「MOTOROiD, Stand up!」そのマシンはかけ声で眠りから目覚めるように車体をくねらせ、ゆっくりとサイドスタンドをはらって“自立”した。そしてライダーの呼びかけや手まねきに応えて前進したり、ときにはライダーとじゃれ合うように車体をくねらせて蛇行する。それはライダーとモーターサイクルでありながら、まるで飼い主と大型犬が楽しげに歩く様子を見ているような、親密さと信頼感を感じさせるシーンだった。ステージを幾重にも取り囲む来場者の目はマシンに釘付けになり、同時にこんな期待が胸をよぎったはずだ。「近い将来、モーターサイクルはこんな進化を遂げるのか……」2017年10月、東京モーターショーでのひと幕だ。
モトロイドの主要構成技術である、ライダーの顔やジェスチャーを認識する画像認証AI・自立するためのバランス制御技術AMCES(アムセス)・後方からライダーを包み込むようにサポートし、ライダーとマシンの非言語コミュニケーションを目指すハプティックHMI(ハプティックとは触覚を意味する)。これらの先進技術はもともと個別に開発が進められていたもので、その技術検証機の外装カバーにデザインを与える、というのが当初デザインチームに課されたミッションだった。リクエストされたそのイメージとは、「生き物のようなマシン」。そのキーワードが、のちにモトロイドというまったく新しい乗り物を生み出すきっかけとなる。
開発陣が技術検証機の外装カバーに想定したのは、体温を感じさせるような柔らかさや肉体感といった、いわば直接的な“生き物らしさ”。いっぽうデザインチームはその方向性を示すまでに与えられた短い時間のなかで、そのマシンにおける “ヤマハらしさ” の表現について模索していた。生き物のような新しいマシンとライダーは、どのようにシンクロして、どのように走って、そこにはどんな喜びがあるのだろうかーー。その結果、デザインチームはひとつの結論に到達する。それは外装カバーをデザインするのではなく、検証機という考え方を「人とマシンの新しい関係性を生み出す、自律的に動くモーターサイクル」として再構築し、レイアウトからデザインすること。搭載される先進技術や機能を突きつめて視覚化することが、この次世代マシンの“人機官能”というヤマハらしさを表現することである、と結論づけたのだ。
前例のないマシンを新たに構築するにあたり、デザインチームは当初想定されていた生き物らしい形態や愛玩的要素は極力排して、機能と構造を最適化した造形を“魅せて”いくことでビジョンが一致した。従来のモーターサイクルをベースに機能を付加するのではなく、機能からくる最も理想的な形を構築すれば、おのずとマシンは美しく、そしてヤマハらしい造形になるーー。そんな思想のもと生まれたモトロイドは、生物模倣的なデザインアプローチを遠ざけたにもかかわらず、独特な外観と動きによってまるで生き物のような生命感を醸し出している。それはまるで生物が進化の過程でその機能と造形を最適化させてきたように、モトロイドが機能に忠実にデザインを研ぎ澄ませた証なのだ。
技術検証機をまったく新しいモーターサイクルとしてゼロから再構築するために、デザイナーは個々の技術要素から盛り込むべきものを再編集しなければならなかった。いずれもヤマハが開発を進めてきた先進技術ではあるが、ユニークな構造を持つそれぞれのデバイスをどう組み合わせて“生き物らしいマシン”としてパッケージ化するのか、これがモトロイドのデザイン開発においてもっとも大切な部分だったと言えるだろう。デザインチームは技術の詳細とメカニカルコンポーネントの把握に努め、具体的な構造と造形のあるべき姿を模索していった。その際、デザイナーがエンジニアとの対話において用いたのがこれらのテクニカルスケッチだ。まだ存在していない細部の形状でもデザイナーがスケッチで視覚化し、お互いのイメージをすり合わせることで、より具体的なアイデア展開へとつながっていった。そして試行錯誤の結果、モトロイドの原型となるバランス制御機構を収めた、次世代モーターサイクルのキースケッチができあがった。まさにコンセプトである「Unleashed Prototype(常識からの解放)」の言葉どおり、これまで最適なレイアウトと全体像を求めて暗中模索していたデザイナーも開発陣も、このキースケッチでビジョンを共有したことで解放され、モトロイドの開発は一気に加速していくことになる。
モトロイドのデザインを構築するにあたって、まずデザイナーはバランス制御技術・ライダーを画像認証するAI・ハプティックHMI等の技術について構造や特性などをかなり深いところまで理解する必要があった。そのため技術の担当エンジニアとデザイナーは、お互いの情熱やモーターサイクルへの思いをぶつけ合いながら、非常に緊密なコミュニケーションを重ねていくこととなる。その結果、デザイナーがエンジニアにより効果的なメカニズムやフレーム構造を提案したり、あるいはエンジニアがスケッチのイメージを技術的に成立させようと摸索したりと、双方の境界がない開発環境が実現していった。
「エンジニアがデザインし、デザイナーが設計もする」。そんな共創作業を可能にしたのは、2016年12月に完成したヤマハのデザイン拠点であるイノベーションセンターの存在も大きい。2階から4階までが吹き抜けでつながり、壁もドアもないという独創的なデザインは、内部のコミュニケーションを活発化させてシナジー効果を狙ったものだ。デザイナーとエンジニアが同じフロアに集い、お互いの顔を見られるシームレスな環境で開発できたことは、デザイナーとエンジニアのかつてないコラボレーションを生み出している。
バランス制御技術AMCESを中心に置き、自立する機能を根幹に据えてモーターサイクルとしての造形を再構築。最重量部品であるバッテリーをバランスウェイトとしてフレーム回転部の下方にレイアウトすることで、マシンの重心制御機能そのものを象徴的に表現している。
自立に際してAMCESと電子制御でマシンがバランスを取り続ける「重心コントロール」の動作は、動物が姿勢を維持しようとする動きに類似している。特に自立時の立ち上がりに必要な重心移動は、動物が無意識に行っている予備動作を連想させ、モトロイドに独特の生命感を与えている。
AIによる画像認識ではマシンが人を認識しジェスチャーに呼応する機能を実装。またライダーを包み込むように配置されたハプティックデバイスを介してマシンと人がフィジカルに接触することで、微細な動きや挙動によって双方の情報を交換し合う、非言語相互コミュニケーションを目指している。
こうした次世代技術の搭載によって、まるで生命体のように人とコミュニケーションできるモーターサイクルがついに誕生した。モトロイドが目指したのは、マシンをジェスチャーで呼び寄せたり、ライダーの動きをマシンが感知して操縦サポートしたりといった、まったく新しいユーザーエクスペリエンスの数々。意思疎通することで、ユーザーにとってマシンが「モノ」から「パートナー」へと変わっていくーーそんな関係性を生み出せるように、モトロイドは色や形だけでなく機能や動きまでトータルでデザインして開発されている。
こうしたユーザーエクスペリエンスをもたらすモトロイドのインターフェースは、ヤマハの目指す人機官能をさらに深め、より多くのユーザーに広げていく可能性を秘めている。これまではライダーの技量に左右されていたマシンとの一体感を、インタラクティブなコミュニケーションとマシン制御で実現していけるからだ。目指しているのは操縦をすべて委ねるのではなく、乗り手の感覚に寄り添ったサポートによって、ユーザーが最大限にマシンコントロールを楽しむこと。未来のモーターサイクルは、モノではなく共に走るパートナーに進化していくのではないかーー。それがデザイナーがモトロイドで指し示した、ヤマハなりの未来の方向性だったのである。
東京モーターショーで披露されたモトロイドは大きな話題を呼ぶとともに、コンセプトモデルにはめずらしい不思議な動きを引き起こした。車体価格が検索され始めたのである。インターネットの掲示板では販売価格を予想する人も現れた。そしてショーの来場者からは「免許はまだないけど、これなら乗ってみたい」「年を取ったら運転をサポートしてほしい」といった実際の声も寄せられた。きっと彼らがモトロイドを通じて見たのは、デザイナーがマシンに託した「未来のモーターサイクル」というカタチある夢。きっとそれは多くの人の共感を呼び、ひとりひとりに「未来のモーターサイクルライフ」というストーリーを思い描かせてくれたに違いない。
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