YZR-M1を開発したエンジニアの狙い。それは、人間の感性に馴染む特性。
(前編より続く)
さて、ひとしきり大人げない走りを楽しんだ後に残るのは、なぜヤマハが「トリシティ」をコミューターとして開発したか、そのフィロソフィーを知りたい、これに尽きる。
その謎解きは開発エンジニアに会った途端、すぐに糸口がみえてきた。長くレーシングマシン開発に携わり、MotoGPで熾烈なトップ争いを繰り広げる、あのM1も担当してきた、まさにハンドリング職人だからだ。
レースというと、チャンピオンを狙うマシンには先ずエンジンパワーが何より必要というイメージがあると思う。もちろんコーナーからの加速や、ストレートでのトップスピードに、エンジンパワーは不可欠。しかし、いくらパワーがあっても、それがライダーに扱える特性に調教されていなければ意味がない。コーナーでフルバンク中に、いち早く加速しようとスロットルを開けた途端、後輪がスリップしてしまったらハイサイドなどライダーを放り出すような派手な転倒に見舞われてしまう。それはエンジンのみならず、ブレーキングからコーナーの旋回へとリーンしていくときも、唐突な変化が起きにくい特性がライダーに思い通りのライディングを可能にする。
こうした限界時でも、ライダーが操りやすいエンジン特性から車体やサスペンション特性など、如何に人間の感性に馴染みやすいモノに仕上げていくか……いまハンドリングとは操縦性を云々ではなく、これらのマネージメントを総じて表す用語となりつつある。この複雑に絡み合った課題に対し、総合的に指揮棒を振ってきたエンジニアは、それらを熟知したいわばハンドリング職人と呼ぶべき領域に達しているに違いないのだ。
その究極のハンドリング戦争を戦い抜いたエンジニアがコミューターを考えるとき、浮かんでくる最優先課題は、やはりハンドリング。聞くまでもなかったかも知れないが、その口から我が意を得たりと嬉しそうに語られる内容は、いかにも「乗り物好き」を感じさせ聞いていて心地よい。
たとえコミューターといえど、操る楽しさは大切……というか、人が操る乗り物は楽しめるものでなくてはという思いが真っ先に語られた。その操る楽しさを、従来より一段と高める手段のひとつが前2輪+後1輪という。前後輪2輪のモーターサイクルの前輪機能さえ高められれば、一般のライダーでも楽しく走れる領域が一気に拡がる。それにはもう1輪を前輪に加えるのが現実的で確実な方法……エンジニアらしく簡潔に説明してくれた。
とはいえ、平行して並べられた2本のフロントフォークが、車体の傾きに従順に追従し、路面に対しては左右が独立して作動するという、これまで経験していない構成を完成させるまでに並大抵ではない苦労があった筈。しかし意外にうまくいったと笑顔でかわされてしまった。燃料タンクを車体の重心位置近くに設定したり、車体の前後重量配分を50%:50%とするなど、MotoGPエンジニアには当然過ぎるのか、語られもしない。 それよりは、一般のライダーがそうした凝ったつくりを意識せずとも、安心して楽しめる感覚が得られるなら本望を繰り返し述べてくれた。ご心配なく、初体験したボクの感想は、狙い通りでしたと答えたときの満足そうな表情も素敵だった。
最後に、この画期的なコミューターがヤマハから誕生したという意味について、ボクなりの思いを語らせて頂きたい。ヤマハは伝統的にハンドリングを優先してきたメーカーである。それは既に'60年代から守られていたが、長くスポーツバイクに親しんできた方々には、'80年代にかけてコーナリングをスポーツとして多くのライダーが楽しむようになった時代に、「ハンドリングのヤマハ」がメーカーのイメージとして語られていたのを記憶されていると思う。その真っ只中で楽しみ方を伝えてきた側として忘れられないのが「ヤマハらしさ」だ。
当時のブームはメーカー間の競争を激化させ、ハンドリングも勢い過激な方向へと向かいはじめていたのだ。しかしヤマハは、そうはいっても一般ユーザーの使い方はツーリング主体と、コーナリングの鋭さより安心できる穏やかさを優先、それがたとえバイク雑誌などでライバルに対して評価を落としたとしても、けして譲らなかったのだ。その「ハンドリングのヤマハ」から誕生した新しい次元のハンドリングを目指した「トリシティ」。このコミューターで街中を颯爽と駆け抜けながら、乗り物を操る楽しさを受け継いでいく人たちが増えていくとしたら、そう考えると今後が益々楽しみに思えてきた。