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YZRファースト・ウィナー&チャンプス

2003年 企画展 Vol. 3

2003 企画展 Vol.3
WGP500最高峰への挑戦
WGP500 最高峰への挑戦  YZR500 30年の進化

YZRファーストウィナー&チャンプス

  ヤーノ・サーリネン 選手
(YZR500:ファースト・ウィナー)


フィンランドの港町タルクの大学で機械工学を専攻、レースのかたわら首席で卒業したエンジニア。母国語のほかにも英、仏、独の3カ国語を不自由なく話した。
繊細でかつ大胆な走りは、10代の頃から熱中していたアイスレースで鍛えられたもので、"フライング・フィン"サーリネンの名を世界に知らしめ始めたWGPワークス参戦1年目にして早世してしまった。
1945年 フィンランド・タルク生まれ
1965年 アイスレース(氷上レース)フィンランド・チャンピオン
1967年 プフ125でロードレースにデビュー
1969年 自らの設計による急角度のハンドルバーを装備したヤマハ250ccでWGP250ccクラスに出場
1970年 WGP250ccクラス・ランキング第4位
1971年 フィンランドのヤマハ代理店・アーウィドソン社のサポートでWGPに出場
チェコGP350ccクラス優勝、イタリアGPとスペインGP250ccクラス優勝
この年250ccクラス・ランキング第3位 
1972年 WGP250ccクラスチャンピオン獲得
1973年 この年からヤマハワークスライダーとして参戦。

3月のデイトナ200マイルレース、4月のイモラ200マイルレースに「TZ350」で連続優勝。金谷秀夫選手とのコンビでヤマハが初挑戦のWGP500ccクラスに出場。第1戦・フランスGPでデビューウィンを飾る。250ccクラスとのダブルウィン。第2戦・オーストリアGPで2GP連続で500cc、250ccの2クラス制覇。第3戦・西ドイツGP500ccクラスでラップレコード樹立、250ccクラス3連勝

5月20日 第4戦・イタリアGP(モンツァ サーキット)の250ccレースで、スタート直後の第1コーナーで発生した、コース上のオイルからといわれる多重クラッシュに巻込まれて他界。ヤマハレーシングチームは、この年この事故の後WGPへの出場を取り止め、サーリネン選手への哀悼の意を表した。

  ジャコモ・アゴスチーニ選手
(YZR500:'75年ワールド・チャンピオン)


1965年のWGPデビューからほぼ10年間にわたりWGP500ccクラスの第一人者として君臨したイタリアの国民的英雄。チャンピオン15回という大記録はいまだに破られていない。
1974年世界中の話題を集めてヤマハワークスに加入。引退後は、「MARLBORO YAMAHA TEAM AGOSTINI」(1987年~1989年)の監督をつとめた。

1942年 イタリア・ベルガモ生まれ
1962年 20才の時にイタリアのナショナルレースにモト・モリーニで初出場
1964年 イタリア・ナショナルチャンピオンとなりWGP初出場(250ccクラス12位)
1965年 MVアグスタよりWGPにフル参戦。デビューシーズンで350cc、500ccの2クラスでランキング2位
1966年 WGP500ccクラスチャンピオン獲得(MVアグスタ)
この年から1972年まで7年連続してWGP500ccクラスチャンピオン
1968年 WGP350cc、500ccの2クラスでチャンピオン獲得(MVアグスタ)
この年から1974年まで7年連続して350ccクラスチャンピオン獲得
この年から1972年まで5年連続350cc、500ccの2クラスでチャンピオン
1974年 ヤマハファクトリーチームに加入
デイトナ200マイルレース優勝
イモラ200マイルレース優勝
WGP350ccクラスチャンピオン獲得
1975年 「YZR500」(OW23) でWGP500ccクラスチャンピオン獲得

  ケニー・ロバーツ選手
(YZR500:'78~'80年ワールド・チャンピオン)


ショートトラック、マイル、ハーフマイルなどのダートトラックレースとロードレースを組み合せたシリーズ戦の総合成績で順位を決定する AMAグランドナショナル選手権の第一人者として1980年からWGP500ccクラスに挑戦。独特のハングオンスタイルでV3を達成し"キング" ケニーの名を欲しいままにした。
引退後は、「TEAM LUCKYStrIKE ROBERTS」('86年~'89年)、「TEAM MARLBORO YAMAHA ROBERTS」などレーシングチームの運営に手腕を発揮。2000年には、K・ロバーツJrが、WGP500ccクラスチャンピオンを獲得。親子2代にわたるWGP500ccクラスチャンピオンとなった。

1951年 アメリカ・カリフォルニア生まれ
1965年 14才でレース初出場
1969年 オレゴン州選手権(100ccクラス)獲得
1970年 AMAノービスクラスチャンピオン獲得
1971年 AMAジュニアクラスチャンピオン獲得
1972年 AMAエキスパートクラス第4位
1973年 AMAグランドナショナル選手権チャンピオン獲得
1974年 2年連続してAMAグランドナショナル選手権チャンピオン獲得
1975年 AMAグランドナショナル選手権第2位
1976年 AMAグランドナショナル選手権第3位
1977年 AMAグランドナショナル選手権第4位
1978年 YZR500(OW35K)で初のWGP500ccクラスチャンピオン獲得
1979年 YZR500(OW45)で2年連続WGP500ccクラスチャンピオン
1980年 YZR500(OW48・48R)で3年連続WGP500ccクラスチャンピオン獲得
1981年 YZR500(OW53・54)でWGP500ccクラス第3位
1982年 YZR500(OW60・61)でWGP500ccクラス第4位
1983年 YZR500(OW70)でWGP500ccクラス第2位


  エディ・ローソン 選手
(YZR500:'84年'86年'88年ワールド・チャンピオン)


USスーパーバイクレースの時代からフレディ・スペンサー選手の好ライバルとして注目を集める。
WGPでは、"ステディ・エディ"のニックネームどおり、常に冷静で安定した走りを見せ、1970年代以降では2番目となる4度の500ccクラスチャンピオンを獲得した。('89年はホンダNSR500にて参戦)

1958年 アメリカ・カリフォルニア生まれ
1978年 西部地区ジュニアクラス・ダートレースチャンピオン
1979年 デイトナロードレース250ccクラス優勝
1980年 USスーパーバイクレース第2位
1981年 USスーパーバイクレースチャンピオン
1982年 2年連続USスーパーバイクレースチャンピオン
1983年 YZR500(OW70)でWGP500ccクラス第4位
1984年 YZR500(OW76)で初のWGP500ccクラスチャンピオン獲得
1985年 YZR500(OW81)でWGP500ccクラス第2位
1986年 YZR500(OW81)でWGP500ccクラスチャンピオン
1987年 YZR500(OW86)でWGP500ccクラス第3位
1988年 YZR500(OW98)でWGP500ccクラスチャンピオン
1989年 4度目のWGP500ccクラスチャンピオン獲得(ホンダNSR500)
1990年 YZR500(OWC1)でWGP500ccクラス第7位
1991年~
1992年
カジバからWGP500ccクラスに参戦


  ウェイン・レイニー 選手
(YZR500:'90年~'92年ワールド・チャンピオン)


"キング"ケニー以来WGP500ccクラスを席巻していたアメリカンライダーの一人。E・ローソンの後をうけワークスヤマハのエースとして活躍。V4を目指してケビン・シュワンツ(スズキ)と激しいトップ争いを展開していた1993年の第12戦イタリアGP(ミサノ)のクラッシュで負傷。
引退後の1997年~98年には「YAMAHA TEAM RAINEY」の監督として阿部典史選手らの活躍をサポートした。

1960年 アメリカ・カリフォルニア生まれ
1977年 ダートトラックレースに出場
1982年 AMAスーパーバイク選手権第5位
1983年 AMAスーパーバイク選手権チャンピオン
1984年 WGP250ccクラス第8位
1986年 AMAスーパーバイク選手権第2位
1987年 AMAスーパーバイク選手権チャンピオン
1988年 YZR500(OW98)でWGP500ccクラス第3位
1989年 YZR500(OWA8)でWGP500ccクラス第2位
1990年 YZR500(OWC1)で年間7勝を上げ初のWGP500ccクラスチャンピオン
1991年 YZR500(OWD3)で2年連続WGP500ccクラスチャンピオン
1992年 YZR500(OWE0)で3年連続WGP500ccクラスチャンピオン獲得
1993年 YZR500(OWF2)でWGP500ccクラス第2位

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