インタビュー当日は、いまにも雨が落ちてきそうな静かな曇り空だった。約束の時間までにはすこし余裕があるので、取材スタッフは撮影場所をさがしてしばし近所を巡ることに。そして取材場所の茶室から歩いてほんの数十歩のところにある河川敷に、素敵なロケーションを見つけることができた。いまが盛りとばかりに、桜の木々が美しく花開いていたのだ。
そして30分後、今日の主役である久保田葉子さんは美しい和服をまとってあらわれる。柔らかな面持ち、楚々とした佇まい、洗練された所作……。曇っていても、晴れていても、彼女が放つ凛とした存在感は変わらないことに安堵する。そんなステキなすべり出しで始まった撮影は、桜並木からほの暗い茶室へと移して続けられた。
久保田さんは現在、おもにASEAN諸国向けの新型モーターサイクルのデザインを企画する仕事をしている。にわかにイメージしにくいかしれないが、いったいどんな仕事をしているのだろうか? 人となりが知りたくて、すこしさかのぼって話を聞いてみた。
「乗り物って楽しいなという思い出は、叔母のバイクにふたり乗りしたときに原体験があります。幼稚園のころでしょうか。とても気持ちがよかったことをよく憶えています。やがて社会人になり、縁あって就職したヤマハでの最初の配属先はモーターサイクルの設計/開発を行う部署でした。まずはバイクのことを知らなければ先に進めないなと思い、同期と連れ立ってさっそく小型二輪免許を取得。爽快さにハマってしまったのはそのときからですね(笑)」
生来の凝り性もあって免許はさらに中型、大型へとステップアップ。その間、九州や四国、本州、北海道をつぎつぎとバイクで旅するいっぽう、職場の仲間に誘われて土の上を走るオフロードレースに参加したこともあったという。そのころの久保田さんは、バイクの魅力にすっかり憑りつかれてしまっていた。
おもしろそう! と思ったらためらわずに飛び込んでしまう。それは久保田さん自身もみとめる旺盛な好奇心が原点のようだ。そんな彼女があるとき、「なにか“道”がつくものにトライしてみよう!」と思い立ち、始めたことがふたつあったという。ひとつめは、空手道。10年つづけてなんと黒帯まで達したというのだから、そのひたむきさに驚いてしまう。そしてもうひとつ。久保田さんが深くハマっていったのが、20年来の趣味である「茶道」だという。茶道のどこに惹かれたのだろうか?
茶室の窓は想像していたよりもせまく、室内にとどく光はけっして多くない。街の喧騒から離れた静けさのなか、空気が自然と張りつめていくのを感じる。座敷に膝を折って茶道のイロハをていねいに説明してくれる久保田さん、その話に耳を傾ける。
「茶道に惹かれる理由は語り尽くせませんが、ひとつにはお茶事(お茶会)があります。お茶事のテーマのことを茶道の世界では『趣向』と呼び、主催者である亭主は、趣向を凝らした道具でお客様をお迎えします。たとえばお花見やお月見などテーマがわかりやすいこともあれば、そうでないこともある。いずれにせよ、亭主から先にテーマを告げることはしません。招かれた側は供された掛け軸や生け花、お茶入れ、お茶碗など道具や部屋のしつらえを見て推察し、テーマを自分なりに想像する。ひとつひとつに意味が込められていますから。それらすべてをもってお客さんに愉しんでもらうわけです。そういう意味では企画力が問われます。相手との一期一会のなかで、いちばん大切なのはおもてなしの心です」
ひと目には無関係に見える茶道とモーターサイクルのデザインだが、共通項はあるのだろうか。
「最終的に商品は、お客様に喜んでもらうことを目標にしています。そこはお茶事と似ていますね。デザインの企画も、つまるところお客様がどういう商品を求めているのか、喜んでくれるのかを見極めた先にあるものなんです。もちろんターゲットのお客様イメージはあります。そんなお客様のニーズを具体的な“カタチ”に落とし込んでいくプロセスで、デザイナーやエンジニアの間に立ってコミュニケーションするのが私の仕事なんです。立ち回りとしてはプロデューサーに近い。お茶事で言えば亭主でしょうか。どのようにおもてなしをしようか、と考えることはサプライズを演出することでもあり、それは茶道とデザインに共通する醍醐味だと思います」
「お茶事のときに、身につける着物のアイデアをモーターサイクルにもらう、なんてことも。着物はメインカラーの印象もさることながら、そこに足す帯や帯締めなどでイメージがガラッと変わります。そういった挿し色の使い方を、モーターサイクルのカラーリングから応用するんです。意外な組み合わせに驚かれることもあるんですよ(笑)。これとは逆に、モーターサイクルのデザインが着物の色遣いにインスパイアされることもあります。たとえば黒やこげ茶のシートに、水色のパイピングやステッチを入れるだけでモダンで粋になる。着物ならではの色遣いをヒントにして、カラーリングの参考にするんです」
デザイン全体の責任を負うポジションゆえ、奮闘しなければいけないシーンもきっと多いだろう。それでも自分が発した言葉が徐々にカタチになっていくのは楽しい、と久保田さんは続ける。 「とくにヤマハ発動機のように“デザインの力”を信じているメンバーの声が大きい会社では、デザインをまとめる力も重要ですし、そこにやりがいも感じます」
モーターサイクルデザインと茶道。それらへの想いとこだわりは、控えめな久保田さんの口調をもってしても十分に伝わってくる。 「映画と同じく、茶道も総合芸術と言われています。お花、お香、書、そして禅語……あらゆる“道”が茶室のなかで交差している。モーターサイクルも、機能・性能・スタイリング・CMFG(※)などが揃ってはじめてひとつのデザインとして完成します。たとえば塗装ひとつとっても、表面的な着色というだけではなく、どんな素材に塗るのか、どんなグラフィックを貼るのかでモデルの印象は大きく変わってきます。さらに最近ではマットカラーの普及によって、手で触ったときの感触までも楽しめます。一服のお茶を五感で味わうように、モーターサイクルのデザインも、目に見えることも、見えないことも、細部にまで心を配ることは同じなのかもしれませんね」
※カラー(色)、マテリアル(素材)、フィニッシュ(仕上げ)、グラフィックの略称
余談かもしれませんが、と最後に久保田さんはこう加えてくれた。
「私はやりたいと思ったらすぐに行動に移しますが、その一方でなかなか続かないことも多いんです。でも、お茶の世界にはまったく飽きることがない。茶道は途方もなく広くて、深い。すぐに答えが見つからないところがいいんです。一生楽しむことができる“道”を見つけることができて、幸せだなあと思っています」