自ら掘り、走る。その喜びが放置林を最強の「遊び場」に変えていく
自分たちの手で道を掘り、走る。その喜びを胸に、荒れた放置林を「遊び場」へと蘇らせる。ヤマハ発動機・小倉幸太郎が挑む、人と自然をつなぐ道づくりとは。
自分たちの手で道を掘り、走る。その喜びを胸に、荒れた放置林を「遊び場」へと蘇らせる。ヤマハ発動機・小倉幸太郎が挑む、人と自然をつなぐ道づくりとは。
私たちの暮らしのそばには、さまざまな“道”があります。舗装された道路だけでなく、田畑の間を抜けるあぜ道や、動物が歩いた獣道、水の流れが刻んだ水みち——。そこには、人や地域、自然との関わりの中で生まれた物語が宿っています。ヤマハ発動機が生み出すモビリティも、そうした多様な“道”と共に育まれ、人々の移動や遊びを支えてきました。『Series 道』では、自らの手で“道”を切り拓いてきた実践者を訪ね、その視点に触れることで、自然との付き合い方や、次世代に残したい道のあり方を探っていきます。
「後ろめたさを抱えずに、正々堂々と遊びたかった」。そう語る小倉幸太郎さんが見つけたのは、人力で少しずつ築き上げた、森と共に息づくトレイルの世界でした。
静岡県森町にある『ミリオンペタルバイクパーク』。樹齢200年近い山桜が舞い散る様子から「100万の花びら」と名付けられたこの場所は、かつて手入れの途絶えた放置林でしたが、現在は5ヘクタールに15以上のコースを擁し、今もなお拡張を続ける刺激的なマウンテンバイクパークへと生まれ変わっています。

ヤマハ発動機の社員でアウトドアスポーツを愛する小倉さんは、週末になるとこの森に通い、仲間たちと共にトレイルを造成。北米発祥の「NO DIG, NO RIDE(掘らずして乗るな)」の哲学のもと、森と対話するようにして遊びの地図を描いてきました。
会社公認の“副業”として合同会社を立ち上げ、昨年は約2000人が来園。その収益はすべて設備投資や地代、納税に充てられ、運営メンバー6名はいまだに「無給のまま」だといいます。
それでも歩みを止めないのは、放置された森が、「遊び」を通じて地域資源としてよみがえり、持続可能な未来につながる手応えを感じているから。その積み重ねが、地域に眠る価値を再発見し、新しい暮らしの形を描き出していく道筋となっているのです。
当連載では、自然と共に「道」を歩む人びとの実践を紹介します。それは誰と、どんな関係を紡ぐ道なのか? それぞれの足跡に、これからの時代を生き抜くヒントを探していきます。
遊びに「後ろめたさ」はなくていい
社内で雪上用の電動アシスト自転車の開発を担当したのがきっかけです。「自転車の楽しさを知らずに開発できるのか?」と思って乗ってみたら、あっという間にハマってしまって。
僕は昔から冬はスノーボードをやってて、バックカントリーを滑るのが好きなんですが、自然の地形を読みながら身体が反射的に動いていく感じがすごく似てるなと。木の根や岩を読みながら瞬時に判断して、体重移動して、地面と対話していく感じ。なんか、脳みそが溶けそうになるんですよ。
しかも、同じ状況が絶対にないから飽きないんです。僕はサーフィンもやるんですけど、波と一緒で、山の状態って刻一刻と変わってく。湿度や気温、落ち葉の具合まで毎回違う。その変化が面白くて。
ここも何百回走ったかわかりませんけど、いまだに毎回「ああ~、楽しかった!」ってつぶやいてるくらいで。
そうなんですよ。なんていうか、スノーボードもそうなんですけど、自由に遊ぼうとするとやっぱりこともあるんですよね。ここもそうなんですけど、あるとき1.5キロのコースを整備しようと思って調べたら、地主さんが39人いたんですよ。そのあたりを一つひとつクリアにして、皆さんからの「OK」をいただかないと、日本の山で自由に遊ぶっていうのは難しい。
それ自体は仕方のないことでもあるとは思ってるんです。長い歴史の中で、山が信仰や生活の場であり、同時に災害リスクの対象でもあった背景があるわけですから。
それに、「自由に遊びたい」っていう気持ちだけが先行すると、危なっかしく見えるのも事実で。特にバックカントリーは、知識や経験がなければ自分の命を危険にさらすし、周りにも迷惑をかける。だからそこは、ちゃんと責任を持って行動しないといけないとも思っています。
ただ、僕は山で遊ぶ楽しさを知っているから、欲望としての「遊びたい」って気持ちは抑えきれないんです。そこにある種の「後ろめたさ」みたいなものはずっと抱えてて。

欧米のマウンテンバイクやバックカントリーのあり方は文化として成熟しているし、ひとつの理想ですよね。それがすべて正しいとは言わないけど、向こうには、遊びを社会の中にちゃんと位置づける懐の深さがあるようにも感じるんです。
それにそもそもスノーボードもスキーも、山に分け入って、自分のラインを見つけて滑るところから始まったわけで、バックカントリーはある意味、そのルーツを体現しているんです。
そう考えると、本当は「遊びたい」っていう衝動そのものに、後ろめたさなんていらないはずなんです。本気で遊ぶことは、本気で自然と向き合うことでもあるし、それをちゃんと社会に根づかせていく努力をすれば、遊びはもっと堂々とした文化になると思いますから。
NO DIG, NO RIDE。掘って走る、その哲学
コロナ禍の2020年に、森町を拠点とする「森マウンテンバイククラブ(MMTBC)」っていう有志のクラブを立ち上げて、仲間と一緒に本格的に場所探しを始めたところからですね。
転機になったのがフォレストツーリズムっていう林業の現場をマウンテンバイクで見に行くツアーに参加したときでした。そこで、ここの地主である森林組合の組合長さんと知り合って。「僕らマウンテンバイクやってて、森町の山を走らせてもらってます」って話をしたら、「じゃあ、よかったら今度うちの森に来てよ」って言ってもらえて。
放置されていたので荒れた状態ではあったんですけど、思っていた以上に明るくて。しかもちょうど紅葉の時期だったからすごくきれいで感動しましたね。ここにマウンテンバイクのコースを作れたら最高だなって思ったんですけど、それとなく話をしたら、組合長さんが「うちでやってみたら?」って言ってくれて。
「え! こんな素晴らしいところを使わせてもらえるんですか!?」って本当に驚きましたね。実は僕らは場所探しに行き詰まってて、もう山の斜面でもみんなで買うか、なんて話をしていたくらいだったので。だからもうここで自由にコースを作らせてもらえるなんて「夢のようだ」って思ったし、「やりなさい」っていう神の啓示を受けたような気持ちで。

北米のマウンテンバイクカルチャーで「NO DIG, NO RIDE」っていう考え方があるんです。これは直訳すると「掘らずして乗るな」ってことなんですけど、要は遊びたいならちゃんと自分たちの手を動かそうぜってことで。
そうですね。諸説ありますが、もともとマウンテンバイクっていうのは、1970年代にアメリカのカリフォルニアで、ヒッピー文化の流れをくんだ若者たちが、舗装されていない山道を改造自転車で走り回ったのが始まりとされています。
彼らは、誰かが整備した場所を与えられていたわけじゃなくて、自分たちで道を探して、仲間と協力して手作業でトレイルを作っていった。お金がないから自力でやるしかなかったところも当然あったと思うんですが、だからこそ独自性が生まれて、「道をつくること」がカルチャーそのものになっていきました。
そこにはただの作業とかルールを超えた、「関わることそのものが楽しみの一部」っていう、プロセスへの愛が込められているように感じてて。僕は昔からその考えに共感しているから、それを自分たちなりの形で受け継いでいけたらいいなと思って。
僕ひとりだったら到底無理でした。でも最初の段階で30人くらい仲間がいたんですよね。「整備を手伝ってくれたら走れるよ」って声をかけたら、意外とたくさん集まってくれて。だから造園や土木に詳しい方にも相談しながら、現場で何度も試して、少しずつ感覚をつかんでいった感じです。

ただ、水は結構苦労しましたね。道作りって、結局「水との戦い」なんです。たとえば雨が降ったあと、地表を流れる水がそのまま道に入ると、V字にえぐれてトレイルが一気に崩れてしまう。落ち葉も一緒に流れてきて、詰まってしまうこともあって。
だから「水に素直な道」を意識して、水を土の中に逃がす構造にしたり、有機的なルートを考えたり。屋根があるわけじゃないので雨を避けるっていうのは難しいんですけど、共にあるものとして設計していく必要があって。
日本って雨が多い国じゃないですか。そのおかげでこれだけ緑が豊かで、気持ちのいい森が広がってる。だから雨をただの敵と見るんじゃなくて、「この土地の個性」と捉えるようにした方が、その土地に合った道作りができると思うんです。
先ほど、バックカントリーをやっていたとお伝えしましたが、自然に対して謙虚でいないとすぐに危ない目にあうっていうのは、そのときの経験からも感じるところで。
当たり前ですけど、自然ってこちらの都合に合わせてはくれないじゃないですか。だから押し返すんじゃなくて、受け入れる。その中でどう遊ばせてもらうかってことを考えていかないといけないですよね。

メンバーのみんなによく言っていたのは「楽しもう」ってことで。ツルハシ振って汗だくになって、それを楽しめる人ってそんなに多くはないと思いますから。はっきり言ってこんなの変人がやることですよ(笑)。当然、重機で整備したほうが効率はいいし、楽ですからね。
でも、「NO DIG, NO RIDE」っていう言葉にもあるように、自分の手で地面を掘って、形をつくって、そこを自分で走るっていうプロセスにこそ、僕はこの遊びの本質があると思ってて。
それはもう。そうやって苦労して作った道を走ったときに、「ここ自分で掘ったやつだ!」っていう喜びがあるんです。コーナーでぎゅーんと壁を使えた瞬間とか、「頑張った甲斐があったな」って。
その感覚を一度でも味わってもらえたら、絶対病みつきになるし、ただ走るだけじゃないこの文化の面白さも感じてもらえるんじゃないかなって思います。
「森はどこにも行かない」
もちろん、最初はありました。せっかく動き始めたんだから、事業を早くかたちにして、土地をお借りしてる組合長さんにも恩返ししたいと思って。でもあるときに、その組合長さんが「焦らんでいいよ。森はどこにも行かんから」って言ってくれて。
組合長さん、林業をやっていて「森は100年経っても、きっとそこにある」っていう感覚を持っているんですよ。一次産業の時間軸を表現する言葉で「漁業は1日、農業は1年、林業は50年」と言われたりしますけど、林業ってほかの業態に比べても時間軸が長いんです。一本の木を育てて伐るまでに何十年、場合によっては100年という単位で考えていて。
だからその言葉を聞いたときにハッとして、「自分たちのやってることも、そのくらいの時間軸で考えていいんじゃないか」って思ったんですよね。マウンテンバイクって外から見れば遊びだけど、「文化」として根づかせるには、林業と同じとまでは言わないけれど、長期的な視点が必要なんじゃないかと。
だからこそ、重機で一気に作り上げるみたいなスピード感じゃなくて、自分たちが楽しむことを大切にしながら、山の時間に寄り添ったペースでやることにしました。その方がなんか、自分たちらしいなって。

そうなんですよ。実際、初年度からある程度の売上はあったんですが、まだメンバーに給料を出せるような事業にはなっていないんです。収益は基本的に、パークの整備費や地代、税金などに充てている状況で。
だから、「ちゃんと稼げる事業にしていく」というのは、今後の大事な目標の一つです。でもこれは、「稼ぎたいのに稼げない」というより、「あえて稼ぎすぎないようにしている」ところもあって。というのも、僕はここをちゃんと「続く場所」にしたくて。
たとえば、SNSで「ここ最高だよ、みんな来て!」って大々的に発信すれば、正直、世界中から人を呼ぶことだってできると思っています。実際、これまで海外のライダーを案内したこともあって、「こんな場所があるのか!」って絶賛されるんですよ。それくらい、ここがマウンテンバイク好きにとって特別な場所だという自信はある。
でも、それによって地元の人たちの生活が脅かされてしまったら、本末転倒だと思うんですよね。実際、コースの出口が誰かの家の裏山につながっているような場所もある。そんなところに、ある日突然たくさんの人が押しかけてきたら、やっぱり「ちょっと勘弁してよ」と思うのが自然じゃないかなって。
僕はスノーボードのバックカントリーで後ろめたさを感じながら遊んできたし、そのマイナスイメージを払拭するための活動に取り組みきれなかった負い目もあるから、大好きなマウンテンバイクの文化はそうしたくない気持ちがすごくありますね。
要は、地域の信頼を失ったら一発アウトなんです。だから今はクラブメンバーとその知人くらいに限定して、口コミベースでやってるっていうのがある。もちろん将来的にはもっと広く開けたらとは思ってるんですが、そこは地域との関係や制度とのすり合わせができてからですね。
だから焦らず、一つひとつ確認しながらゆっくりと進めていくつもりです。それも含めて「森はどこにも行かんから」っていうあの言葉が、今もずっと道しるべみたいになってますね。
古道が紡ぐ、人と自然の記憶
それでいうと、僕は「古道*」に注目してます。古道ってもともと何百年も前から人が山を行き来するために使っていた道なので、形がとても自然で、マウンテンバイクとも相性がいいんですよね。
古道……日本の古道は、奈良時代から江戸時代にかけて整備された歴史ある道のこと。代表的なものには、熊野古道、中山道、東海道などがある。これらの道は、都と地方を結ぶ官道として、また信仰の道、商業の道として、人々の生活と文化を支えてきた。
でも今ではその多くが忘れ去られていたり、倒木や崩落で荒れ放題になっていたりして。ここも最初はそんな状態で、道というより、ただの獣道みたいな感じでした。
でも、みんなで少しずつ整備していくうちに、「これはただの道じゃない」と思うようになったんです。草を刈って、土をならしていくと、その下に、かつて人が通った痕跡がちゃんと残っている。
踏みしめられて締まった地面の感触だったり、斜面に刻まれた微かな縁(ふち)のカーブだったり、明らかに人の手が入ったと思える石積みや段差の跡だったり。歩いた人の重みや、暮らしのリズムみたいなものが、土に染み込んでいるように感じて。

だからマウンテンバイクでただ走るだけじゃなくて、「ここを何百年前の人も歩いてたんだな」って想像しながら走ると、それもまたすごく趣深くて。古道って、当たり前だけどその土地の歴史や文化が織り込まれてるものなんですよ。教育的観点からも、観光資源としてもめちゃくちゃ魅力的だと思います。
そうですね。まだ僕らは慎重にことを進めているけれど、「走行料」を通じて地元の地主さんに還元したり、空き家を使って宿泊施設にしたりと、そういう循環の可能性は見えてきてます。
パークを体験した人が「ここに住みたい」って言ってくれたり、そうなると空き家が活用され、不動産の価値も上がるし、移住にもつながってくる。地方創生そのものだと思います。
それはもう実際に動いてますね。今、僕らは国の「自転車活用推進計画」第3次への提言活動にも関わっていて、将来的には制度面からも「山道をマウンテンバイクで走っていい道」として認められるように働きかけています。今はまだ認知されていない部分が多いけれど、まずは全国に成功事例を増やして、ゆくゆくは制度が追いつく流れをつくっていきたいですね。
道こそが、文明のはじまり
目的を強く持ちすぎると、それに縛られてしまうところがあるので、まずは「自分たちが楽しいかどうか」を一番大切にしています。でも、もしその楽しさの先にあるものを言葉にするなら、自然と人との関係をもう一度見つめ直すことなのかなと。
今って、自然と触れ合う機会がどんどん減っているじゃないですか。特に都市部で育った子どもたちなんかは、山や川で遊ぶ体験が本当に少ない。でも古道を整備して、そこでマウンテンバイクやハイキングを楽しめるようになれば、もっと気軽に自然と関わる入り口ができる。しかもただの自然体験じゃなくて、歴史や文化も一緒に感じられる。
もちろん地域によっては、まだ理解を得るのに苦労することもあると思うんですが、そういう場所が各地にできれば、日本人の自然に対する意識も変わってくるんじゃないかって期待してて。
僕にとって「道」は、生きものの感覚と人間の営みが交わる場所ですね。たとえば山の中でトレイルを整備していると、鹿の通り道に出会うことがよくあって、それがすごく参考になるんです。
鹿ってエネルギーを最小限に抑えながら移動するから、地形や風の流れ、地面の柔らかさまでちゃんと読んでるんですよ。で、不思議なんですけど、そういうラインって人間にとってもすごく歩きやすい。無意識のうちに「こっちのほうが楽そうだな」って感じる道と一致してるんです。

古道って、そういう感覚の積み重ねでできてるんですよ。誰かが意図して設計したんじゃなくて、何百年も前の人たちが、「ここが通りやすい」って選びながら踏み固めた道。その痕跡が、いまでもちゃんと残っている。いわば、人間と自然の"集合知"みたいなものが、形として残ったのが古道なんだと思います。
まさにそうです。しかも、道ってただの線じゃないんですよ。その道を通った人たちの記憶や感情が染み込んでいて、それが文化になり、信仰になり、やがて町ができる。道が交差する場所に人が集まり、商いが生まれ、社会が生まれた。つまり、道こそが文明のはじまりなんですよ。獣道が町道になり、街道になり、インフラになっていく——僕はその過程にものすごくロマンを感じるんですよね。
自然とのつながりや時間を越えた対話が生まれる感じですね、それがすごく豊かな体験だなと。しかもそれって、本やネットで知る知識とはまた違って、身体感覚として残るんです。僕はやっぱり、自然のことを本当に理解するには、知識だけじゃなくて現場での「体験」が大事だと思っていて。
山でも海でも、自分の身体で触れて、自分なりの感覚で「今、何が起きてるのか」を感じ取れるようになるのがいいですよね。
まあ、僕はシンプルに体を使った遊びが好きなだけなので、偉そうなことは言えないんですけど。ただ、身体で感じて、想像して、関わり方を探るといろんなことがつながって見えてくる。そうやって遊ぶように考えることで、初めて見えてくる景色って、僕はある気がするんです。

小倉幸太郎/ヤマハ発動機 共創・新ビジネス開発部 グループリーダー。2000年入社後、スノーモビル開発を経て新規事業開発を担当。2022年4月に副業として「ミリオンペタル合同会社」を設立し、マウンテンバイク専用施設『ミリオンペタルバイクパーク』をオープン。
執筆:根岸達朗 撮影:廣田達也 編集:日向コイケ(Huuuu)
題字『道』は、森町ご出身で名誉町民の書家・杭迫柏樹先生による揮毫
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