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“海苔”を運ぶFRP製漁船

ヤマハ発動機の技術ストーリーをご紹介します。

ヤマハのFRP製造技術は、マグロから海苔まで、“海の幸”と深い繋がりがあります。今日、有明海沿岸4県の海苔養殖は全国生産の約6割を占めますが、1970年以来、ヤマハのFRP漁船は有明海の海苔養殖の脇役として走り、今も「DW-47-0F」をはじめとするFRP製漁船が操業を支えています。
1960年からマリン事業を始めていた私たちヤマハは、初の漁船として「第三富士浦丸」と呼ぶマグロ延縄(はえなわ)船の搭載艇をFRPで製造し納入していました(#1)。「搭載艇」とは母船によって南太平洋やインド洋、大西洋などの漁場に運ばれて洋上に下されて操業する船のことです。当時日本では最大となるFRP製漁船でした。全長16.5m、総トン数は19トン、120馬力ディーゼルが搭載されていました。木造船や鋼船が主流の当時、FRPを用いたことで注目されていました。

毎年マダガスカル沖から帰国してくるこのFRP搭載艇の修理や整備を行うなかで、私たちはFRPが遠洋漁業の酷使に耐えうる特性を持つことを再確認し、クリアすべき課題を抽出していました。時代はマグロ漁業の業態変化を招き、搭載艇の需要は少なくなっていくなか、FRP船の可能性を、キール(竜骨)を持たない”和船”と呼ぶ日本沿岸で操業する船に求め、実用化をめざしました。
FRP製和船の開発にあたっては、各地の木船を集めて性能を分析。木船からFRP船へと変わると20~30%の軽量化ができ高速化がメリットでしたが、操業時の安定性やイケスの容量確保などのテーマが浮上。そんな課題をクリアしながら1968年には、FRP和船「W-16」「W-18」を発売。使い慣れた木船とFRP船の感覚の違いで戸惑う漁師さんの声も初期はありましたが、改良型「W-18A」はヤマハを代表する和船として人気を博し、その後も地域に特化した和船のラインナップを充実させてきました。
このFRP和船の実績を踏まえ、ヤマハはFRP製の漁船建造に挑みました。その頃の全国の漁船は、船大工さんの手で作りだされており、津々浦々で漁船の形も違いました。ところが、海苔養殖が盛んな有明海で使用される約6,000隻の船は、ほぼ同じ形だったことから、私たちは有明海の海苔養殖用漁船から、漁船開発をスタートさせたのです。
技術者たちは漁師さんの好意で海苔養殖の操業に帯同させてもらい、操業の現状とFRP製漁船の可能性を模索。たどり着いた結論は、"エンジン性能が2倍になるという時代の変化に対応できる漁船を開発しよう”というものでした。漁場と加工場とが離れているこの地域では、作業時の安定性や積載量確保はもちろん、鮮度を保つためにスピードが求められており、様々な難関をクリアしてFRP漁船の「DW-40」発売に辿り着いたのは1970年。その後は、汎用漁船の「DY」、専用漁船の瀬戸内海用「DX」、海苔養殖作業用としては、現在「DW-430-0B」「DW-47-0F」(#2)へとラインナップは広がっています。

FRP漁船は、製造方法もスタイルも進化してきました(#3)。最近は、通常のFRP成形をベースに、舟艇の前後は3次元のNC加工によるFRP成形とし、これを合体させるハイブリッド式もあります。NC加工により、チャインの(船艇の側面と底面の境目)形状のミリ単位での精度も確保し、漁法に適した設計・生産を可能にしています。このようにFRP製ヤマハ漁船は、食卓の裏方として今日も潮風の中を走っています。

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