Vol.3 4ストロークへのチャレンジ ビッグツインへのこだわり Vol.3 4ストロークへのチャレンジ ビッグツインへのこだわり

1969年、ヤマハ本社にほど近い静岡県袋井市に本格的なロードテストコースを建設。高性能スポーツモデルの開発に大きく寄与した

TX750とTX500のつまずき、そして再び650に

前編より続く

 英国車レベルの性能で他の日本製4気筒バイクに遅れをとったカタチのヤマハは、続いてTX750とTX500というこれもツイン・エンジンのしかしパワーアップを狙ったバイクを投入することになる。'72~'73年のことだ。TX750は200km/hが可能なバイクとなり、フレームはダブル・クレードルが採用された。


ところがこの2台は意外な短命に終わることになるのだ。主な原因は熱問題でエンジンの性能の安定化がはかれなかったり、耐久性に問題が出たりと、国内と違い高速で連続運転する海外では根本的な問題として輸出を断念せざるを得なくなったのだ。ただ、他メーカーが依然として速度の高くないアメリカ市場で苦情がでなければ良しとしていたのに対し、ヤマハは既にこの段階からシビアなヨーロッパにテスト車輌を持ち込んでいた。「初めてヨーロッパでテストをしました。向こうのテストライダーは、バイクが壊れるまで走って評価されると考えているから、思いきり回すだけまわし全開で飛んでいく。こっちはどれくらいで壊れるか、半ば知っているからそうはできない。現地の日本人スタッフに連中くらい走れるのか、とまで言われましたよ」。


結局、750と500はデリバリーはされたものの、耐久力とハンドリングで良い評価とならず、ヤマハの4スト・ビッグバイクをヨーロッパのマーケットに浸透させるには程遠い結果に終わったのだった。

1973 TX500 広告写真

1972 TX750 広告写真

1972 TX750 広告写真

1973 TX500 広告写真

1973 TX650 広告写真

1973 TX650 広告写真

 ただ650がハンドリングは依然として評価されてはいなかったが、耐久力では問題ないということになって、途切れることなく650の熟成がはかられることになった。藤森氏は語った。「アメリカでも西海岸のレイン・グルーブ対策*を迫られ、その対応にタイヤ・メーカーと共同で取り組むなど、息の長かった650では随分と勉強させられました。スイングアーム・ピボットなど、ウォブル対策でトライ&エラーの結果、3枚重ねが硬すぎず揺れずで一番バランスが良かったんです」。

 初代のXS-1では単なるスチール・プレートだったスイングアーム・ピボットが、いわゆるボックス状のいかにも剛性感のあるものになっていた裏にはこんな苦労があったわけだ。「スイングアームの補強もピボット近くだとこうなる、そこから後輪に近づけるとどうなる、と650は車体づくりのノウハウの基本を教えてくれた。忘れられないバイクです」。当時タイヤメーカーのテストライダーもしていた僕にとっても、このバイクにはハンドル振れテストやヨーロッパでの実走行など数多くの思い出がある。次の3気筒750が登場するまでの間、650はさらにハンドリングの追究の道を歩むバイクとして重要な足跡を残したからだ。 (以下次号)

*急激に多量の雨が降ったとき、路面に水膜ができてクルマがコントロールできなくなるのを防ぐため、
舗装面に縦方向の細い溝を切り水はけを良くしたのがレイン・グルーブ。
ただしバイクはこの縦溝にタイヤが大きくとられるとライダーがパニックに陥ることが多く、縦溝に鈍感な特性が求められた。