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FZ250 PHAZER 開発者インタビュー

展示コレクションの関連情報

出力値は社内でもマル秘扱いだった

PROFILE

寺下伸志氏(てらした・しんじ)
エンジン設計担当
小原直己氏(おはら・なおき)
車体設計担当
鶴谷知弘氏(つるや・ともひろ)
走行実験担当

鶴谷:発売は1985年。もう本当に一昔の話になってしまいましたね。

寺下:あの頃は俗に言う"HY戦争"の後で、若い人たちに新しい挑戦をさせようという雰囲気が社内に強くありました。それで次世代のスポーツに何が必要か? というようなことを日々熱心に論議していた頃ですね。

小原:1983年の秋頃ですか。浜名湖近くの施設に若い社員が合宿して議論した。その模索のなかから出てきた結論のひとつが、前傾低重心エンジンという考え方で、それがジェネシス思想に繋がっていった。


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初期のFZ250Phazerデザインスケッチ

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FZ250Phazerモックアップ

鶴谷:そう、あれがジェネシス誕生のキッカケですね。でも、初めて具体的にジェネシスを取り入れた欧州向けFZ750のチームと、我々国内のFZ250Phazerチームの間で、プロジェクトを進めるためのリレーションは特になかったよね?

小原:まったく別進行だった。それとは関係なく、我々は軽量な250cc・4ストロークを作るということで、そうとう気合が入っていました。

寺下:2ストロークに負けない4ストロークを狙って、並列4気筒にした。5バルブも考えたけれど、1気筒当たり62ccだとロス馬力が大きくなるので、最終的に4バルブのほうが効率的だと判断したんです。

小原:エンジンの計画図を書いている時、寺下さんのところに役員が覗きに来たとか?

寺下:そう。担当重役が来られて「もちろんVツインだよね」と言われた。そこで、私は「Vツインにヤマハ発動機のオリジナリティはありません。我々の個性が表現できる、新しいものにチャレンジしています」と答えて納得してもらいました。でも出力値は内緒でした。

鶴谷:とにかく凄いエンジン。初めて試作エンジンで走った時の感覚は、かつて経験したことのないものでした。14,500r/minで最高出力を搾り出す超高回転型なので、2次減速比をどの程度にすればよいか全然分からなくて、いろいろ試して……、テスト走行ではおもしろいほど吹き上がった。

鶴谷:社内のプレゼンテーションでも、エンジンをかけて音を聞いてもらいました。

寺下:会議室で役員さんたちに説明した時だね。これがフェーザーだ! ということをわかってほしくて……。「エンジンかけてもいいですか?」なんて聞いたら当然NGだろうから、独断でいきなりエンジンを回して、14,000~15,000r/minくらいまでの音を聞いてもらった。あっという間ですよ。キューンという音を出して、すぐ停止した。一瞬、シーンとなりましたね。

小原:馬力の数値は、社内でも本当のことは言わなかったでしょう。

寺下:情報漏れを避けたくて、社内でも40馬力で通していた。そして発表直前、カタログの印刷直前に、45馬力に変更したんです(笑)。

小原:軽量・コンパクト化の作り込みは、エンジンも車体も、お互い大変でしたね。

寺下:あれはつま恋でプレス発表会をやった時だったかな。クランクの軸受けについて担当者から会社に電話があった。軽量化のため4点ジャーナル軸受けで設計していたのですが、生産直前に問題が出て、通常の6点ジャーナル軸受けに変更したんです。それを忘れていて、どう説明したものか、少々焦りましたね。

小原:エンジンの重量はどうなったんですか?

寺下:それでも、設計目標値54kgが、実際には52kgまで軽量化できました。


ヤマハらしさを主張できた思い出の1台
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鶴谷:ところで、エンジンを含めた車両全体の耐久テストも、相当徹底してやりましたね。

小原:谷田部(自動車試験所)の高速耐久テストなんて、すごくハードでした。

鶴谷:バンクがついたオーバルコースを全開で走る。車体の安定性はよかったけれど、前後16インチのタイヤにずいぶん気を使いました。経験のない世界でしたからね。タイヤのマッチングの部分かな。

寺下:エンジンは無負荷で17,000r/minテストもやりました。

鶴谷:ギア抜けや後輪が路面から離れた状況を考慮してのことですが、17,000回転なんて現実にはまずありえない、厳しい条件設定。エンジン設計の人たちは、エンジンが悲鳴を上げているみたいで、イヤだったでしょうね。

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寺下:作り込みに自信はあったけれど、新しいこと、初めてのことが山盛りのエンジンでしたから、無茶はしてほしくなかった(笑)。点火プラグはM10のロングリーチ、コンロッドは通常のSC(炭素鋼)材ではなくSCM(クロームモリブデン鋼)材で大端径27mm、4mm径バルブステム、インナーパッド式の直押し動弁系とかね。

鶴谷:M10ロングリーチ型プラグは、海外メーカー製品を使ったんですよね。

寺下:国内メーカーに合うモノがなくてね。フォルクスワーゲンのレース部品として供給されていたプラグを転用することにした。

小原:ヘッドまわりもFZ750とかなり違います。

寺下:FZ750はラッシュアジャスターのスペースを取ってあるけれど、FZ250はギリギリまでスペースを詰めて割愛した。バルブステムも、それまで5.5mmしか経験がなかったけど、4mm径に挑戦。小径の大端メタルも部品メーカーに依頼して作り込んでもらいました。

※ラッシュアジャスター=バルブクリアランスを油圧で調整するためのパーツ


鶴谷:丸みのあるクランクケースカバーも特徴でした。

寺下:騒音対策でカバーを二重にすると重量が増えるので、剛性を確保できる球面形状にしたんです。ちょうど、3D CAD(Computer-aided Design)で設計できるよう環境を整えつつあったんですが、我々は手書きで図面を引いていました。いち早くCADを使ったFZ750のエンジンと見比べると、全体の雰囲気が微妙に違うような気がしますね。

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鶴谷:吸気系でも新しいトライをやりましたよね。可変吸気管とか。

寺下:うん。アルミでファンネルを作って、オン/オフ切替式の可変吸気管を試した。でも4ストロークは低速でトルクがあるから、結局使わなかった。

鶴谷:キャブレターでは対応しきれなかった部分もあるでしょう。今ならインジェクションがあるからいいけれど……。可変吸気管をあきらめた分、大きなエアクリーナー容量の確保が必要となり、車体設計への要求が増えたんじゃないですか? 


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小原:確かに、その影響は大きかった(笑)。というより、前傾低重心エンジンを考えると必然的にあの形のフレームになる。苦労したのは、そこからの地道な軽量化と、振動対策でした。エンジンの懸架方法をいろいろ調整して、ようやく3点懸架で解決できたんです。そうそう、フレームのなかにラジエターの冷却水を通す方法も、新しいアイデアでしたね。

鶴谷:あれは、ラジエターを大きくするのと同じくらい、よく効いたよ。

小原:脱着する側のフレームに冷却水を通す方法は特許があって、我々は脱着しない本体側のパイプに冷却水を通す方法を採ったんですが、確かにうまくいったと思います。

鶴谷:外観のデザインや仕上げにも、ずいぶん気を使いましたね。

小原:空力に配慮したカウルの設計、燃料タンク容量12Lの確保とニーグリップ性の両立、ビルトインフラッシャー、タンクとカウルの合わせ目をきれいに仕上げる方法など、新しいことにたくさんチャレンジしました。アルミダイキャスト製のフートレストも、ヤマハ量産車初でしょう。

鶴谷:アルミダイキャスト製フートレストかあ。最初のテスト品は強度が足りなくて、ちょっと蹴っただけで壊れてしまい、走行テストする前に10回くらい蹴って試して乗ったことを覚えています。もちろん、すぐに品質改善されましたけどね。

小原:でも、そういうことの積み重ねによって、皮ツナギを着なくても似合うスーパースポーツが完成した。プロジェクトチーム内でいろいろ議論はあったけれど、すごくヤマハ発動機らしい、オリジナリティのあるモデルになった。それは今も胸を張って言えます。

鶴谷:初めてのことが多かった、つまり知らない世界がたくさんあった。すると恐いもの知らずの強さで、どんどん行けちゃうんですよ、人間って(笑)。

寺下:若いスタッフが一丸となって、ヤマハらしさを存分に表現できた、とても思い出に残るモデルです。

※このページのプロフィール、および記事内容は、2005年2月の取材によるものです。
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