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ヴォン! ヴォン! ヴォン!
あちこちからブリッピング音が響きあう鈴鹿サーキットのピットの中、バイクと人の間をかいくぐって奥へと進むと、一番ピットレーンに近い場所に黒いYZF−R25がとまっている。メカニックスーツでその傍らにいるのは、練習走行を数時間後に控えた多々良涼さんだ。工具を片手にマシンの下部まで潜り込んだかと思えば、真剣な面持ちでノートパソコンを見つめていたりと、準備に余念がない。聞くと、この日のマシンはエンジンを予備のものからオリジナルのものに乗せ替えたばかりなのだという。
「エンジンって個体ごとに部品のバラつきなどわずかな精度の違いで、パワーが落ちちゃうことがあるんです。前回のレースで使ったエンジンは調子がいまひとつだったので、今回はパワーが良かったほうに乗せ替えました。いまパソコンで見ているのはマッピング。気温や標高や湿度、それにサーキットの平均速度なんかも考慮して調整してます。鈴鹿は海が近くて標高が低いので、今日のセッティングは……」
まるで技術部門の人かと勘違いしてしまいそうになるが、もちろん多々良さんはデザイン本部の最前線で働いている人である。
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静岡県焼津市の出身で、ずっとサッカー少年だったという多々良さんだが、テレビで見かけたオートバイのロードレースをきっかけに、レーシングライダーに憧れるようになったという。やがて自身も免許を取得し、オートバイに乗るように。ところがあることをきっかけに彼のバイクライフは大きく変化していくことになる。「友達に誘われてサーキット走行を体験してみたら、ただ街や峠を走るよりずっと楽しかったんです。それに小柄な僕にとっては、モータースポーツはサッカーと違って体格であまり差がつかないところも面白くて。」それをきっかけに自走でサーキットに通い始めて、やがてバイク仲間とレースに参戦するように。サーキット走行歴はもう10年ほどになるが、着実にライディングスキルを磨きつづけ、同時に独学でマシンの整備技術も身につけていった。そして6〜7年前からは、地方選手権を中心に年間4〜5戦のレースに参戦しているという。サーキットでの練習頻度をたずねると、「月に3〜4回くらいですかね」(つまり、ほぼ毎週末通ってる!)と物足りなさそうに答えるその表情からも、その一途すぎるほどのレースへののめり込みぶりがうかがい知れた。そんな多々良さんに敬意を込めて(?)、同僚たちは彼をこう呼んでいる。「デザイン本部最速の男」ーー。
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「いや〜本当に最速かはわかりませんが、うれしいです(笑)。でも、そもそもデザイン本部への配属が僕にとって青天の霹靂でした。僕はデザインを専門的に学んだこともなかったので」と多々良さん。そう、彼はもともと法学部出身というデザイン本部でもめずらしい経歴の持ち主なのだ。都内の大学を卒業後は、さらに研究を深めるためイギリスの大学院に進学。帰国後はもちろん法曹関連の仕事に就くのだろうと誰もが思っていた矢先、多々良さんが就職を決めたのはヤマハ発動機だった。「法関係の勉強はとことんやり切って、仕事は仕事として好きなことに取り組みたかったんです。それが僕にとってバイクでありヤマハでした。しかも法務部門ではなく、しっかりバイクに関われる職種を希望していたんです 。」入社して配属されたのは国内営業。縁もゆかりもない岡山県エリアの担当となり、商談で販売店を巡る日々が始まった。地方の営業先は大型の販売店ばかりでなく、スクーターのみを取り扱うような地元の自転車店にも足を運んでいたという。2年間の地道な草の根営業は、多々良さんにとって心身をタフに鍛える思い出深い期間となったそうだ。
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“青天の霹靂”という配置換えを経て、現在はデザイン本部プランニングデザイン部に所属し、自身が愛してやまないスーパースポーツバイクなどを担当している多々良さん。「先進国向けモデルのカラーリングや立体デザインを調査・分析する仕事をしています。もう少し具体的に言うと、そのモデルの色や形を決める上でのストーリーや作戦を考える役ですね。例えば、なぜこのバイクは青いのか。そこに対する理由づけ、技術的な難易度、その青をどう他の製品に展開していけるのか。すべてを突き詰めてロジックで固めたうえでデザイナーに渡して、デザインで戦ってもらう。デザインを統括し、本職デザイナーの一歩前に立っていろんなものと戦う役、と言えるかもしれません。」ここで方向性が決まったカラーリングと立体デザインは、のちに他地域のモデルや排気量の異なる兄弟モデルにも展開されていく。つまりグローバルヤマハとしてのトレンドを作り上げる、責任重大な役割なのだ。「スタイリングだけではなく、僕個人としてはメカニカルな部分の造形と整備性も気にしています。自分自身がレースで頻繁にマシンをバラすので、実際にメンテするユーザーやお店のメカニックの人のことをつい考えてしまうんです」法学で培った論理構成力や冷静な分析力、営業で鍛えられた人の心を動かす説得力、そして何より一途なバイク愛ーーいっけん多々良さんの異色とも思える経歴は、実はデザイン企画の仕事において何より彼の強みになっていたのだ。
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ちなみにヤマハ発動機の社員とはいえ会社からパーツの支給などはなく、レース参戦に伴う費用は多々良さんがすべて自費で負担しているという。「タイヤやオイルやパーツは消耗品ですし、レースへのエントリー費や月に3〜4回練習するサーキット走行代、地方のレースへの遠征費と、レースってやっぱりお金がかかりますよね。それに少し前に600ccクラス参戦のためにR6を新車で買ったばかりなので、このところちょっとレース関連の出費はかさんでるんです。あまり大きな声じゃ言えないんですけど……年収の3割くらいはレースに使っているかもしれません。」と苦笑する多々良さん。じつはヤマハには会社からさまざまなサポートが受けられる社内のレーシングチームもあるのだが、多々良さんはストイックに個人でのレース活動にこだわっているのだという。「社内チームに参加するのも、もちろん一つの手段だと思います。でも多少お金はかかるかもしれないけど、僕はマシンのセッティングから走りまですべて自分でやるほうが楽しいですね。自分のやりたい事を自分で試して、結果もすべて自分に返ってくる。そういう言い訳できない状況のほうが燃えるんですよ。だからレースも耐久レースより全力で攻めきれるスプリントの方が好きなんです」
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そう言いながら、多々良さんはピットの先のコースの様子を見つめていた。その日の鈴鹿は、朝から強い雨が降り続いていた。「雨のレースは嫌いじゃないんです。ウェットだとコーナーで倒せないぶん直線の加速勝負になるので、僕みたいに体重が軽い選手はちょっと有利なんですね」と余裕ありげに微笑んだ。
いよいよ練習走行の開始を告げるアナウンスが流れ、ピット内の空気がにわかに慌ただしくなる。
「それじゃ、ちょっと頑張ってきます!」そう言って多々良さんは待ちきれない様子でヘルメットをかぶり、雨で少し霞んだピットレーンへと飛び出していった。
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