本文へ進みます
2024.06.21

聴覚で後方からの接近車両の
位置や進路を察知する「感覚拡張HMI研究」とは?

Outline

テクノロジーによって、あらゆるものが進化する現代。

“感動創造企業”を掲げるヤマハ発動機では、人間の五感と最新技術を組み合わせることで人間本来の感覚を拡張する「感覚拡張HMI(Human Machine Interface)研究」に取り組んでいます。

名前からは内容を想像しにくいこの研究ですが、すでに試作品が作られ、テストを重ねている段階。そのポテンシャルは、将来のモビリティの在り方を変える可能性をも秘めています。

研究メンバーの3名にお話を伺いました。

  • 末神 翔

    技術・研究本部 技術戦略部
    人間研究ストラテジーリード

    2011年、上智大学大学院 総合人間科学研究科心理学専攻 博士後期課程修了。専門は認知心理学。博士(心理学)。オスロ大学心理学部(日本学術振興会海外特別研究員)や長崎大学(特任助教)を経て、2014年にヤマハ発動機に入社。人間研究ストラテジーリードとしてヤマハ発動機の人間研究の戦略立案から研究遂行までを担う。

  • 渡辺 政樹

    クリエイティブ本部
    ブランドマーケティング部
    UI・UXデザイナー

    2008年、武蔵野美術大学 造形研究科 修士課程修了。2015年ヤマハ発動機入社。メーターやハンドルスイッチなどモーターサイクルのHMIデサインを手掛ける。プライベートでは重整備やレースまで行うコアなモーターサイクルユーザー。

  • 橋本 晃

    クリエイティブ本部
    ブランドマーケティング部
    サウンドデザイナー

    2016年、日本大学大学院理工学研究科 修士課程修了。専門は音響工学と音響心理学。同年ヤマハ発動機入社後、モーターサイクルの音と振動の実験・解析、外装部品設計を担当。幼少期から続けている音楽活動を活かし、現在はサウンドデザイナーとして従事。

感覚拡張HMI研究を具現化した「後方認知支援デバイス」

—— 感覚拡張HMI研究について伺いたいと思いますが、まずは試作品である「聴覚を利用した後方認知支援デバイス」からご説明いただくのがいいのかと思います。

渡辺:簡単に言えば、後方から接近する車両の距離や方向などの位置情報を音によって知らせることができるヘルメット型のサウンドデバイスです。ヘルメット後部に取り付けられた7つのスピーカーを介して、後方接近車両の存在を、気配のように直感的に認知することができるのが特徴です。

—— このデバイスの開発経緯についても教えてください。

橋本:もともとは末神さんが中心となって進めていた研究が発端でしたよね。

末神:そうです。音に着目した認知支援技術の研究を始めたのは2017年からで、現在では感覚拡張HMI研究のひとつとして進めています。後ろから何か来る、という情報を気配としてごく自然な感覚で知らせることができたら、運転の楽しさと安全性を高次元で両立できるのではないか?そんな発想から研究がスタートしました。

渡辺:ヤマハ発動機って、こういったメンバーの直観的なアイデアを大事にする会社ですよね。 人間と機械が一体となることの悦びや感動、興奮を生み出す「人機官能」という開発思想を体現する研究のひとつが感覚拡張HMI研究だと思います。安心安全を追求すると同時に夢中になれることを突き詰めていく。そんなところがヤマハ発動機らしいなと自分は思っていますね。

—— 研究におけるひとつの試作品がこのデバイスだとして、感覚拡張HMI研究とは、どんな研究なのでしょう?

末神:車両の状況や周囲の環境を自分の感覚のように感じることができるようにするための研究です。これには、従来のエンジニアリングよりも、より人間的な視点に立って物事を理解することが不可欠です。このデバイスを例に取れば、後方カメラなどを使って見えないものを可視化してあげるのがエンジニアリング的には自然な方向性です。けれども、人間って見えないものは視覚以外の感覚で察知するようにできているんですね。だから我々は、見えないものは視覚ではなく聴覚で感じてもらう方が適切では、と考えています。こうした違いを理解し、心理学なども取り入れ人間の感覚に適した直感的なデバイスを作るのが、感覚拡張HMI研究というわけです。

感覚拡張HMI研究を紹介した動画では、後方認知支援デバイスのシミュレーション風景も見ることができます。

—— チームメンバー3名が、専門分野がまったく違うのもユニークだと思いました。

末神:たしかにそうですね。私は技術・研究本部で人系の研究と技術開発を専門でやってきました。今は会社の人間研究全体の戦略を立てて、各プロジェクトをリードしているという立場にあります。研究が出自ですので、理論的、データ的にはわかっていても、実際に体験価値を作り込むところは苦手ですので、そこを2人が担ってくれている形ですね。

渡辺:私はデザインを担当しています。対象物はモーターサイクルのインターフェイスデザインで、メーターやハンドルスイッチなど、ライダーが操縦するにあたって使う機能です。私自身、コアなモーターサイクルユーザーでもあるので、どんなシーンでどんな現象が起こるかということには詳しくて。そういう経験もこの研究では活きていて、ユーザーの課題に対して色々な仮説を立てながら具現化していくというのが大きな役割となっています。

橋本:私の専門は音響心理学、音響工学、サウンドブランディングと呼ばれる領域です。 大学院では大規模空間における音の方向感(先行音効果)について研究をしていて、入社後はモーターサイクルの開発現場で騒音実験や音振動解析、外装部品の設計などに携わってきました。現在はサウンドデザイナーとして音を使ったブランド戦略をリードしています。一言でいえば「なぜ、この音なのか?」を常に考えることが仕事です。

—— 多様なメンバー構成は、研究にどんな影響を与えていますか?

末神:このプロジェクトに限らずですが、やはり私のような研究者だけでやっていても、限界があるんですよね。理論的にはこうだけど、じゃあ現実世界に応用したらどうなるの?とか、最も効果的な表現ってどんなもの?というクリエーションが研究者だけではまったくできない。そこに、この感覚拡張HMI研究のように、デザインとサウンドのプロが入ってくれることによって、ワンステップ上の議論をすることができるというのが大きいと思います。

渡辺:私は末神さんのサイエンスティックな話を聞くのがすごく楽しくて。そんなことまで証明されているの!?じゃあこういうイメージで仮説を立ててみたら上手くいくかも…とか、いつも新しい発見を得ています。自分とは異なるアプローチで共通の興味に向かってお互いのスキルを発揮できるという関係性ができていると感じていますね。

橋本:私は開発現場にいたので、エンジニア的な視点を持ち込むことを大事にしています。具体的には、末神さんと渡辺さんがアイデアを提案してくれて、どうしたら実現できるのかを私が考える。そうして、一緒に作り上げていくような形です。 少人数のチームなので機動力がある一方、議論が白熱することも多々あり、昨日も渡辺さんと“ポジティブな話し合い”をしていたところです。

渡辺:半分ケンカしていましたね(笑)。

橋本:そうですね(笑)。でもそのおかげで、またひとつ音源をアップデートすることができました。そういった専門性が違うからこそ起こる議論も、ある意味楽しみながら研究を進めています。

—— そんなメンバーが集まった感覚拡張HMI研究。現在はどのような段階まで進んでいるんでしょうか?

末神:先ほどお話した「聴覚を利用した後方認知支援デバイス」の技術についてはすでに特許を取得しており、その精度を高めるための試行錯誤や検証を行っている最中です。

渡辺:この研究において重要なのは、後ろから迫り来る物の距離や位置を、音量だけでなく、音源の位置で表現している点です。例えば後方から他人がこちらに歩いてくるとして、遠いほど足音は耳と同じ高さから聞こえ、近くなるにつれて聞こえる位置は低くなっていきます。また、左右の位置は両耳に届く音の到達時間差によって判断されています。そこで、後頭部にスピーカーを放射状に配置し、出す音の数や位置、音色、音量などをコントロールすることで、近づいてくるものとの距離と位置を表現するという仕組みを現在は検討しています。

橋本:さらに具体的に言えば、音によって距離や位置を測る人間の身体の仕組みを定量化し、各スピーカーから出す音のバランスや音色を模索していくというのが現在の研究のステップになりますね。

渡辺:そうですね。また、個人的には今まさに行っている検証のプロセスが、他社と比べてユニークかなと思っています。モーターサイクルのライディングシミュレーター「MOTOLATOR※」を使って、実際にライダーがヘルメットを被ってテストしています。コンピューター上でのシミュレーションではなく、生身の人間の感覚を大切にしているというのは研究結果に大きな影響をもたらしてくれるはずです。

※モーターサイクルの開発において、想定すべきシチュエーションや環境をラボで再現するためにヤマハ発動機が開発したライディングシミュレーター。

—— まさに“感覚”の研究という印象ですね。そういったプロセスにもヤマハ発動機らしさがあるんでしょうか?

末神:やっぱり、人間にとってベストな形が何なのかを本質的に問うっていうのがヤマハ発動機としては外せない部分ですね。このデバイスも、単純に音を出せばいいというだけではなく、人間が実際に耳で聞いて処理するのに一番適した音とは?という部分を、しっかり根拠をもって考えていく必要があります。それこそ、人間に寄り添い可能性を広げるヤマハ発動機らしいものづくりの手法なのかなと思いますね。

渡辺:うん、私もすごく共感します。モーターサイクルのユーザーは、楽しみながら乗りたいというのが最優先事項。後方車両の接近を知らせるためとはいえ、耳障りなビープ音を流してしまっては台無しです。楽しい体験を阻害せず、自然に機能する方法を追求する。これはヤマハ発動機だからこそできることなのかなと思います。このあたりは橋本さんのご意見も聞いてみたいですね。

橋本:では、私は少し視点を変えて、ブランド目線でコメントさせてもらいますね。もしかすると「ヤマハ」と聞くと、楽器のヤマハブランドを想像する方もいると思うんです。だからこそ、音を使ったプロダクトを打ち出すとなれば、生半可なものは作れません。「ふたつのヤマハ」ブランドに恥じないように、説得力のある説明ができる音を発信していきたいと考えていますね。

私たちが考えているのは、モビリティ社会全体のこと

—— 感覚拡張HMI研究の今後の展望を教えてください。

末神:このプロジェクトはヤマハ発動機だけのものじゃない、社会全体のものと個人的には捉えています。感覚拡張HMI研究はモーターサイクルだけでなく、飛行機や自転車、車椅子など、後ろを振り向くのが困難な他の乗り物にも応用が可能です。かつて、某自動車メーカーが3点式シートベルトの特許を無償公開し、それによって世界中の多くのドライバーの命が救われたと言われています。もちろん、具体的な話はこれからですが、感覚拡張HMIの技術もさまざまな分野に取り入れられ、世界中の人々の幸せに貢献できるようなものになったら、ひとりの研究者としてこれほどうれしいことはありません。

渡辺:私も末神さんと同じ思いです。モーターサイクルを含め、乗り物の安全に少しでも貢献したい。その暁には、大好きなモーターサイクルに興味をもってくれる人が増えてくれたらうれしいです。さらに長期的な視点では、乗り物に限らず、歩行者などすごく速度域の低い場面やゲームのバーチャル世界でもこの技術は活きると思うので、いろいろな発展の形を考えていけたらおもしろいですね。

橋本:渡辺さんがおっしゃるように、今後いろんなところに技術が転用される可能性を考えると、より汎用性の高いサウンドデバイスの定義を見つけていくことが今後重要になっていくだろうなと思います。そのアイデアに関しては、おふたりがいろんなところに着眼点をもっているので、自分としてはヒントをいただきながら具現化していくのが楽しみ。さまざまなスキルをもったメンバーで、今後もヤマハ発動機らしいものづくりを心掛けていきたいです。

ページ
先頭へ