電動トライアルバイク「TY-E」
TY-Eに携わった社員のプロジェクトストーリーをご紹介します。
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後に世界最高峰の舞台に参戦することになる電動トライアルバイク。誕生のきっかけは、研究部門のエンジニアによる自発・自律的な活動だった。
ヤマハ発動機の研究部門には「エボルビングR&D活動(通称・5%ルール)」という制度があります。日々の研究活動とは別に、業務時間の5%を使って自発的・自律的な研究を奨励するものです。
この制度を活用して何かできないか、と考えた時に思い浮かんだのが、トライアルに関連したテーマでした。休日にアマチュアライダーとしてトライアルを楽しんでいたからです。ヤマハ発動機にはトライアルのクラブ活動があり、職場の先輩に誘われてたまたま始めたのですが、やってみるとこれが面白くて。
もう一つ、気になっていたのが「電動」というテーマです。社内でも、世の中でも、EVへの関心が高まっていました。ただ、個人的にEVに対して「いまひとつパワーがなくて、操る楽しみも少ない」というイメージがあり、「EVの楽しさを広げる乗り物をつくれないか」という思いを持っていました。
この2つの思いを合わせて、エボルビングR&D活動では「電動トライアルバイクを開発する」をテーマにしようと決めました。
プロジェクトを始動させるにはまず、メンバーを集めなければならない。果たして「電動トライアルバイクを開発する」というテーマに賛同し、参加するメンバーは集まるのか?
プロジェクトを立ち上げた瞬間のことはよく覚えています。
研究部門のメンバー約200人が参加するミーティングで、私はエボルビングR&D活動として取り組みたい内容をプレゼンし、参加者を募りました。
「電動トライアルバイクを開発して、レースに出たいと考えています。この活動に参加しませんか?」
すると、思った以上に多くの人が「一緒にやりたい」と手を挙げてくれました。15人ぐらいだったかな。強度系の解析が得意な人。システム設計に長けた人。カーボンに詳しい人。何か面白いモノ創りができそう、と共感してもらえたのでしょう。「レースに出る」という目標もモチベーションを喚起したはずです。
研究部門では多彩な分野のテーマに取り組んでいますが、横通しで一つのモノをつくる機会があまりありませんでした。だから、いろんな分野の人が参加してくれたことの意義は、とても大きかったと感じています。
いよいよ車両開発がスタート。開発に当たって最初に直面した課題は、何が課題なのかさえ、分からないことだった。
トライアルバイクは、崖を登ったり、大きくジャンプしたり、静止したりするトライアルという競技に特化した専用バイクです。ヘッドライト、ウインカー、バックミラー、メーターなどの保安部品は付いていません。座ることがないのでシートもありません。徹底的に軽量化するため、バイクの基本要素だけを残し、競技に必要のないものを極限まで省いているのが特徴です。
かつてヤマハ発動機でもトライアルバイクを生産・販売していましたが、それは90年代初頭までの話。トライアルバイクに関する技術的な情報は、非常に少ない状態でした。
しかも90年代当時と今では、競技の性質も変わっています。ざっくりと言うと、昔は岩などの間をニョロニョロと縫うように登る動き。今は岩の上にパーンと飛びつくような動き。だから、90年代初頭のトライアルバイクの知見が仮にあったとしても、あまり参考にならなかったでしょう。
さらに、今回つくろうとしているのは、電動のトライアルバイクです。エンジン車と違うスペックが求められるのか、電動にすることで何ができるのか、なども追求する必要があります。
あまりにも分からないことだらけです。まずは試作車をつくり、どんなスペックが求められるのかを探ることから始めました。
メンバーたちの試行錯誤の末、ついに車両が完成した。それは「レースで勝負できる」という手応えを十分に感じさせてくれる仕上がりだった。
トライアルバイクで特に重要なファクターであり、最も苦労したポイントが、小型・軽量化と出力性能です。
単に出力性能を高めようと思うと、モーターは重くなってしまいます。それではレースで勝てるトライアルバイクになりません。理想は出力が大きく、重量は軽く、かつ小さなスペースに収められるモーター。今回、その理想を求めて小型高出力モーターの独自開発に挑み、最終的には非常に出力密度の高いものを実現できました。
また、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)を使用したフレームについても、開発過程で最適な剛性と軽量化を突き詰め、当初の目標よりもかなり軽くすることができました。
小さな努力を重ねていくと、壁だと思っていたことも越えられる。そう心から実感しましたね。
完成したら、次はテストです。トライアルバイクを高いレベルで評価できる人は社内にいないため、プロライダーの成田匠さんと契約し、乗っていただきました。1カ月ほどフィードバックと調整を繰り返し、最後にエンジン車と比較した評点を付けていただいたところ、「部分的にはエンジン車よりも優れている」という評価を得ることができたんです。
車両としては、レースで勝負できるものが完成しました。あとは、レースに出る承認が得られるかどうかです。
豊田は車両が完成する前から、レース部門へ相談に通っていた。最初の頃は話を聞いてもらうことすら、ままならなかったという。
エンジン車に負けないぐらい優れた車両ができるはず、というざっくりとしたイメージは最初から持っていました。ただ、レースに出場するという目標については、達成できる可能性は低いかもしれない――と、実は開発途中もずっと思っていたんです。
通常の生産車両は、多くの人が関わり、評価を重ねた上で世に出されます。今回のように研究部門が少人数で開発した車両をレースに出すことは、慣例で考えるとあり得ません。レースに出す社内審議は通らない、いや、審議にすら至らないかもしれない、とも考えていました。
もし出場できなかったとしても、その過程で培った技術は残ります。だから活動としては意義がある。そう思っていました。
それでもレース出場に向けて、できる限りの努力はしようとレース部門へ相談に通っていました。MotoGP(ロードレース世界選手権)をはじめ、さまざまなレースに参戦する車両の開発やサポートを行っている部署です。
まだ車両が完成する前。「レースに出ることを目指して、こんな車両をつくっているんですけど、どうですかね」と相談したところ……。
こてんぱんにやられました。協力できない、と。
ヤマハ発動機にとってレースはブランド価値を高める活動であり、マーケティングにつながる活動だ。エンジンのトライアルバイクを生産・販売していないヤマハ発動機が、電動のトライアルバイクを開発してレースに出る? そんな打ち上げ花火的な活動には協力できない――直接的にそう言われたわけではありませんが、おそらくそんな理由で最初は否定されたのだと思います。
風向きが変わったのは、車両が完成した後でした。
実現できる可能性は低い。そう考えていたレース出場がついに現実のものとなる。その流れを引き寄せたのはモノの力だった。
モノの力はすごい。本当にそう感じましたね。
車両完成後、成田さんによるテスト風景を動画に収めて自分で編集し、社内のさまざまな人に見てもらいました。社内PR活動です。「電動でこんな動きができるんだ、すごいね」とみんな驚いていました。われわれに追い風が吹き始めます。
その風は、レース部門にも届きました。活動をサポートしてくれることになったのです。
モノは何も語りません。でもモノが発する説得力は、何よりも強い。車両が私たちの本気度をレース部門に伝えてくれたのです。
それと、ヤマハ社員にはレースのDNAが根付いていることも感じました。
「今、レースに向けて電動の……」 「レースか! 俺も昔、ダカールラリーに帯同していたんだよ。それでそれで?」 といった具合。話に「レース」という単語が入ると、みんな食い付き方がすごい(笑)。ヤマハらしいなと。
ありがたいことに、レースに向けていろんな部署の人が相談に乗ってくれて、応援してくれることになりました。
そのレースについても、最初は国内の大会を想定していたのですが、世界選手権に挑戦できることになったんです。
世界最高峰の大会「FIMトライアル世界選手権」に2017年、EVのカテゴリー「TrialEクラス」ができました。そのことを会議で役員に報告。成田さんの評価も伝えると、役員はこう言ってくれました。「そうか。どうせ出すなら、世界に出すぞ」。この発言をきっかけに、議論のベクトルは「世界」へ。ついに2018年の世界選手権への参加が決まりました。
いよいよレース本番。「TY-E」を駆るのは、日本を代表するトライアルライダー。万全の体制で初戦の地、フランスへ。
「TY-E」を駆るライダーは、黒山健一選手に決まりました。日本を代表するトライアルライダーの一人です。前年の全日本トライアル選手権国際A級スーパークラスでは年間ランキング2位を獲得し、2018年も全7戦の合計ポイントで争われる同クラスに参戦中でした。
世界選手権と同じ時期に全日本の北海道大会があったのですが、黒山選手は世界選手権を選んでくれました。全日本を1戦欠場してノーポイントで終わると、年間チャンピオン獲得は、ほぼ不可能になります。それでも黒山選手は「もうすぐ40歳。この年齢でなかなか新しいチャレンジをする機会はないから、チャレンジすることにしたよ」と、「TY-E」に乗ることを決断してくれました。しっかりサポートしなくては、と身が引き締まりましたね。
2018年のFIM トライアル世界選手権 TrialEクラスは、全2戦の合計ポイントで年間チャンピオンを決めるレギュレーションでした。
第1戦の舞台は、フランス。レースの序盤、各チームのバイクの動きを見比べて「勝てる」というイメージが湧きました。それほど黒山選手と「TY-E」のパフォーマンスは、他チームを圧倒しているように私には見えました。予想は的中。黒山選手は「TY-E」を見事に操り、岩場や急斜面などの難所を攻略。初参戦にして初優勝を飾ることができました。
そして第2戦の舞台は、ベルギー。第1戦の優勝に浮かれていてはいけません。大切なのは、この第2戦です。このレースの結果で年間タイトルが決まります。出だしは良好。しかし途中でミス。常にトップ争いに絡みましたが、そのミスが響き、結果は2位。年間ランキングも2位という結果になりました。
2位という結果をどう捉えているか? 悔しい、の一言です。
研究部門の自発的な研究活動。トライアルバイクを販売していないメーカー。初参戦。こうした背景を踏まえると、世界で2位なら上出来ではないかと思うかもしれません。でも、チームの感覚は違いました。勝てるチャンスは十分にあっただけに、勝ちたかったですね。
「TY-E」開発の原点にある「EVの楽しさを広げる乗り物をつくりたい」という思い。それは世の中の人に伝わったのか。
2019年も私たちはFIM トライアル世界選手権 TrialEクラスに参戦しました。結果は、またも2位。前年の2位は悔しさにあふれた2位でしたが、今回の2位は正直なところ、1位になったチームの強さを認めざるを得ませんでした。
前年に引き続き1位となったのは、トライアルバイクを生産しているメーカーのチームです。おそらく前年の黒山選手と「TY-E」の圧倒的なパフォーマンスを見て、危機感を持ったのでしょう。20年以上もトライアルバイクを販売していないヤマハ発動機に、EVであっても世界タイトルを獲得させるわけにはいかない、という意地を見せられたような気がしました。
世界チャンピオンの獲得はまたも叶いませんでした。しかし今、「EVの楽しさを広げる乗り物をつくりたい」という、このプロジェクトの原点にあった思いは、多くの人に伝えられたと自負しています。
「TY-E」は東京モーターショーに出展され、私は説明員としてブースに立ちました。そこで多くの方から「楽しそう! ぜひ市販してほしい」という声を聞くことができました。
YouTubeで公開している「TY-E」のプロモーションビデオにも「近未来的でかっこいい」など好意的なコメントが並んでいて、EVにはパワーが出せない、EVは面白くない、と思っていた人に、そうじゃないことを驚きとともに感じてもらえたのかなと思います。
今、私は研究部門から異動し、生産車の部門でEVの開発に取り組んでいます。「TY-E」の開発を通じて得た技術をフィードバックしていけたらと考えています。
また、このプロジェクトにおける自分自身にとって最も大きな収穫は、「壁に突き当たっても、諦めないで考え続ける姿勢」が身についたことだと思っています。考え続ければ、いつかきっと乗り越えられる。そう信じられる力は、今後も多くの場面で活きてくると確信しています。