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ザルツブルクで萌芽したフレーム技術

ヤマハ発動機の技術ストーリーをご紹介します。

ザルツブルクと言えば、音楽愛好家にとっての「聖地」と言われますが、モーターサイクルのレース史においても節目となる「場」でもありました。1982年春、当地で開かれた最高峰ロードレースGP500で、ヤマハは革新的マシンを登場させたのです。
GP用として初の独自ロータリーバルブレイアウトに依るコンパクトなV型4気筒エンジンと、後にデルタボックスフレームと名付けられる新アイデアの骨格を擁した画期的マシンの登場です。
その頃、GP500マシンは最高速が290km/hを超えるレベルでしたが、更なる高速性能への技術革新が求められました。研究部門では吸気方式として、従来の「ピストンリードバルブ」から、より高速で有利な「ディスクバルブ」へと変更すべき試行錯誤を繰りかえしていました。扇形状のディスクをクランクに同期させて回転することで吸気孔の開閉を行うこの方式は、ピストンの位置に依存せずに吸気タイミングを設定でき、高回転域での良好な性能を得やすかったのですが、エンジン側面へのキャブレター配置が車体幅を拡げることになり、空気抵抗が悪化する懸念がありました。
合理的な吸気レイアウトを模索し連日検討が繰り返される中、レイアウト図を眺めていた一人の若手スタッフが、ロータリーバルブを持って図面に近寄って「このVバンクの間にバルブ置けないですか?」と呟いたことが新しいレイアウトの糸口となったのです。前側2気筒と後側2気筒の間にロータリーバルブとキャブレターを配置すれば、エンジンの幅は2気筒並みに収まる(#1)。そして同時にフレームレイアウトもエンジンを左右から抱きかかえる構造も発案されたのです。
このフレーム形式はヘッドパイプの上と下、そしてピボットを繋ぐラインを直線的に結ぶと三角形となり、また断面がボックスなので「デルタボックス」と名づけられました。前輪の荷重を受けるヘッドパイプと後輪の過重を受けるピボット軸を三角形につなぎ、エンジンを高い剛性で保持することで合理的な剛性のバランス取りが可能になり、クイックなハンドリングと安定性を引き出すことが出来たのです(#2)
形としてはっきり「デルタボックス」がわかるようになったのは翌1983年のGP用マシン。その後、さらに進化しGPマシンから市販モデルへと展開。1985年には市販の「TZR250」で実用化、その後世界中のスポーツバイクのフレーム設計に大きな影響を与えたと言われるスタイルです。現在もMotoGPや市販RシリーズやMTシリーズにその思想は反映されています(#3)
デルタボックス構造をめぐっては、陽の目を見なかったアイデア(燃料タンクの一部にする・・・)が出たり、デザイン要素として形状自由度の追求や、ライディングポジション要求に応える複雑な形状を可能とする製造技術の進化などがありますが、この”デルタ”を通じた開発努力は、”人機官能”を支えています。

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