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コラムvol.33

ヤマハのレース活動50年の歴史をコラムでご覧いただけます。Vol.33「排気量変更、タイヤ使用制限など、新レギュレーションへの挑戦」

vol.33 2000-10/RR/World Grand Prix 排気量変更、タイヤ使用制限など、新レギュレーションへの挑戦

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2008年開幕戦のカタールGP。YZR-M1に乗るJ・ロレンソ、J・トーズランド、C・エドワーズが予選1~3番手を独占。優勝こそ逃したが、この日がヤマハ3年連続三冠(ライダー/メーカー/チーム)獲得のきっかけを作った

 日中の暑さを避け、夜11時スタートというGP史上初のナイトレースで決勝が行われた2008年開幕戦カタールGP。タイトル奪還を狙うヤマハのバレンティーノ・ロッシはブリヂストンタイヤとのコンビネーションを合わせきれず5位に終わったが、MotoGP初参戦のホルヘ・ロレンソはポールポジションから堂々の2位入賞。同じYZR-M1に乗るジェームス・トーズランド、コーリン・エドワーズもロッシに続く6位、7位でフィニッシュし、ヤマハの技術責任者は「YZR-M1の完成度の高さを証明できた」と自信を覗かせた。

 実は、MotoGPマシンの排気量が990cc以下から800cc以下に変更された前年、ヤマハが投入したYZR-M1(0WS4)は、総重量の軽量化に成功したものの、開幕時点では目標とするエンジン性能を達成できずにいた。しかもこの年の開幕戦カタールGPは、まだ日中の猛暑のなかで行われ、エンジンに厳しい負担を強いるレース。また、舞台となるロサイルサーキットは海抜が低いため気圧が高く、従って燃料消費も多い。ましてや使用できる燃料は21Lと前年より1L少ないのだ。スタッフは一様に、内心の不安を押し隠しながらレースに臨んだ。

 しかし、悪い予感は最悪の形で的中する。ライバルマシンとの速度差、約15km/h。後方のライバルにストレートで易々と追いつかれ、こちらは競りかけることもできない。その様子は映像で世界に流された。あまりの不甲斐なさにヤマハのピットは言葉を失ない、あるエンジニアは「TV画面を見るのが辛かった。まるで1000ccマシンを相手に戦っているような感じ。申し訳なくてガレージにも入れなかった」と振り返った。目標とするエンジン性能が達成できていなかったことに加えて、21Lの燃料で走り切るための燃費の調整が、さらにエンジン性能を低下させ厳しい結果となって突きつけられた。

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2009年後半から導入されたエンジンの使用数制限も大きなハードル。従来、エンジンの耐久性は1レース600km走行を想定していたが、2010年はライダー1人あたり6基までとなり、エンジン1基で3レース/約2,000km以上を走り抜く信頼性が要求された。「ざっと鈴鹿8耐の2倍。以前の経験が活きました」とエンジニアは振り返る。画像は2010年オランダGP

 2007年シーズンの課題はほかにもある。燃料搭載量が1リットル削られただけでなく、使用できるタイヤも1レースあたりフロント14本・リア17本に制限されたことで、チームはよりシビアなレースマネジメントをこなさなければならなかった。そのなかでヤマハは、エンジン性能のハンデを補うため、エンジンの高回転化に着手。従来のコイルスプリングに換えて、空気バネを用いるニューマシックバルブシステムシステムの投入など、7度にわたるバージョンアップを行った。それにより、圧倒的だった最高速の差を1%前後まで詰めることができたが、時すでに遅く、この年ヤマハはロッシが獲得した4勝にとどまった。

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2009年からはシングルタイヤルールが導入され、使用本数も細かく制限された。「基本的にハードとソフトの2種類。選択の自由がない分、わかりやすいし混乱もないので、セッティングがやりやすくなった」という。画像は2010年バレンシア。

 2008年型YZR-M1(0WS5)は、こうした試練を克服し開発されたマシン。最重点課題とされたエンジンは、改良・熟成を加えたニューマチックバルブシステムの採用とそれに伴う吸排気ポート・燃焼室形状の変更により、最大出力、最大トルクを大きく向上。さらにバルブシステム重量の40%軽量化、ピストンやピストンリングの最適化、クランクシャフト径の見直しなどにより、フリクションロスを2007年最終型比で14%も軽減した。
「ニューマチックバルブシステムはもともと高回転化のために織り込んだものですが、ほかにもエンジン性能向上にさまざまなメリットを与え、特にフリクションロス低減の効果が大きかった」とヤマハの技術責任者は話す。
 そして0WS5を駆るロッシは、一戦ごとにブリヂストンタイヤとのコンビネーションを高め、見事チャンピオンに返り咲いた。ヤマハにとって、灼熱のカタールは試練の始まりであり、ナイトレースのカタールは劇的な復活を告げる第一歩となったのである。

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