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Yamaha Journey Vol.20

ヤマハ XTZ125に乗る日本人男性ライダー、堀 むあんのミャンマーのツーリング体験談です。

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まだ見ぬ景色を求めて

堀 むあん

XTZ125

#03 ミャンマー編:
総距離約20,000kmの旅が遂に完結

アラカン山脈 - シットウェー - エーヤワディー

謎のベールに包まれた国ミャンマーを日本人ライダーの堀むあん(無庵)が縦横無尽に疾走する。約半年におよぶツーリングの旅もいよいよ最終章。思わぬトラブルに見舞われながらも現地の人々の優しさに助けられ、異国の旅はついに大団円を迎えます。

何か視線を感じて見上げると、丘の上から温かく見守られていた。

アンの山道

早朝、朝日に照らされた仏塔は深い霧の中に浮かんでいた。

ミャウー

街を離れ、美しい田園風景に出会えた時の嬉しさはまた格別だ。

シットウェーに向かう道

まるで絵にかいたような美しい光景に、慌ててシャッターを切った。

エーヤワディー管区

究極のミャンマーカレー

ミャンマー南部を制覇し、パアンで新年ムードを満喫してから数週間。いよいよ、山岳地帯の広がる西部を目指す。亜熱帯に位置する国とは言え、この時期のミャンマーは朝夕の冷え込みが激しく、現地の人ですらレザージャケットを着て過ごすほどだ。さて、西部へと抜けるには、バイクの中心都市マンダレーの西に連なるアラカン山脈を避けては通れない。幸いそれほど標高があるわけでもなかったのだが、日本でよく見かけるトンネルの突貫はおこなわれておらず、上下左右にくねくねと曲がりくねる道へ挑むことになった。山肌を草木に覆われた小高い山々がごつごつと隆起して続いていく光景は、複雑に入り組む天然の要塞といったところ。昼に差し掛かるころには気温が上昇。軽快にエンジン音をたてるXTZ125のハンドルを左右に切るたびに、ガソリンタンクから照り返される日光がまばゆく視界をちらつく。ときどき吹き抜ける風が肌をつたい、それに乗って運ばれる草木の青々とした香りが涼やかに鼻腔をくすぐる。自然の中へ溶け込んで泳いでいるかのような気分に酔いしれつつ、運転の楽しさを全身で実感する。なんともライダー冥利につきるこのアラカン山脈。地図で見るとそれほど長い距離に見えなかったものの、実際走ってみると集落のようなものは一切なく、ゴールの見えない道程に少しずつ心細くなりはじめていた。さらに朝から何も消化していない胃袋を空腹が襲う。だからこそ、大きなカーブを抜けた先の峠に休憩所のような建物を見つけたときには、心から安堵を覚えた。そこで食べたミャンマーカレーは今でも忘れられない。孤独から解放されたときの食事というものは、何の変哲もない味を感動的なうまさへと変化させる。さらに、この地域にまでやってきた外国人に驚いた店員から熱烈に歓迎を受け、チキンカレーを頼んだだけにもかかわらず、おまけにフィッシュカレーとこの地方の名物スープもつけてくれた。
心も胃袋も満たされたあとは意気揚々と走行を続け、アンという小さな街に到着。宿を探しているとゲストハウスを発見。片言のミャンマー語で宿泊をお願いすると、対応してくれた若い女性オーナーから「あなた日本人ですか?」と突然日本語で尋ねられてビックリ。女性はヤンゴンの外国語大学で日本語を専攻したそうだ。ミャンマーでは日本語を話す人が結構いるが、こんな山奥で日本語を話すとは思わなかった。もしバスで旅をしていたならばアンは素通りして次の街まで行っていただろう。バイク旅だからこそ、こんな思いがけない出会いがある。

悠久の時を刻む遺跡群

アンから約160キロ北上し、ヤカイン州の古都ミャウーに入る。ここにはバガンほどではないが、15世紀から約350年続いたアラカン王国の仏塔が数多く残されている。一応観光地ではあるのだが、ミャウーは主要都市からかなり離れているので訪れる観光客は極めて少ない。ほとんど整備されていない道をバイクで走りながら静かな遺跡群を巡るのは、有名な観光地とは一味違う趣きがある。屋根が落ちて雨ざらしとなった遺跡内の仏像が散見される。悠久の時が刻まれたこの場所では、機械仕掛けのモーターバイクが近未来のタイムマシンであるかのようだ。丘の上から夕暮れを眺める。彼方には霧がかった遺跡の輪郭がおぼろげに浮かび上がる。白く漂う空気が夕日でほのかに紅に染まり、空の青へとグラデーションを成している。その荘厳な光景は数百年前から変わることなく、この地に存在し続け、見るものを魅了してきたのだろう。道路事情の芳しくないミャンマーの中でもヤカイン州はとりわけ整備から取り残されているのかもしれない。でも、そのおかげで大いなる自然と歴史的建築物がこうした美しい光景を生み出しているのだとしたら、未舗装のダートもその一部として楽しめるというものだ。

最果ての海へ沈みゆく夕日

ミャウーを離れ、ヤカイン州の州都シットウェーを目指す。ミャンマーではインターネットに載っている地図情報が間違っていることがある。そこで、紙の地図と携帯電話の地図アプリのふたつと照らし合わせながら正しい道を探し出すという非常に面倒な手続きをとっていた。道端で地図を広げていると、スクーターに乗って通り過ぎた人たちが200mほど先から引き返してきた。なんと道を教えてくれるというのだ。そのためだけにわざわざ戻ってきてくれたことに感動を覚えた。人々の優しさに助けられて到着したシットウェーは海沿いの街。夕日を眺めに海岸へ向かってみると、現地の人たちも涼みに集まっていた。まばゆく輝く太陽が、周囲の空と共にオレンジの色味を帯びながら、黒色とも青色とも取れない水平線へと沈んでいく。毎日繰り返される当たり前の出来事が、ツーリングの末にたどりついた海では、最果てという言葉を好むライダーにとってたまらない光景になる。

ミャンマーの温もり

さあ、いよいよミャンマー西部の制覇も大詰めだ。シットウェーから来た道を戻り、海岸沿いに南下。アラカン山脈の南端を経由して、ミャンマーの南西部を占めるエーヤワディー管区へ入る。州都パテインに到着して地図を眺めてみると、さらに南下して海にたどりつくところに寺院があるようだ。「最果ての寺院か・・・」。何ともそそられる組み合わせではないか。ライダーとして目指さないわけにはいかない。道中、細かなカーブが続いたため、予定より大幅に時間がかかった。しかも、あろうことかバイクの後輪がパンクしてしまった。ミャンマーの悪路を長期間にわたって走ってきたが、実はパンクはこれが初めて。既に日は傾き始め、幹線道路から遠く離れた場所ではすれ違う車を望むべくもない。最果てを満喫するどころではなくなってしまったと希望を失いかけたころ、2台のバイクが奇跡的に通りかかった。必死にそのバイクを止め、身振り手振りでパンクを伝えたところ、「俺についてこい」(と言ったと思う)と若い男性ライダーが先導役を買ってでた。彼に連れられること15分。小さな村が現れた。男性はバイク修理をやっている小屋にまで案内してくれた。どうやら大きな釘が刺さっていてチューブが裂けていたようだ。「こんなところにチューブなんて売っているのかな」と不安になりかけたのもつかの間、バイク屋の主人が「ちょっと待っていろ」(と言ったと思う)とバイクで出かけていった。そして待つこと30分。戻ってきた主人の手にはなんと新品のチューブが! パンク修理が完了し、パテインへ向けて帰路についたころには既にあたりは真っ暗になっていた。一時はどうなることやらと思ったが、改めてミャンマーの人たちに助けがあったからこそ、ここまで走り続けてこられたことを実感した。見返りを期待するのではなく、もっと自発的に人を思いやる心がこの国にはあるのだ。彼らを取り囲む手つかずの自然と呼応するように、ありのままの素朴な人柄が最後のフロンティアにはあふれていた。総距離約20,000km。その間、一度も故障することなく頼もしいパートナーであり続けてくれたXTZ125と共に手に入れたまだ見ぬ景色は、どこか懐かしいぬくもりを携えていた。


堀 むあん(無庵)

30年以上にわたりアジアを撮影してきた写真家。学生時代から国内をバイクで撮影旅行してきたが、アジア各国でもこのスタイルでツーリングを楽しもうと計画。1か国目にミャンマーを選び、全管区全州を7か月間にわたり走破した。

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