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Yamaha Journey vol.28

ヤマハ XT660Z テネレに乗るメタボン(望月康司)のユーラシア~アフリカ大陸横断ツーリング体験談です。

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地平線の先に広がる奇跡の出会い

メタボン

XT660Z テネレ

#02 旅の半ば、ヨーロッパの文化を五感で楽しむ
2018年 ヨーロッパ

東京の下町生まれ。日本ではロスト・ジェネレーションともいわれる1970年代前半に生まれて明るい未来を描けないまま、なにかを成し遂げたいという気持ちだけはくすぶり続けてきたメタボン(望月康司)さん。さまざまな出来事に背中を押されて出発し、人々の助けを借りながら突き進み、時に立ち止まる、ユーラシア〜アフリカ大陸横断の旅。暖かい人々との交流や多彩な文化を楽しみ、時にバイクトラブルに見舞われながら、ジョージアからジブラルタル海峡まで進む、ヨーロッパの記録。

知人に誘われて向かった秘境オマロ。
道中、蛇が縫って這うように曲がりくねった道が突如として姿を表した。
崖から落ちないように慎重になる。

オマロ(ジョージア)

プラハのブルタバ川沿いには、すれ違えないほど細い路地に小さな信号があったり観光客を飽きさせない。
恋人達は互いの誓いを現地に残していく。

プラハ(チェコ)

優雅という言葉がピッタリな光景。ヨットから眺める海はどんな印象を与えるのだろうか。
一度で良いから豪華ヨットの上で過ごしてみたいものだ。

コート・ダジュール(フランス)

曇りだった空が夕方になって急に晴れ渡って夕焼け空が広がった。
なんとも清々しい気持ちに包まれ、天気と気分には関係があるとわかる。

カダケス(スペイン)

まるでRPG!?なジョージア、野営天国トルコの親切な人々

ロシアとの国境を越え、ジョージアに入国するころにはもう日暮れを迎えていた。石造りの城に松明が灯り、十字架が照らされている様子はまるで中世。今にも騎士が出てきそうな雰囲気の風景が広がっていて、まるでロールプレイングゲームの主人公になったような気分になってしまう。
ジョージアの首都ティビリシは居心地もよく日本人観光客も多い。街中では無料でwi-fiを使えることもあって、バックパッカーの定宿にしばらく滞在することに。この宿にも日本人が多く、料理を作ったりして交流。夏休みだったからか、高校生もいたのが驚きだった。ジョージアでは芳醇な香りのぶどうの蒸留酒、グラッパがポピュラーらしく、500mlで200円程度と安い。しかしながら観光に力を入れている国だけあって、路上での飲酒はNG。街は綺麗に保たれている。
街は石造りの壁が続き、少し郊外へ出ると自然豊かなジョージアは、ただバイクで走っているだけでも楽しい。3時間ほどバイクを走らせて「限りなく天国に近い教会」と呼ばれるゲルゲティ三位一体教会など歴史的建造物が点在するステパンツミンダも訪問。絶景の渓谷ジュタへの道中では、牛が道路を占領していたり、崖の狭い場所にギューっと(笑)集まっている不思議な光景を目撃したり。
2週間くらいジョージア観光を楽しんだのち、トルコへと向かう。国境越えの際、保険の手続きでひと悶着あったものの、無事入国。トルコのロードサイドのガソリンスタンドには野営OKな芝生エリアがある事も多く、何度かテントを張らせてもらった。

ブルサではSNSを通じて知り合ったトルコのテネレ乗りのグループと交流。僕がSNSに投稿する際にハッシュタグ「#XT660Z」をつけていたら、見つけてフォローしてくれたのだ。知らない土地を楽しむには、現地の友人に案内してもらうのが間違いない。彼らが連れて行ってくれたミシュラン掲載店で食べた焦がしバターをかけて食べるケバブは、なんとも絶妙な旨さで忘れられない。さらには「ブレーキパッドが薄くなったんだよね」と何気なく話していると予備のブレーキパッドをプレゼントしてくれたり、グループのオリジナルTシャツをもらったりと、本当にお世話になった。
「観光客を騙す人も多い」と聞いていたが、少なくとも僕が接したトルコの人々は、損得勘定なしで優しい人ばかりだった。それを痛感したエピソードをひとつ。国境越えにあたり、そろそろバイクのメンテナンス時期だなと思い、テネレ仲間お勧めのショップへ。タイヤとエンジンオイルを交換し、ついでに洗車もお願いすることに。40分程度かけて丁寧に洗ってもらったのち、お会計しようとすると……なんと洗車代はいらないという。よくよく話を聞いてみると「アフリカに行くなら、子供達にお菓子を買ってあげてほしい」というではないか。もちろんそうさせてもらうよ、と、なんとも温かい気持ちでトルコを後にしたのだった。

温泉天国ブタペスト、生と死を感じたプラハとアウシュビッツ

トルコのチャナッカレから15リラ(=約280円!)のフェリーで対岸に渡り、ギリシャで一泊してブルガリアに入国。野営できるガソリンスタンドでキャンプするも、テントが凍るほどの寒さで先へと急ぐ。ベオグラードを経由してハンガリーの首都、ブタペストへ。
路面電車の騒音やパトカーのサイレンなどを聞くだけでも、ヨーロッパに入ったんだなということが実感として感じられてくる。ブタペストといえば温泉天国ということで、ゲッレールト温泉へ。ステンドグラスや円形天井が随所に施された豪華な内装なのだが、雰囲気は日本で言うところの健康ランド。老若男女がぬるいお湯に浸かりダラダラしている。この日は日差しも強かったため、温まった体を屋外でクールダウンするのも気持ちいい。風呂上がりに屋台で食べた極太のソーセージとビールも最高だった。

ゲストハウスも居心地がよく、ブタペストには3~4日滞在したのち、スロバキアを抜けてブルノで1泊してチェコスロバキアへ向かう。チェコとポーランドでは、観光しつつ旅の疲れを癒すことに。
1万人もの人骨が装飾に使われていることで知られているのが、セドレツ納骨堂。骸骨でシャンデリアや聖杯が形作られた内装は圧巻ではあるものの、不思議と陰鬱な雰囲気は一切感じない。多くの人が訪れることで、供養にもなっているのだろうか。美しいステンドグラスでも知られる聖ヴィート大聖堂は、プラハの町を見下ろす場所にある。ふと、ドローンで撮影したいな、と思って地元の人に聞くと「大丈夫じゃない?」との返事。でも念のためと調べてみると、罰金2500万円! ドローンは身近になるにつれ規制も厳しくなっているようで、飛ばす際には注意しなければいけない。
そして、それなりの覚悟を持って訪れたアウシュヴィッツ。負の遺産として知られているこの地だが、その建築物や展示は見る人の感情の動きまで緻密に計算されており、非常に考えさせられるものだった。気の遠くなるような数の人々がここで死んでいったという事実を積み重ねながら、頭ごなしに説教するのとも違う、洗練された表現で見せてゆく。これだけの空間が入場料無料というのも、高い志を感じる。一度の訪問だけでは見終わらないほどの規模だったため、ぜひ再び訪れたいと思う。

イタリアの豊かな食文化、大らかな人々

ドイツに入国しミュンヘンに3日間滞在した後、道中で出会った家族が勧めてくれたキーム湖でドローン撮影を楽しむ。ワインディングロードを走りながら絶景を望めるハリゲンブルートを通り、スロベニアに入国する前にガソリンも入れておこうとスタンドで給油。なにげなくレシートをチェックすると……なんとリッター232円!ユーロ圏では国境を意識することは少ないが、国によって物価がずいぶん違う。その中でもガソリンの値段は驚くほど違ったりするため、リッター180円ほどの比較的安いスタンドを見つけながら給油することに。
ベネチアは高潮による洪水、アクアアルタで水位が上がってたため早々と移動し、フィレンツェ入り。ルネッサンス期に建てられ皇族が住んでいたというホステルに宿泊。といえばさぞ豪華な建物と思われそうだが、設備の劣化がはげしく雰囲気もなんだか悪い。しかも南京虫にでも食われたのか、宿泊翌日に全身発疹だらけになってしまった……。
ジェノバはなぜか車よりもバイクが多く、特にTMAXやXMAXをはじめ、ビッグスクーターが多い印象。だからという事もないだろうが、クーラント液が漏れてエンジン不調になった際も近くにYAMAHAのディーラーがあって助かった。ラジエーターの交換になると500ユーロかかると聞き驚いたが、さいわい軽傷で一安心。

さらにウラジオストックで出会ったイタリア人夫婦に連絡し、ピエトラ・リーグレの自宅へお邪魔することに。ここでは、こんな人生もあるのだなぁ、と感銘を受けることになる。旦那さんは元バンドマンなのだが、自宅のオリーブ畑で収穫したオリーブを近所の製油所に持って行き、翌日にはオリーブオイルを持って帰る、なんて生活をしている。絞りたてのオリーブオイルはまるで果汁のようで、そのまま飲むこともできそう。生パスタやボロネーゼにかけて味見してみると、想像以上に濃くしっかりとした味、なのにさっぱりとしていて軽い。「騙されたと思って米にかけてみろ」というので、ご自宅にあった日本のあご出汁とオリーブオイルをかけてみると……いや〜絶品。いい意味で予想を裏切られてしまった。
彼の友達の芸術家も自分でなんでも作ってしまう人だった。デュラムセモリナ小麦や豆でピザを作るのはもちろん、ワインやリキュールなどお酒も作ってしまう。自家醸造が認められているイタリアならではの楽しみ。あまりの居心地の良さに、気づけば9日間もの間滞在させてもらっていた。そろそろ行かなきゃね、と別れを惜しんでいると、餞別というには多すぎるお金を渡された。もちろん一度は遠慮したのだが、結局ありがたく頂くことに。いつか必ず恩返しをしなければいけない、という人生の目標ができた。
パリにも立ち寄りたかったのだが、イエローベストムーブメントで交通規制が行われていたため、フランス南岸のニース海岸を抜けてスペインへ向かうことに。
ニースの建物は白く、道端にあるパラソルやシャワーもおしゃれ。12月でも日差しが強く暖かいため水浴びをする人々もいるのだが、おばあちゃんまでビキニ姿で泳いでいるのには驚く。そんななかで海岸線と空を眺めたり、市場を散策したりと、身も心ものんびりとすることができた。そういえばニースではひょんなことから映画監督とお知り合いになった。話を聞いているとなんとカンヌで試写会を行うという。これもなにかの縁かな、とお誘いを受けて会場の高級ホテルを訪問するも、周りは映画プロダクションの関係者やインドの大富豪と思しき人々ばかり。場違いなところに来てしまったが、これも社会勉強になったかな。

マドリードで足止め、旅の前後について思いを巡らす

フランス国境を超えてスペイン入りし、ダリがお気に入りだったという国境の町、カダケスへ。ピエトラ・リーグレでお世話になったエッツィオ夫妻が「ぜひ行ってみてほしい」と教えてくれたBAR MARÍTIMという海辺のカフェバーに。そこの名物だというコーヒーは、甘めのリキュールとシナモンで香りづけしたもの。仕上げに火をつけるという演出が面白い。エッツィオさんたちの思い出深い場所なんだな、と思うとなんだか暖かい気持ちに。
バレンシアはご存知の通りオレンジの名産地。バイクで走っていても濃厚なオレンジの香りがしてきて爽やかな気持ちになる。でも、勢いづいて先へ先へと進んでしまった結果、名物のショートパスタを使ったパエリア「フィデウア」を食べ損ねてしまったのがちょっと心残りだ。

マドリードではアフリカ行きを前にバイクをリフレッシュすることに。部品調達が難しいと思われるアフリカでは、ちょっとしたことが文字通り命取りになることも考えられるからだ。バイクショップ「Happy Rider」にて総点検を行ってもらうと、ウォーターポンプの破損やレギュレーターの不調など、さまざまなトラブルが見つかった。年末だった事もあり、ゆっくり修理待ちしながら、この街を拠点にスペインやポルトガルの観光を楽しむことにした。
20世紀初頭に聖母マリアが姿を現し、様々な奇跡が起こったという言い伝えもあるポルトガル。絶景が望めるセニョーラ・ド・モンテ展望台の周辺では撮影を行ったのだが、動画を確認してみるとマリア像が映っている箇所だけノイズが入っている。時しもこの日は12月25日、なんだか不思議なものを感じてしまった。その他、ユーラシア大陸最西端のロカ岬や、「深夜特急」で沢木耕太郎が旅の終わりを決意したというサグレスを訪れたり、バルセロナのピカソ美術館で名画を堪能したり。
それにしても、Happy Riderのホセさんには本当に感謝しかない。修理が完了してマドリードを出発後、マラガにてバッテリーが上がってしまった際にも、1月1日だというのに550キロの道のりを駆けつけてくれた。この時に劣化し始めていたジェネレーターを交換していなかったらどうなっていたことか。もしかして年末年始の家族団欒の最中だったかもしれないな…と申し訳なく思うとともに、バイク乗りならではの情の深さを感じる出会いだった。

新年を迎えて相棒テネレの調子も万全。トルク感も燃費も目に見えて向上したことだし、いざアフリカ大陸へ! と勢いを付けたいところなのだが、心の中では今まで感じたことのないような不安が渦巻いていた。
思えば6月に日本を出発してから半年。改めて道中を振り返ってみると、バイク旅はもはや日常となってしまい、チェックポイントをこなすように目的地へと進んできたようにも思えてくる。本当に贅沢な話なのだが、よほどのことでは感情が動かなくなっている自分がいた。それは、現地に赴かずともネットで検索すれば情報を得ることができていたからなのかもしれない。
だが、これから向かうアフリカに関してはそうはいかない。治安は大丈夫なのだろうか。ビザは発行されるのか。道路の状況はどうなのか。日本語はおろか、英語で検索してもわからないことが多い。そもそも情勢が不安定なため、何か知ることができたとしても明日には変わっている可能性もある。
「つまり、行ってみなければわからないということだな」
未知の世界へと飛び込む覚悟を決めて、ジブラルタル海峡を渡りモロッコへと向かった。


メタボン(望月康司)

1975年 東京生まれ。
バイクが好き、キャンプが好き、焚き火が好き。
仕事中にも愛車テネレとの旅を妄想する毎日。
休みは愛車にまたがりツーリングで憂さ晴らし。
もっと遠くへ、もっともっと遠くへ…
いつの間にか異国の地へと思いは巡るようになった。

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