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Yamaha Journey Vol.26

ヤマハ ニュースメイトT90Nに妻を乗せて走る高田典男による、11回に渡る南米ツーリング体験記です。

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憧れの南米大陸を、心ゆくまで味わい尽くす。

高田典男

NEWSMATE T90N

#03 心踊るサンバのリズムに誘われて。
ブラジル

1950年代、20代だった高田典男さんにとって南米への旅は、まさに見果てぬ夢でした。それから40年の月日が流れ、かつての青年は当時の情熱をそのままに南米大陸縦断の旅に挑みます。それも11回にも亘って。奥様とのタンデムツーリングで積み重ねた走行距離は11万211キロ。地球を二周して余りある距離です。彼をそこまで引きつける南米の魅力とは何なのか。最終章の舞台はブラジル。さまざまなルーツを持つ人々が織りなす多種多様な文化が、バイクでの旅を彩ります。

南米最大の都市サンパウロを出て西に向かうと、やがて大きくうねった大地が現れる。
コーヒー、サトウキビ、お茶、オレンジ、大豆……。
爽やかな風にゆらぎキラキラと光る緑の畑が、視界360°に広がる。

パラナ州、マリンガ~メディアネイラ

Fiestaの日には、きれいな伝統衣装をまとい通りを練り歩き、そして時折立ち止り輪になって踊る。
飛び入りの私達を快く踊りの輪に入れてくれた。

サンパウロ市・サンジョアン通り

長く旅をしていると、何故か無性に勤労をしたくなる時がある。
そんな時、旅人でも快く受け入れて農作業をさせてくれる弓場農場へ行くといい。

サンパウロ州、弓場農場(Comunidade YUBA)

朝一で先ずは給油。さあ、今日も一日旅の安全を願って元気に出発!
数時間後に豪雨と強烈な横風を伴った南米の嵐、Tormentaの中に突入するなんて……。

リオグランデドスール州、ペロタス~ポルトアレグレ

懐かしきサンパウロを目指す、里帰りの旅。

私にとって1981年から84年まで駐在していたサンパウロは思い出の街です。2001年、18年ぶりとなる里帰りの旅はパラグアイとの国境の街、ポンタ・ポランからスタートしました。ブラジルの道はとてもご機嫌です。日本で言うなら、北海道をツーリングする感覚によく似ています。青々としたコーヒー畑の広がるなだらかな丘陵地帯を、バイクで駆け抜けていく。いつまで走っていても飽きません。ただし、未舗装の道も多いから90ccのバイクでのタンデムツーリングでは、どんなにアクセルを吹かしても時速70キロがいいところ。上り坂では息切れしてしまうこともあります。けれども、それでいいのです。急ぐ旅ではありません。走り疲れたら広々とした道の脇にバイクを停めて小休止。風にそよぐコーヒーの葉をぼんやりと眺めていると本当に心が洗われます。

サンパウロの郊外まで来ると、少しずつ見慣れた景色が増えてきます。「この川沿いを進み、あの角を曲がれば、かつて暮らしていた日本人街までもうすぐだ。もう地図なしでも大丈夫」と油断したのが失敗の始まりでした。当時のサンパウロはすでに人口1000万人に迫ろうという大都市で、スクラップ&ビルドを繰り返した結果、以前とは街並みが様変わりしていたのです。結局、数え切れないほど道に迷いました。ずいぶんと骨が折れたけれど、目的地を目指してグルグルと走り回るなかで成長著しい街の活気を肌で感じられたのは、ちょっとした収穫でした。

サンバのリズムが響く街は、熱気に溢れています。

この里帰り後も、サンパウロには何度も足を運びました。この街には私を引きつける3つの魅力があります。まずは食べ物。なかでもお気に入りは、ブラジル名物のシュラスコです。肉汁のしたたる赤身肉が、次々と切り分けられる様子は、さながら「肉のわんこそば」。肉好きにはたまりません。ブラジル料理に限らず、イタリア、スペイン、ポルトガル、メキシコと世界各国の料理に舌鼓を打てることも、国際都市サンパウロならではの楽しみです。日系移民が多いこの街では、本場顔負けの日本食だって味わえます。なかでも驚くべきはお寿司です。今や「SUSHI」は世界語ですが、サンパウロでは日本人でも舌を巻くほどの「寿司」を堪能できます。
もうひとつはサンバです。街のいたるところでサンバのリズムがこだましています。公園や街角には、ギター奏者を取り囲むようにして歌ったり踊ったりしている人々「サンバ・ヂ・ホーダ(Samba de roda)」がいて、彼らは誰かに見せるためではなく、ただ自分のためにサンバを楽しんでいます。老若男女を問わず、誰でもサンバを聴けば踊り出してしまうのがサンパウロの人たち。きっと彼らのDNAにはサンバのリズムが刻み込まれているのでしょう。

そして忘れてはならないのがカルナバル(カーニバル)です。カルナバルというと有名なのはリオですが、規模でも活気でもサンパウロはいい勝負。開催は2月頃ですが、12月には本番に向けて各地域にある「エスコーラ・ジ・サンバ(サンバの学校)」を拠点に練習が始まります。ほかにもチケットの準備をしたり、山車を作ったりと、街は大忙しです。この高揚感に満ちた雰囲気に、私は惹かれます。カルナバルの本番よりも、その準備に勤しむ人々を眺める方が楽しみなくらいです。

日系移民の豊かな生き方に魅せられて。

古くからのしっとりとした街並みが残るパラチ。大聖堂を目当てにブラジル中から巡礼者が訪れるアパレシーダ。サンパウロ以外にも印象的な街はたくさんあります。どこを訪れても感じるのは、ブラジルはさまざまなルーツを持つ人々からなる移民の国だということ。それぞれの人種が、独自の文化を保ちながら、互いに影響しあっています。そこから生まれる多様な文化こそがブラジルという国のユニークさです。
100年以上前に日本からブラジルに渡った日系移民たちもまた、この国で独自の文化を築いてきました。それを実感できるのが、サンパウロの北西600キロに位置するアリアンサという小さな村です。ここでは30世帯ほどの日系移民が、弓場農場を中心にコミュニティを形成しています。彼の暮らしはほとんどが自給自足。畑を耕し、家畜を育て、味噌や醤油まで自分たちで作っています。旅人の受け入れもしていて、働きさえすれば衣食住を無料で提供してもらえるので、私は畑仕事を、妻は料理を手伝いながら1週間ほど滞在しました。牧場内には劇場もあって、夜になると音楽会が開催されます。昼間は土にまみれて野菜を育てていたおばあちゃんが、ピカピカのドレスを着てピアノを披露する。そんな素朴で豊かな生き方が、ここには存在します。たった1週間の滞在でしたが、私にとっては一生忘れられない思い出になりました。

人とも自然とも、オープンフェイスで向き合える。

それぞれの土地で、それぞれの暮らしを営む人々。街角でサンバを踊る青年。大聖堂を目指す巡礼者たち。ブラジルの地に根を張った日系移民。旅をしなければ決して交わることのなかった彼らとの偶然の出会いこそが、旅の醍醐味です。旅を通じて出会えるのは、人だけではありません。アンデスの美しい山並み。港町に漂う潮の香り。コーヒーの葉が揺れる音。砂漠の乾いた空気。これら自然を全身で感じられるバイクは、私の旅のマストアイテムです。これからも、まだまだバイクでたくさんの土地を駆け抜けたい。偶然の出会いを楽しみたい。11万キロを超える旅を終えてなお、そう感じています。


高田典男/和子

1938年 静岡県浜松市生まれ。
20代の頃より、音楽を通じて南米大陸に憧れを抱く。定年退職後の2000年、ロサンゼルスからサンパウロまでの42,000キロを582日間かけてバイクで縦断。その後も2017年までに、11回に渡って南米大陸をバイクで旅する。旅の累計日数は1,894日、総走行距離は11万211キロに及ぶ。

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