設立以来、常に新しい価値の創造に取り組み、次代を切り拓いてきたヤマハ発動機。
モノ創りで輝き、世界に存在感を示す“感動創造企業”は、これからも新たな未来を描き続けます。
?本楽器製造株式会社(現・ヤマハ株式会社)第4代社長川上源一がモーターサイクル市場への参入を決定したわずか8カ月後の1955年1月、ヤマハモーターサイクルの第1 号車「YA-1」は産声を上げました。そして同年7月、ヤマハ発動機株式会社が誕生しました。
マリンスポーツの“主役”モーターボートの開発を進めていた中で着目した新素材の「FRP」製のボートは多くの関心を集め、その技術は業務用舟艇へとフィールドを広げていきました。
トヨタ自動車との技術提携のもと、DOHCエンジンを搭載するなど当時の最新・最高の技術要素を取り入れて完成しました。
公道でもオフロードでも走行可能という新型モーターサイクルの誕生は、アメリカだけでなく国内でも大いに注目され、その後のヤマハのオフロードスポーツすべての源流となっています。
エンジン技術を応用し、作りながら学び、学びながら創ることを繰り返すことで品質を向上させ、シェアを拡大していきました。
1975年にゴルフカー「YG-292」を発売。さらに1978年10月には、ヤマハ初の6馬力ヤマハ除雪機「YT665」を発売するなど、ラインナップを広げていきました。
女性がスカートでも足を揃えて乗れる「やさしさ」というキーワードに、小型・軽量・経済性を実現し、“ソフトバイク”という新しいジャンルを定着させました。
オールテレインビークル(ATV)の市場がアメリカから世界中に広がるのにあわせて、ヤマハATVは世界の各地で親しまれるようになり、日本でもその踏破性を活かして海岸パトロール等に利用されるようになっていきました。こうした中、三輪より耐久性や積載量に優れた初の四輪ATV「YFM200」を発表しました。
「まったく新しい概念によるまったく新しい乗り物」として、排気ガスや騒音がなく、環境にやさしい都市型コミューターという新しいスタイルを提唱しました。
地域の社会的課題への着目から誕生した「ヤマハクリーンウォーターシステム」は、インドネシアで販売を開始して以来、東南アジアやアフリカで設置が進められています。
カーブする時にフロント2輪が車体と同調して傾斜(リーン)する「LMW(リーニング・マルチ・ホイール)」の第1弾、「TRICITY」。軽快でスポーティなハンドリングと安定感が生み出すまったく新しい乗り心地の楽しさと、ダイナミックな中にもスマートさと上品さが感じられるデザインが多くの皆さまに受け入れられています。
モーターサイクル技術とロボティクス技術を融合したヒト型自律ライディングロボットが誕生。将来の新技術へ向けて開発をスタート。