“遊べない”は思い込みだった。医療的ケア児と歩んだ「越境」の遊具デザイン
「この子たちにも遊びを届けたい」。その願いを出発点にたどった共創の道のり。医療的ケア児と向き合う中で見えてきた、あたらしい“遊び”のかたちとは?
オートバイや電動アシスト自転車、ボートなど、モビリティという“道具”を通じて、人々の自由や好奇心を解き放ってきたヤマハ発動機。その根底には、遊びを生み出すための飽くなき探究心がありました。『遊具考』では、さまざまな実践者のもとを訪ね、彼ら彼女らが向き合う“道具”を手がかりに、これからの遊びのヒントを探っていきます。
私たちは知らず知らずのうちに、見えない“線”を心の中に引いているのかもしれない。健常と障がい、支援する側とされる側、できるとできない。その線の多くが、本当はいらない境界線なのだとしたら——。
これから紹介するのは、そんな見えない“線引き”に光をあて、遊ぶことをあきらめなくていい社会の可能性を提示したプロジェクト「RESILIENCE PLAYGROUND」です。
このプロジェクトでは、全国に約2万人いる医療的ケア児(※1)の「遊びたくても遊べない」という課題に注目し、当事者である子どもたちをはじめ、医師、ケアスタッフ、遊具デザイナー、地域のプレーヤーが携わり、3つの遊具(YURAGI/KOMORI/UKABI)を開発しました。
※1 人工呼吸器やたんの吸引など日常生活や社会生活を送るために恒常的に医療的ケアを受けることが必要な子ども

これらの遊具の大きな特徴は、そのどれもが寝たきりの子でも一人で乗ることができ、わずかな力で“揺れ”のフィードバックを楽しめるように工夫されていること。同時に健常児にとっても“楽しい遊具”であることを大切にし、老若男女が遊具を通じて混ざり合う景色の創造が目指されました。
その包摂性がいわゆるインクルーシブデザイン(※2)の文脈で高く評価され、同プロジェクトは2024年度グッドデザイン大賞を受賞。現在では保育現場や公園、商業施設など全国に180基以上が設置されるまでに広がっています。
※2 障がいの有無や年齢、言語、文化的背景などに関係なく、誰もが利用しやすく、楽しめることを目指すデザイン手法のこと
「“遊べない”って思い込んでたのは、僕ら大人のほうだったんですよね。でも、実際に子どもたちと一緒に遊んでみたら、彼らにはちゃんと“遊び”があった。僕らの側が、その遊びを引き出せてなかっただけなんです」
そう話すのは、このプロジェクトの発案者である株式会社ジャクエツの遊具デザイナー・田嶋宏行さん。はじまりは、組織の指示でも企業戦略でもなく、いちデザイナーである田嶋さん自身の「この子たちにも遊びを届けたい」という素朴な思いからでした。

その思いはやがて人を巻き込み、組織をも動かし、社会へと届いていく。 それは小さな「個人の思い」が「共創」へと育っていく一つの道筋とも言えるものでした。
道具を通して、これからの遊びのヒントを探る連載「遊具考」。今回は“遊びが溶かす線引きの正体”を手がかりに、私たちが無意識に引いてしまう線と、それをしなやかに超えていく力について考えます。
「遊び」は自分でやるから楽しい
アイディアの芽が生まれたのは、2020年の冬頃です。個人的に参加した福井の「XSCHOOL」という地域デザインプログラムが始まりでした。
たまたまその年のテーマが「医療」で、医療的ケア児に関わる現場を訪れたり、そこで働く方たちと出会う中で、「この子たちのために、何かできないだろうか」と思うようになって。ただ、具体的にどうアプローチすればいいのか分からず、最初は戸惑いもありました。
大きなきっかけがあったというより、現場の声を聞いていくうちに、だんだんと自分なりの視点が見えてきた、という感じです。医療的ケア児に関わる方たちから、「3歳になるまで友達と遊んだことがない」とか、「笑顔が本当に少ない」という話をたくさん聞いて。
ケアスタッフの方も「他の子と関われないから、発達が遅れてしまう」っておっしゃっていて。それ自体は事実だと思うし、その対応が間違っているとは思わないんですけど、子どもって生まれながらにして遊びを見つける天才ですよね。ケアが必要な子たちを前にすると、大人たちは「遊べない」って言うけど、ただその環境がないだけなんじゃないか?っていう問いが浮かび上がってきて。シンプルに「遊ばせてあげたいな」って思ったんです。
結びつけられたらいいなとは思いましたけど、その時点ではまだ個人の活動の域を出てなかったです。ただ、デザインを使って、社会課題を解決するといったアプローチには以前から興味があったので、これがそういうものになったらいいなとは漠然と考えてました。
そこからリサーチを進めていく中で、車椅子用のブランコとか、軽度障がいに対応した遊具はあっても、医療的ケアが必要な子たちが「自分で遊ぶ」ための遊具ってほとんど存在していないことも知って。それなら自分が、という思いも強くなっていきましたね。

福井にオレンジキッズケアラボという医療的ケア児の通所施設があるんですが、その代表で医師の紅谷浩之先生をアドバイザーに、ケアスタッフの方々や地域のプレイヤーにご協力いただくかたちで少しずつ進めていきました。
ただ、最初は誰にとっても開かれた遊具を目指そうとするあまり、いわゆる“世界平和遊具”みたいな、モヤっとしたものになってしまって。そんなとき、紅谷先生が「一番遊びから遠い子からやるべきだよ」と言ってくれて。つまり、医療的ケア児や重度心身障がい児のような、これまで“遊びの対象”とされてこなかった子どもたちのことですね。それを最初に考えるべきだと。
一気に視点が定まりましたね。さらに紅谷先生は、「ドヤ顔を大切にしてみたら?」ともおっしゃっていて、これも深く印象に残っています。
自分で何かを成し遂げたときに見せる、あの誇らしげな表情のことです。
医療的ケア児の中には、ケアする大人に作り笑顔を見せる子もいて、いわゆる「本当の気持ち」がなかなか見えにくい。そんな中で、「ドヤ顔こそが本当の笑顔なんじゃないか」という紅谷先生の言葉にはっとさせられました。
じゃあその“ドヤ顔”を引き出すには何が必要かと考えたときに、出てきたのが「一人で遊べる」という設計でした。
自分の力で、周囲に依存せずに、何かを動かせた、揺らせたという体験。そうした自発的な遊びの中に、子ども自身の主体性や、本当の意味での“楽しさ”があるんじゃないかと。そこから、たとえわずかな動きでも、揺れが返ってくる遊具のアイデアが固まっていったんです。

もちろん、大人の膝の上で揺れるのも心地いいし安心感はあると思います。そういう体験が必要な場面もあるけれど、それはあくまで受け身の体験であって、「自分で何かを起こした」という達成感にはなかなかつながらない。
大切なのはやっぱり“自発的な遊び”なんじゃないかなって。遊びって、自分で動くからこそ、楽しいものになると思うんです。
遊ぶ姿が、境界線を溶かす
会社の中に「PLAY DESIGN LAB」という外部のデザイナーや研究者に参画してもらって、あそびの研究・実証を行う組織があって、そこでこの構想を起案しました。それ以前から、何度かワークショップをやっていましたし、リサーチも積み重ねていたので、会社にも自信をもって説明できる状態になっていたんです。
とはいえ、社内には慎重な声もあって「医療的ケア児に万が一のことがあったら、誰が責任取るのか」とか「そんなニッチな対象を相手ににして、ビジネスとして成り立つのか」といった指摘も受けました。
そうですね。そうした考えはもっともだと思いますし、理解はできました。ただ、僕としては、実際に現場で一緒に遊んで、目の前で感じたことや、「この子たちにはもっと遊びが必要だ」という直感には正直でありたかった。でなければ、自分がなぜこれをやっているのか、分からなくなってしまう気がして。
それで、ちょっと賭けみたいなところもあったんですけど、あるときに重度障がいのある子どもたちに試作品で遊んでもらう機会をつくって、そこに社内の慎重派の方々を招いたんです。
そうしたら、予想をはるかに超えて、子どもたちがめちゃくちゃ楽しそうに遊んでくれて。特にインパクトが大きかったのは、「ゆのちゃん」という医療的ケア児の女の子が、トランポリンの“揺れ”に反応して、どんどん表情をほころばせていったこと。その姿を見た瞬間、場の空気が明らかに変わったのを感じました。
まさにそうですね。前日に健常とされる子どもたちが別のスプリング遊具で遊んだときは、少し座って、すぐに飽きてしまう子が多かったのですが、ゆのちゃんは違っていて。くるくる回ってみたり、楽器のように叩いて音を出してみたり。ちゃんと遊具の“余白”を見つけて、自分なりに創造的に遊んでいた。その姿に、心から感動しました。
僕たち遊具メーカー側の目線だと「器具が外れても大丈夫か」「内臓に負担はかからないか」といったリスクを先に考えてしまうんですが、実際の子どもたちは、多少器具が外れてもへっちゃらな子もいるんです。そんなことよりも、自分の身体を使って世界と関わるよろこびのほうが、ずっと大事で。
まさにその“線”が、僕たち大人の先入観から生まれていたんだと痛感した出来事でしたね。そこから、慎重だった社内の人たちも少しずつ協力的になってくれて。それが、このプロジェクト全体の転機にもなったんです。
「やりたくなる」から始まる共創
遊びの定義って、実は一時期すごく考えていたことなんです。でも、はっきりと「これが遊びだ」って定義するのはすごく難しくて。むしろ、定義しようとすればするほど、するりと逃げていくようなものというか。
僕にとって遊びって、ある種「エネルギー」みたいなもので。その人の中から自然に湧き出てくる衝動だったり、何かを面白がる力だったりする。だから仕事と違って「成果」や「目的」が明確じゃなくても成立する。自発的で、余白があって、予定調和じゃないものという感覚があります。
ロープ一本あれば1時間くらい笑いながら遊べるし、大人が見たら意味不明に思えるような動きにも、ちゃんと子どもなりの“世界”がある。僕も昔はそうだったのに、気がついたらできなくなってるなって。大人になると社会性や効率性が優先されて、遊びの回路がどこか鈍くなっていくのかもしれません。
そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、実はけっこう意識的にそうしてるんです。たとえば、仕事とは別に3つか4つ、自分の「居場所」を持っていて。地域のプロジェクトに関わったり、趣味でルアーをつくってみたり。
学生に向けてもよく話すんですが、「会社で詰まったら、別の出力先を持っておく」って、すごく大事だと思うんです。仕事とまったく関係ないことの中に、ふっと面白さを見つけられる瞬間があるんですよね。そういう余白に、遊びの回路って残ってる気がします。

遊びって、目的のないことを面白がる力なんじゃないかなと。だから、大人にもすごく必要な感覚だと思います。僕が遊具をつくるときも、「遊ばせよう」とは考えません。それよりも「その人が遊びだしたくなるものって何だろう」という視点で考えるようにしています。
こうした考えに至ったのは、僕自身の原体験とも関係していて。小学生の頃からずっと、知的障がいのある子どもたちと一緒に、身体表現だけで劇をつくる活動をしていたんです。即興ではなくて、話し合いながらちゃんと15分くらいの作品をつくっていく。そのプロセスは今で言う“共創”に近かったなと。
たとえば、誰かが急に大きな声を出しても、それも作品の一部として受け入れていく。「うるさいからやめて」じゃなくて、「それもアリだよね」っていうスタンスです。
遊びも同じで、枠組みをどう開いていけるか、誰かを排除しない姿勢をどう保てるか。僕が今、インクルーシブデザインに惹かれてるのも、たぶんそこに魅力を感じているような気がします。
余白があるから、遊びが育つ
めちゃくちゃありますよ。いわゆる「遊具不要論」みたいな話ですよね。業界でもよく出るテーマで、砂場最強説とか、築山最強説とか。シャベル1本で遊べるような自然地形こそが、最強の遊具だっていう話もあります。
実際、僕自身もそれは一理あるなと思っていて。子どもにとって、登る・滑る・掘るといった行為は、もともと自然の中にあるものだし、必ずしも人工物で用意する必要はないんですよね。
でも、だからこそ考えたいんです。「自分たちの役割って何なんだろう」って。
たとえば都市部では、自然が少なくて敷地も限られてる。山を駆け回ったり、木に登ったりといった体験がしづらい。そうなると、狭いスペースで高さや動きのバリエーションを出して、身体の発達や創造性を刺激するといった機能が求められる場面もあって、そこはやはり遊具の出番なんだと思います。
逆に自然が豊かな地域では、遊具はなくても遊びは成り立つかもしれない。でも、2〜3歳の子どもが、いきなり山に駆け出せるかと言ったら、やっぱり難しいですよね。
安心して見守れる場所や、親が休憩しながら子どもを遊ばせられる空間とか、そういった“環境の設計”としての遊具にも、大きな価値があると思っています。
僕らがやってる遊具づくりって、本質的には「人と人の関係性」や「その場所のイメージ」をつくることでもあると思うんです。
そのためには「遊具ってなんのためにあるんだろう」って、何度でも立ち返る必要がある。そういう問いをずっと持ち続けることが、自分たちの仕事の在り方を広げてくれるんじゃないかなと。

ありますね。実は最近ずっと「藁で遊具をつくれないか」って考えてるんです。リジェネラティブ、つまり“再生”という視点で言えば、最初から土に還る素材で遊具がつくれたら、エネルギー循環も一番シンプルになるので。
いまって、リサイクル素材を使おうって流れはあるけど、回収・再生成にもまたエネルギーがかかるじゃないですか。それよりも最初から“朽ちること”を前提にした遊具——たとえば、藁や木や麻とか。そういうものを地域で育てて、最後は土に戻す。これは、かなり本質的なリジェネラティブな遊びのあり方だと思っています。
もちろん現実的には管理とか安全面の課題もあるので、いきなりすべてを自然素材にするのは難しい。でも、選択肢として「そういう遊具もあっていい」っていう状態を目指したいなと。要は多様性の話なのかもしれません。樹脂や金属の遊具があってもいいし、でもその中に、わらの遊具もあってもいい。
「インクルーシブ」って、本質的には「誰もがアクセスできて」「誰も排除されない」という思想だと思うんです。たとえば、普通のブランコが怖い子がいたとしても、隣にゆっくり揺れるブランコがあれば、安心して遊べるし、他の子とも一緒に過ごせる。そんなふうに“選べること”が、排除しない設計につながっていく。
これは子どもに限らず、大人にとっても大切な視点ですよね。「遊ぶ」という行為は、本来すべての人に開かれているはずなのに、いつの間にか「特定の人だけのもの」になってしまっている。その状態をほどいて、誰にとっても始めていい、混ざっていいという空間をつくっていくこと。それが、社会全体をもっと柔らかくしていくんじゃないかなと。
だから「遊具って必要なのか?」という問いに答えるなら、「遊びの感覚を誰にでも開くために、遊具という形が必要なんだ」と言えると思います。
ただ、その形は場所や社会、時代によって変わっていって当然だし、むしろ変わっていくべきもの。だから僕たちデザイナーも、“定義しないこと”に誠実でありたいなと。形に固執せず、その余白の中から新しい遊びを生みだしていきたいですね。

田嶋 宏行さん/静岡県浜松市出身。京都造形芸術大学プロダクトデザイン学科卒業(現・京都芸術大学)。2015年、株式会社ジャクエツに入社。スペースデザイン&パブリックスペース開発課にて、遊具や遊び空間のデザイン・設計を担当。2019年には、アルミ製遊具「PLAY COMMUNICATION」でグッドデザイン賞およびキッズデザイン賞を受賞。2023年には、医師・紅谷浩之氏と立ち上げた「RESILIENCE PLAYGROUND」がキッズデザイン賞 審査委員長特別賞を受賞し、翌2024年には、同プロジェクトでグッドデザイン大賞(内閣総理大臣賞)を受賞した。
執筆:根岸達朗 撮影:廣田達也 編集:日向コイケ(Huuuu)
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