抗わず、ただ従うでもなく。坂田昌子が示す「自然をいなす」という姿勢
「自然をいなす」とは何か。高尾山を拠点に活動する坂田昌子が語る、水みちと共に生きる知恵と道づくりの思想。
「自然をいなす」とは何か。高尾山を拠点に活動する坂田昌子が語る、水みちと共に生きる知恵と道づくりの思想。
私たちの暮らしのそばには、さまざまな“道”があります。舗装された道路だけでなく、田畑の間を抜けるあぜ道や、動物が歩いた獣道、水の流れが刻んだ水みち——。そこには、人や地域、自然との関わりの中で生まれた物語が宿っています。ヤマハ発動機が生み出すモビリティも、そうした多様な“道”と共に育まれ、人々の移動や遊びを支えてきました。『Series 道』では、自らの手で“道”を切り拓いてきた実践者を訪ね、その視点に触れることで、自然との付き合い方や、次世代に残したい道のあり方を探っていきます。
あなたの足元の地下で、いにしえの雨がまだ旅をしているかもしれません。蛇行し、地形の傾斜に従い、森を抜け、田畑を潤し、やがて海へとたどり着く。そんな無数の「水みち」が、古くから日本の自然と人々の暮らしを結んできました。
しかし現代の私たちは、その目には見えない流れを置き去りにしてしまったようにも思えます。効率や成果を優先するあまり、川の流れは直線に変えられ、自然のカーブは削り取られ、地中に張り巡らされた水脈は寸断されていく。
そうして本来の水の巡りが失われた結果、各地で洪水や地盤沈下といった災害が頻発するようになりました。それは、私たちが見失った自然との共生関係のひずみとも言える現実です。
「人は、水が決めたものに合わせることしかできない」
そう語るのは、生物多様性の専門家・坂田昌子さんです。長年にわたり高尾山を拠点にネイチャーガイドとして活動し、生物多様性の大切さを全国に発信してきました。その経験を活かし、現在は各地で災害に強い環境づくりを目指す「水の道再生プロジェクト」を推進しています。

「日本は自然のレジリエンス(回復力)がとても高い地域。だからこそ、押さえ込むのではなく、いなすように向き合うこと。その方が無理がなく、結果として“強さ”が保てるんです」
この日、裏高尾でのネイチャーガイドを終えた坂田さんにお話を伺いました。初夏の緑陰の中で語られたのは、現場で培った知恵と、幾多の実践のなかで浮かび上がってきた「水みち」の真実。見えない水の流れに耳を澄ませながら、現代を生きる私たちの、自然と共に歩む知恵を見つめ直します。
水みち──列島を貫く、隠れた循環ネットワーク
高尾ってすごいんですよ。山自体は標高599メートルと決して高くないですが、植物の種類は約1500種と、イギリス全土に匹敵する多さ。昆虫は約5000種、鳥類も日本の野鳥の4割にあたる約160種が確認されていて、まさに都心から1時間で来られる「生物多様性の宝庫」なんですね。
沢の再生活動や、森を歩くプログラム、湧き水をめぐるフィールドワークなど、この土地に流れる水や、昔ながらの知恵とつながりながら、いろんな取り組みをしています。
この地域は、かつて田んぼや湧き水と深く結びついた暮らしが営まれていた場所で、水と共にある風景を少しずつ取り戻していけたらと思っていて。
たとえばこのあたりの地下には、自然の水の通り道がたくさんあって、私たちはそれを「水みち」と呼んでいます。漢字にすると「水道」とも書けますが、人工の水道ではなくて、自然がつくり出した目には見えない水のネットワークなんです。
「水みち」は、地表の川や池と違って、掘ってみるまで存在がわからない。でもたしかにそこにあって、地形や植物の分布にも影響を与えているんです。
たぶん、ほとんどの人が普段あまり意識していないと思うのですが、この「水みち」こそ、日本の自然環境ならではの大きな特徴なんです。
日本は山が多く、東アジアモンスーン特有の気候によって大量の雨が降ります。加えて地層が複雑なため、水は斜面を立体的に流れ、地下の「水みち」も入り組んだ構造になる。さらに火山や地震が多く地層の動きも活発なことから、水の流れはまるで生き物のように常に変化し続けています。
日本の山って分厚い土に覆われているように見えて、そのすぐ下には岩盤があるんですよね。その岩の割れ目を漂流水や伏流水、地下水が自由に流れている。これこそが「水の国」日本ならではの姿です。

そうですね、ぐるぐる巡っているというか、迷路の中を通っていくような感じに近いかもしれません。たとえば高尾山では、水が岩の隙間を複雑に抜けながら進んで、やがて湧き水となって地表に現れます。
浅いところを流れる水はすぐに湧き出しますが、深くまで潜った水は、ずいぶん長い時間をかけて戻ってくることもあります。滋賀県にある比良山(ひらさん)という山では、なんと400年かけて湧き出す水もあるんですよ。だから、私たちが山で口にする湧き水は、もしかしたら江戸時代の雨かもしれません。
そうですよね。でも実はこれって、私たちの足元で毎日のように起きていることなんです。「水みち」があることで、水が土地の奥深くまで行き渡り、植物の根はその道を広げながら新たな通り道をつくっていく。
特に寒い地域では「凍結破砕」といって、水が凍ると膨張して、少しずつ岩を割っていく現象が起こります。そうやって地層がゆるんでいくと、水も入りやすくなり、根も伸びやすくなる。そうやって、水と根、そして岩が互いに作用し合い、土地の中に命の循環が育まれていくんです。
「水みち」と菌類が織りなす、命の循環
街中でコンクリートの隙間から雑草が生えているのを見たことがありますよね。あれと同じようなことが、山の岩場ではもっとダイナミックに起きています。たとえば、岩場に生えている松を見ると、土の上の松よりもむしろ立派に育っていることがよくあります。
これは岩にカリウムやナトリウムなどのミネラルが豊富に含まれていて、それを菌類が水に溶かして植物に届けているからなんです。さらにコケが生えると保湿もされて、そこに少しずつ栄養がたまっていきます。
これは国内外の研究でもわかっていますが、陸上の植物の約8割は「菌根菌(きんこんきん)*1」と呼ばれる菌と仲良く共生して、栄養をやり取りしているんです。だから森の中では、菌類を中心にしたとても精密な循環の仕組みが、今も絶えず動いています。
*1:菌根菌:植物の根に共生し、植物に水分や栄養を供給する代わりに、植物から糖分を受け取る菌類
たとえば、落ち葉。表面の網目模様は腐生菌のコロニーで、今まさに木の成分を分解して土に返している最中です。分解には2〜3年かかりますが、菌糸が落ち葉をしっかり固定するので、雨に流されることはありません。健全な森では、この菌糸ネットワークと「水みち」が連動して、保水と分解が同時に行われています。
菌根菌も腐生菌も、菌糸の太さはわずか1000分の1ミリ。土の中には、菌類たちによる微小な隙間が無数にあり、水はそこを通ってゆっくり浸透したり、毛細管現象で上へとしみ上がったりしているのです。

ええ、そう考えてもらっていいと思います。実は「水みち」を支える仕組みには、三つの大切な要素があるんです。
まず、水が岩の割れ目を通ることで道筋がつくられます。次に植物の根がそこに入り込み、さらに通り道を広げてくれる。最後に菌類が水と根をつなぎ合わせて、栄養を回していきます。
この三つが揃うことで、水も養分も無駄なく巡っていきます。だから「水みち」は単なる地下の水路というよりも、命を支える大きな循環の通り道なんです。そしてその道は、ずっと下流へと続き、やがて海へとつながっていきます。
日本近海は、世界の中でもトップクラスの生き物の豊かさを誇りますが、その背景には、山と海をつなぐ複雑で繊細な仕組みがあります。たとえば鮭や鮎は、海で大きくなったあと、生まれた川へ戻って産卵します。そして命を終えると、その体が海の栄養を山へと届ける役割を果たすんです。
つまり川もまた、「水みち」の延長なんですね。山から海へ栄養を運び、今度は海から山へ命を運び返す、まるで往復の道のように働いています。地下の「水みち」から始まり、森や川、海を経て、再び山へと戻ってくる。この大きな循環こそが、日本の自然の豊かさを支える土台になっているんです。
水が決めた形に、人が合わせる「技術」
ええ、おっしゃる通りです。背景にはさまざまな要因がありますが、私は気候変動による雨の降り方の変化に加えて、人の手による川や土地の整備も影響していると考えています。
現代の土木設計は、水を効率よく流すことを重視してきました。たとえばU字溝は雨水をまとめて流す仕組みですが、詰まりやすく、大雨の後には土砂の除去が必要になることがあります。道路工事でも、コンクリートの擁壁で水の流れが変わると、裏側の地盤に影響が及び、空洞化を引き起こすケースも見られます。
もちろんです。戦後から高度経済成長期にかけて、急速に都市が広がるなかで、限られた時間と予算で多くの人の命や財産を守るには、こうした技術が重要な役割を果たし、多くの成果を上げました。
ただ一方で、川や地下の「水みち」本来が持つクッションのような働きや浄化作用を十分配慮できず、長い目で見ると水害や生態系への影響といった別の課題が生まれている状況でもあります。
一気に変えるのは難しいですが、一つのアプローチとして「水がどんな形を望んでいるのか」を観察し、それに合わせて手を入れる方法があります。私がビオトープを作るときは、水がじわっと湧き出してくる場所を掘ります。するとすぐに水が溜まるんですが、大事なのはそこで形を決めてしまわないこと。掘ったら一、二か月はそのまま置いておき、水が自分で形を選ぶ時間をつくります。
そうすると、水が気に入らない場所の土は自然と崩れ落ちます。その後で、崩れたところをきれいにして、今度は水が決めた形に合わせて石を積む。こうすれば水とぶつからない、長く安定した池になるんです。私の経験では、水が選んだ形が一番強いように思います。

まさにそうです。実は昔の道づくりも同じで、「待つ」ことを前提にしていました。伝統的な道では、沢を横切る部分で道を水位まで下げ、水が道の上を横断できる「洗い越し」という構造をつくっていたんです。
これは『水の権利を尊重する』という考え方です。水が本来流れたい方向や高さをそのままにして、人間の道のほうが合わせる。水の動きをじっくり観察し、季節や天候の変化を何度も経てから、ようやく道の形を固める。池づくりと同じように、急がず時間をかけることで、長く安定し、手間のかからない道ができたわけです。
実際、そうした動きは少しずつ始まっています。九州の高千穂では、コンクリートの擁壁を撤去し、熊本城と同じ石積みの技法で川の護岸を作り直す取り組みをしています。

最近では、国土交通省の若手職員が集まって、昔ながらの治水技術を学び直す勉強会も開かれています。こうした事例を耳にする機会が増えてきて、少しずつ希望の芽が育っているように感じます。
大事なのは、どこまでなら自然と共存できて、どこから先はお互いに無理が出るのか、その境目を意識することだと思います。結局、私たちは水が決めたことに合わせるしかない。その前提に立ったうえで、自然との境界線をどう引くのかを見極めることが、これからの時代の出発点になるのではないでしょうか。
遊びから知る、自然の「いなし方」
自然と向き合うとき、私たちにはいくつかのやり方があります。力づくで押し切るか、全部を諦めて引き下がるか。でも私はその中間にある「いなす」という考え方が大事だと思ってます。相手の動きをよく観察して、その流れに寄り添いながら、自分の目的も手放さない。
昔の人たちは、そういう感覚を道づくりにも活かしていました。自然と人間が、お互いに少しずつ歩み寄って、うまく共存する方法を見つけていたんです。
たとえば、山道で沢に出くわしたとします。今なら、そこを避けて遠回りの道を作ったり、コンクリートで覆って水の流れを無理に押さえ込んだりしますよね。でも昔の道は、水の動きを尊重して「待ち合わせ」をするような感覚でした。
まるで電車のダイヤのように、人が通る時間と水が流れる時間を交互に調整する。普段は人がその道を歩き、雨が降って水量が増えたらそこは小川に「譲る」。人は少し不便を感じることもありますが、水が自由に流れることで全体のバランスが保たれ、双方が無理なく共存できていたんです。
そうですね。そして、その対話を支えていたのは体で覚えた感覚、つまり身体知でした。頭で考える知識とは違って、「ここまでなら大丈夫」「この気配がしたら気をつけよう」といったその身体知は、長い時間をかけて体に染み込んでいくものです。
たとえば料理上手な人は、火加減を見ただけで「もう少しだな」と分かったり、ガーデニングが得意な人は土に触れて「水やりはまだ早いな」と感じ取ったりしますよね。ああいう“体の知恵”を、自然との付き合い全般に広げていくイメージです。
あまり真面目に考えすぎなくてもいいと思います。それよりも大切なのはたくさん「遊ぶこと」ですね。遊んでいると、自然と「いなす」感覚が身についてきますから。
ほら遊びって、失敗してもまた挑戦したくなるし、うまくいくと嬉しくてもっと続けたくなるじゃないですか。沢をまたごうとして濡れてしまったら、「今度はあっちから行ってみよう」「通れた!やった」ってなる。そうやって、自分の限界と自然のクセを同時に覚えていく。それが身体知なんです。

私も活動の中で、イベントやワークショップを企画するときは、「楽しく学べる場」を意識して作っています。なぜかというと、頭で理解しようとするよりも、実際に体を動かして、失敗したり発見したりする体験のほうが、ずっと深いところに根を張るからです。
そうやって遊びながら覚えた"いなす感覚"って、実はとても応用がきくものなんですよね。自然を守るためだけではなくて、日々の暮らしの中でも「どうすれば無理がなく、みんなが心地よくいられるか」を見つけるコツになっていく。
考えてみると、自然が元気を取り戻していく過程って、私たち人間が本来の自分らしさを取り戻す過程とも重なっているように思うんです。だから、大規模な治水工事を計画するときも、庭の小さな花壇を作るときも、判断の基準はシンプルでいい。「人も自然も、長く気持ちよく付き合っていけるかな?」って考えてみるだけなんです。
そんな風に向き合っていると、その場所にしかない風景や営みが自然に育ち始めて、それを次の世代に手渡したくなる。「やらなければいけないから」ではなくて、「楽しいから続けたい」という気持ちで。
結局のところ、持続可能な社会への道のりは、意外とシンプルなところから始まるのかもしれません。「楽しいから、ずっと楽しくいたい」。この素直な気持ちが、"いなす知恵"を育て、未来を築いていく原動力になるんだと思います。

坂田昌子/環境NGO虔十(けんじゅう)の会代表。首都圏中央連絡自動車道(圏央道)高尾山トンネルの建設時、高尾山を守る環境保護活動を展開。現在は生物多様性を守り伝えるネイチャーガイドを定期開催し、ワークショップや勉強会も主宰。生物多様性条約COP他、国際会議にも継続的に参加。古書「げんせん館」店長、八王子古本まつり実行委員長など多方面で活動。2022年には一般社団法人コモンフォレストジャパン理事就任。https://sakatamasako.com/
取材:岡野春樹(Deep Japan Lab)執筆:根岸達朗 撮影:金本凜太朗 編集:日向コイケ(Huuuu)
題字『道』は、森町ご出身で名誉町民の書家・杭迫柏樹先生による揮毫
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