250
空冷エンジンを搭載したXS250(当時のカタログより)
1980年代を代表する1台VMAX1200
量産市販車では世界最高(当時)のパワーを発揮した水冷V型4気筒エンジン
実はオイルにとって過酷なエンジンは、自然空冷の小排気量エンジンなのです。エンジンオイルの究極の目的は「エンジンを壊さないこと」。三浦はXS250エンジンをこれでもかというほどにぶん回し、潤滑や冷却、清浄、泡立ちといったオイル性能の他に、カムシャフトやクランクの軸受けのメタルの状態などをつぶさに観察していきました。2ストローク時代の知見を活かし、さらに研究を積み重ねてきた結果が現在のYAMALUBEなのです。
オイルで性能を上げる
現在、全世界、地球のあらゆる表層を走り回るヤマハ製品。モーターサイクルから船外機、スノーモビル、ATVなどの純正オイルとして使用されているYAMALUBEの品質基準は1980年代に確立されました。当時、エンジンテクノロジーの急速な進化とあわせるように、エンジンオイルもさまざまなトライが行われました。現在、定番オイルとなっているYAMALUBE Sports。その原点となるオイルは、1980年代前半に開発されたエクストラZ。これは、ヤマハの4ストローク純正オイル開発の歴史の中でもエポックなオイルとして位置づけられています。そのきっかけは、あるオイルメーカーが開発したベースオイルとの出会いでした。これは、鉱物油の分子構造を化学的に変えた「高度水素化精製油」というもの。鉱物油でありながら現在でいう半合成油に匹敵する優れた粘度特性を発揮する画期的なものでした。その情報をキャッチした三浦は、早速このオイルメーカーに掛け合いヤマハの純正オイルとして供給してもらえるかを打診。その要望は受け容れられエクストラZの開発へとつながっていきました。ちなみに、ヤマハはいち早くこの「高度水素化精製油」を用いたエンジンオイルの商品化を実現しました。
エフェロFXの性能を受けつぐYAMALUBE Sports
オイルはエンジンを守ることが本分ですが、ヤマハはそれだけに留まりませんでした。オイルでどこまで性能を上げられるか。まるで、エンジンパーツやメカニズムの設計のようにオイルを見つめました。1985年、「16,000rpmまで回る4気筒エンジン」として話題となったFZ250 Phazerがデビュー。設計の精緻さもさることながら、「オイルでもっと馬力を出せないか」というチャレンジをしていました。エンジン開発チームでは、添加剤としてモリブデンを配合したオイルでテストを実施。モリブデンは、摩擦抵抗を下げる働きがあり、モリブデンをエンジンオイルに加えるだけでアイドリング回転数が上がるほどの効果をもたらします。しかし、摩擦抵抗を減らし過ぎるとクラッチの滑りなどの副作用が発生します。そこで、添加剤のブレンドを最適化するとともに、メカニズムでもそれに対応する工夫がなされていきました。この時に誕生したオイルが、エフェロFXでした。
「16,000rpmまで回るエンジン」が市場で話題になったFZ250 Phazer
次に三浦たちが取り組んだテーマは、モーターサイクルオイルの理想を詰め込んだオイルの開発でした。費用はとりあえず考えず、やれるところまでやりきる。その強い意志のもと、100%化学合成5W−20というスペックの低粘度オイル、エフェロRが誕生しました。それはレーシングオイルに匹敵する性能で、ターゲットに想定したモデルはFZR750R、通称OW01と呼ばれるレースホモロゲーションモデルでした。次いでレーサーレプリカ時代全盛期には、プロダクションレースにも対応するスペックを備えたエフェロRSへと進化。
ホモロゲーション(注:モータースポーツ参加のための車両規定を満たすこと)モデルとして開発されたFZR750R(OW01)
しかし、FZRシリーズがいかにレーサーレプリカと呼ばれようとも、ライダーにやさしく乗りやすいマシン作りにこだわったように、オイルもまた一般ライダーの日常的な使用も踏まえた懐の深い性能を備えていました。こうしたノウハウのすべてが、全世界で展開されている現在のYAMALUBEに受け継がれています。
Vol.4
サーキットより厳しい
真夏のデリバリーバイク
オイルの誤解
ヤマハのオイルレジェンド矢代は、この記事の取材中に若干の苛立ちを込めて言いました。「多くの方はオイルを誤解しています。スーパーカーには高級オイル、軽自動車にはそれなりのオイル、というのが常識でしょう?でも、オイルにとってどちらが過酷だと思います?」。大排気量で高出力なスーパーカーは、時速100キロで巡航するなら2,000rpmもあれば十分。一方の軽自動車は常時6,000rpm付近をキープしなければなりません。さらに「オートバイだって、スーパースポーツ用のオイルは高性能で原付用のオイルはそうではないというのも誤解」と言葉を続けました。スーパースポーツ用のオイルは高性能化のため添加剤が絶妙にブレンドされており確かに性能は向上すると前置きをしながらも矢代はさらに続けた。「オイルにとってもっとも過酷なバイクって何だと思います?真夏の郵便配達バイクや保険外交員のバイクなんです。パワーがない分走り出せば殆ど全開状態、ときにはアイドリングのままお客さんと話し込んでしまったり。炎天下で無風。自然空冷の原付ですよ。これほど厳しい条件はないのです」。
タフな使用環境に耐えたヤマハTown Mate
水冷化されオイルにもやさしくなったGear
スーパースポーツのサーキット走行やプロダクションレース。間違いなくこれも過酷なわけですが、使用されるマシンは水冷でオイルクーラーやピストンクーラーも備えるなど温度管理が行き届いており、シリンダーの温度は140℃程度に抑えることが可能になっています。それに対して小排気量の空冷エンジンはシリンダーの温度は230〜240℃にも達し油温は120℃を超えることもあり、オイルの身になってみればスーパースポーツの方が楽なわけです。一方で船外機のエンジンも同様に厳しい条件にさらされます。いったん海に出れば数時間の全開走行というケースもあり、これも小排気量であるほど過酷といえます。
過酷な使用環境にさらされる小排気量船外機
会社の黎明期から小排気量で高出力な2ストロークエンジンの純正オイル開発にとりくんできた中で、ヤマハはまずエンジンが焼き付きをおこさないことをどう担保するかに知恵をつかってきました。そこから学んだことは、いかに優れたベースオイルを採用するかです。現在のYAMALUBEは、オイルの品質レベルでいえばスーパースポーツ用も原付用も同等です。異なるのは用途に応じたチューニング。極論でいえばYZF-R1にスタンダードクラスのYAMALUBEオイルを用いたとしても不具合が生じることはありません。ただし、そのマシンの能力をフルに発揮させるには、たとえばYZF-R1であればRS4GPのような高性能オイルが最適。YAMALUBEは製品の性能や用途に応じて設計された液体パーツだからです。
YAMALUBEの最高峰RS4GP
オイル神話
現在、市場にはさまざまなブランドの高級オイルがあります。いずれもがオイルメーカー入魂の高性能オイル。少しでもマシンの性能を上げられるオイルを使いたい。それは、ライダーの自然な欲求であり、それもバイクライフの楽しみです。しかし、高価なオイルがベストかといえば、必ずしもそうとはいいきれません。エンジンメーカーからいえば、そのマシンの性能をフルに引き出すオイルに勝るものはないと考えるからです。
オイルを最大限活用するメカニズムが採用されているYZF-R1
ヤマハとしてはヤマハ製品に関してYAMALUBEを使用することを強く推奨しています。YAMALUBEはエンジン開発のエンジニアが設計したオイル。メカニズムとの親和性においてベストであると考えています。なぜなら、ヤマハではエンジン設計を行う際「開発用オイル」という特別な基準オイルを定めてエンジンの仕様を決めていくところからスタートするからです。
「開発用オイル」がオイル開発のスタートとすれば、ゴールは「オイル分科会」という本社の認証機関による純正オイルの評価。現在、純正オイルは本社の定める基準をもとに世界各国で製造されていますが、それらがYAMALUBEブランドとして提供できるか否かをこの「オイル分科会」が最終的に判断しています。全世界に向けてモーターサイクルから船外機、スノーモビル、ATV、さらには発電機まで、多種多様な製品を開発・製造するヤマハが、このオイルはその製品に適しているというお墨付きをどのように付与するのか。候補のオイルをひとつずつ実機テストするわけにはいきません。そこで生きてくるものはこれまでに積み上げてきた膨大なデータ。現在「オイル分科会」では、ベースオイルの種類や添加剤の種類や配合など、仕様書や成分表を見ればすべてが把握できるまでになっています。
日本市場で販売される多様なYAMALUBE製品も「オイル分科会」の承認を受けている(上の写真は二輪車用オイルの広告より)
「世界に通用しないものは商品ではない」。ヤマハ発動機の創業者である川上源一がかつて唱えた言葉。世界のあまねく国々や地域で使用されるヤマハ製品をヤマハたらしめているもの。目に触れないところでYAMALUBEはいい仕事をしているのです。
Vol.5
オイルは化学
オイル開発部がないヤマハ
ヤマハはいったいどのセクションでYAMALUBEを開発しているのか。これまでのコラムで紹介した通り、ヤマハにはオイル開発部はありません。1960年代のオートルーブオイル、オートルーブポンプ開発の頃から現在に至るまで、エンジン実験のエンジニアがオイル開発担当として本来のエンジン開発業務と並行して行っています。ただ、ちょっとユニークなことは、彼らは機械工学系出身のエンジニアではなく、化学系出身のエンジニアだということ。機械がわからなければ、オイルはわからない。ミリ秒で動くメカニズムの間を満たすオイルを想像することが重要なのです。
潤滑には流体潤滑と境界潤滑がありますが、エンジン、クラッチ、トランスミッションが分離した4輪車では、それぞれ専用のオイルを用います。ところが、それらが1つのユニットになっている2輪車では、ひとつのオイルで潤滑のすべてをまかないます。たとえば、ピストンとシリンダーは流体潤滑の世界でここはベースオイルの受け持ち範囲、トランスミッション歯車の噛み合いは境界潤滑の世界でここは添加剤がポイント、カムとカムシャフトは流体弾性潤滑だから…。といったように、個々のメカニズムによって求められるオイルの働きが異なります。となると、メカニズムの動きから使われている金属材料にいたるまでの知識とオイルの化学的性質に精通した者がオイルを設計していくことがもっとも近道といえるでしょう。
エンジン、クラッチ、トランスミッションが一体となったモーターサイクルエンジン(写真はMT-09)
ピストンとシリンダー内壁。流体潤滑の働きが大事なところ(写真はYZ450F)
ギアとギア。境界潤滑の作用が重要なトランスミッション
かつて、1970年代に純正オイルの基準づくりに孤軍奮闘してした矢代は、オイルメーカーはエンジンについての知識が十分ではないことに気がつきました。それは無理もないことで、やはり化学の世界の人にとって、ピストンや歯車の世界は別世界です。それがきっかけとなり、矢代はヤマハ独自のオイルの基準づくりに乗り出していったわけです。「よくわからないことを、わかるようにしよう」。そのアプローチは極めて論理的かつ合理的なもので、それを機械と化学の2つを起点として山を登るようにひとつの頂を目指していきました。
オイルもメカも未知だからおもしろい
機械と化学を知るエンジニアがYAMALUBEをつくる。矢代と三浦が拓いてきた道は、次の世代にバトンタッチされています。エンジン開発部には、また新たに化学系出身のエンジニアが加わりました。三浦いわく、「なぜ、ヤマハにはオイル専門部署が存在しないかというと、オイル専門部署をつくってしまうと、オイルを中心にモノを見るようになる。でも私たちはエンジンを作っているのであってオイルを作っているわけではない。そのエンジンにとって最も良いオイルは何なのかを考えることなのです」。
あらゆる分野で科学技術が進化し、世の中にあるモノやコトは、解析によりすべてが理解できるのではないかと考えがちです。ところがそうではないところに技術の進化はあるとヤマハは考えます。かつて、オイルは「よくわからない」ものでした。1960年代までは、一部の目利き、腕利きにより選別されてきたオイルが良いオイルとされ、また、その見当はみごとなもので数々の実績をあげてきました。しかし、それは定性的に見いだされたことであり、発展応用させることは容易ではありませんでした。
矢代はオイルとエンジンの関係を分析し定量化することで、純正オイル開発に道を拓いたわけですが、それだけに終わりませんでした。1980年代、矢代はメルボルンで開催されたSETC (Small Engine Technology Conference)で、熱分析によるエンジンとオイルの関係についての論文を発表。その成果を広く公開しました。その狙いは、当時誰も興味をもってくれなかったからとは矢代の弁ですが、エンジンの信頼性向上におけるオイルの役割を多くの人々と共有する意図があったといえましょう。
さて、オイルの仕様を示す「MA」や「MB」といった表記でお馴染みのJASO規格。これは日本独自のモーターサイクル用オイルの規格で、1994年に制定されました。日本は世界有数のモーターサイクルの生産・輸出国でありながら、 モーターサイクル用オイルの品質規格や試験方法が存在していませんでした。それまでの基準は、API、ILSAC、ACEAなどがありますが、これらは自動車を基本とした規格。そこで、エンジン、クラッチ、トランスミッションが一体となっている2輪エンジンに適した規格をつくるべく、日本の2輪メーカー4社によって制定されました。特に、当時は4輪用エンジンオイルには低燃費化のための添加剤の使用が増加しており、それをモーターサイクルに用いると不具合が懸念されることもありました。
このJASO規格制定の際、ヤマハはこれに積極的に参画。基準をつくるためのメジャーともいえるオイルの試験方法や評価基準などの情報を提供して規格制定に貢献をしました。ともにライバルではあっても、それぞれのメーカーが目指すところは同じ。信頼性の向上や環境負荷低減などを通じて、安心してモーターサイクルを楽しんでもらえる環境を整えることでした。しかし、基準は制定されても同一のオイルができるわけではありません。YAMALUBEは純正の液体パーツです。世界中の陸、水、雪原を走るヤマハプロダクツの信頼性を高めるための重要なパーツとして、日々進化するメカニズムと歩調を合わせながら独自の研究開発をたゆまなく進めています。技術にはゴールがありません。新しい用途、お客さまへの新たな価値創造に挑むたびに、また新たな「よくわからない」ことが出てくる。それを突破していくのがヤマハです。
JASO規格表示
Vol.6
現場主義
信頼性No.1のために。マリンエンジン用純正オイル
陸上で使用されるエンジンとマリンエンジンではその「使われ方」に大きな違いがあります。水上で使われるため「錆」の問題もありますが、最大の違いはエンジン負荷です。マリンエンジンは、スロットル全開のまま数時間連続で運転されることが日常的。カジキマグロを狙う大型のフィッシングボートから、10馬力に満たない船外機を搭載した小さな漁船まで、いずれもがエンジンにとっては過酷な世界です。
1960年に誕生した2ストローク船外機「P-7」以来、ヤマハ船外機はスポーツユースだけでなく、世界中の漁業関係者の間で急速に普及していきました。そうした中で、信頼性を向上させるためエンジンオイルの役割が一層重視されるようになりました。80年代に入るとモーターサイクルで絶大な信頼を得たオートルブポンプを搭載。使用される地域の燃料の品質格差からエンジンを守るべく適正な混合比でオイル供給することを可能にするなど、オイルの能力をメカニズムで最大限に引き出していました。とはいうものの、オイルは世界各国の地域で販売されていたオイルを用いることが常識で、純正オイルという概念はまだありませんでした。
YA-1エンジンをベースとしたヤマハ船外機第1号機P-7
この頃にマリンエンジンの開発要員として配属されたエンジニアが永井隆雄。現在まで30余年にわたりエンジン開発と純正オイルの開発に携わってきたエンジニアです。そのキャリアの中で永井がマリンエンジン用純正オイルの開発を決意した出来事がありました。きっかけは、1980年代後半に大排気量・高出力の船外機のピストントラブルで発生したクレームでした。このトラブルは、ヤマハに限ったことではなく他社にも同様のクレームが発生していました。
エンジン開発チームは、「これはどうやらメカニズムの話しだけではなくオイルも関係しているのではないか」という仮説のもと、市場にある主要なマリン用エンジンオイルをかき集め実機で試験を繰り返しました。結果は、やはりオイルにその一因があったのです。当時、燃費や環境に対するガイドラインとして北米ではNMMA(National Marine Manufacturers Association)が定めるTC-W2®という基準があり、それに則ったオイルをオイルメーカー各社が販売していました。ところが、ヤマハの試験の結果、高負荷状態が連続しエンジン温度が高くなるとピストンリング固着の傾向があることがわかりました。
これをきっかけにヤマハでは急ピッチで純正オイルの開発がスタート。エンジン高負荷状態が連続するのは大排気量エンジンばかりではなく、むしろ小排気量エンジンの方が厳しい可能性があるわけです。ヤマハではTC-W2®、それに次ぐTC-W3®の基準を満たしながら、それを上回る厳しいヤマハ基準を設定。清浄成分等の添加剤のブレンドを研究し純正オイルを完成させました。
純正オイル開発のきっかけとなった大排気量V型エンジンの船外機
現在では、積み上げてきたデータにより、オイルの性能はスペックを見れば結果がわかるまでになっています。しかし、そこまでに到達するまでは実機による試験が重要でした。過去においては、試験エンジンを水槽に据え付けスロットル全開状態で想像を超える長時間の連続運転をした後、エンジンを分解しメカニズムをチェックすると同時にオイルの状態をチェックすることを欠かしませんでした。エンジンを最良の状態に保ち、乗員を無事に帰港させる。エンジニアはエンジンの向こうに使う人の姿を見ているのです。
4ストローク用純正オイル
2ストローク用純正オイル SS
マイナス30℃で鍛えられたスノーモビル用純正オイル
マリンエンジンと同様に、スノーモビル用エンジンも乗る人の命を乗せています。誰もいない雪原でエンジントラブルという状況は誰も想像したくないことです。ヤマハは1968年に初号機となる2ストローク350cc2気筒エンジンを搭載した「SL350」を開発し、北米に向けて販売を開始しました。
高い信頼性でロングセラーとなっている2ストロークモデルVK540V
極寒の地で使われるスノーモビルには、オイルに対して特殊な機能性が求められます。そのひとつが始動性です。現在、スノーモビルの多くは4ストローク化されセルモーターによって始動しますが、2ストロークエンジンはリコイルスタータという紐を引いてクランクを回転させ始動させます。仮にマイナス30℃の世界で通常のモーターサイクル用オイルを入れるとどうなるか。エンジン内に残留するオイルは、冷蔵庫に入れたオリーブオイルのように固まってしまい、それが抵抗となってクランクが回ってくれません。そこで、スノーモビル用のエンジンオイルは、低粘度の柔らかいオイルを使用するわけですが、低温流動性がよい反面、潤滑性が下がるという欠点もあります。これは、走行抵抗が大きくスロットル全開付近での高負荷状態で走行するスノーモビルにとっては焼き付きの原因。また、摩擦抵抗を下げるためのモリブデンを入れてしまうと、今度はリコイルスタータのワンウェイクラッチが滑ってしまうことになります。
ヤマハ初のスノーモビルSL350
こうした二律背反を克服しながら純正オイル開発に取り組んできたエンジニアが甲斐学。1980年代から現在にいたるまで、エンジン実験のエンジニアとしてエンジンとオイルを同じ視点から見つめてきました。甲斐はかつて実験スタッフの一員として極寒のアラスカへ飛び、2カ月にわたる実機テストをした経験をもつエンジニア。冬場は閉鎖されるドライブインをベースキャンプとして借り上げ、そこに仲間と寝泊まりして雪原を走り回り、ベンチテストでは再現できない状態での実験を行いました。始動性、アップダウンや連続するギャップ走行などのメニューをこなし、そのときオイルはきちんと仕事をしているのか、オイルポンプやオイル経路などをつぶさにチェックしていく作業を身をもって体験しています。
純正オイルの開発ではモーターサイクルで積み上げたデータからベースオイルを選択し、そこに適切な添加剤をブレンドする方法がとられました。オイルの評価基準としてスノーモビルならではのポイントが低温始動性です。マイナス40℃まで下がる本社実験室でエンジン始動を試みるわけですが、リコイルスタータがまったく引けない、1回目は重いが2回目からは軽く引けてエンジンがかかるといった具合に、理屈ではわからない現象が起ります。こうした実験を通して最適なベースオイルと添加剤のブレンドが決まっていったわけです。
低温始動性と高負荷時の潤滑性に優れたスノーオイル0W-30
2002年、ヤマハはいち早くスノーモビルの4ストローク化を果たしました。このときエンジンの燃焼に関しての技術、オイルに関する技術はモーターサイクルのノウハウが活かされYZF-R1エンジンをベースとしたRX-1がセンセーショナルなデビューを飾りました。ヤマハには技術のシナジーがあります。モーターサイクル、マリンエンジン、スノーモビル。走るフィールドが異なり、エンジンの仕様も要求性能も異なります。しかし、それぞれが開発してきた技術やノウハウは、縦横無尽にプロダクトの間を駆け巡っています。同様に、長年にわたり蓄積してきたオイルの知見もカテゴリーの境を超えて共有化されています。エンジン開発が定めたオイルの要求性能を、オイルメーカーに要請することで高品質なオイルが供給される。これを世界規模で実現させた純正オイルがYAMALUBEなのです。
2002年、RX-1でいち早く4ストローク化を実現