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JRR JSB1000シーズンレビュー

JRR JSB1000の2011年シーズンをご紹介します。

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JRR JSB1000

中須賀がランキング5位を獲得
日本と世界を渡り歩いた2011年シーズン

今シーズンの中須賀克之は、第7戦での優勝をはじめ、幾度となく表彰台を奪い取り、その実力をいかんなく発揮。ランキングは5位となったが、全日本トップライダーとして強い輝きを放った。さらに、ヤマハのMotoGPマシンYZR-M1のテストライダーとして世界最高峰マシンの開発に携わり、MotoGP、世界耐久選手権といった海外レースに参戦。ライダーとしてさらなる飛躍の機会を得た中須賀の2011年シーズンを振り返る。


全8レースで1回の優勝を含む5回の表彰台を獲得しランキング5位となった中須賀

東日本を襲った未曾有の震災
それに伴うスケジュール変更

 2011年の全日本ロードレースは、大混乱のなかでスタートした。それは、3月11日の東日本大震災の影響により、レーススケジュールが大幅変更を受けたからだ。4月3日に予定されていた開幕戦・筑波大会は中止が決定。そして4月17日に予定されていた第2戦鈴鹿2&4レースが、5月15日に順延され、これが開幕戦となった。また、5月22日に予定されていた第3戦SUGO2&4レースも中止となり、7月3日開催のツインリンクもてぎ大会では、JSB1000クラスが2レース制となって開催された。
 こうした開催スケジュールの変更は、少なからずYSP・レーシング・チーム・ウィズ TRCからヤマハYZF-R1を駆りJSB1000クラスに出場する中須賀克行にも影響した。なぜなら、得意な筑波で開幕ダッシュを目論んでおり、その大会が中止になってしまったからだ。
 「開幕戦に照準を定めて準備を進めていたので、筑波大会の中止は、そこで一度、気持ちをリセットする必要があった。そして、新たにリリースされたレーススケジュールでは、鈴鹿2&4レースを開幕戦に、ツインリンクもてぎでの2レースというものだったが、気温と路面温度が低い時期の方が、パフォーマンスを発揮しやすいので、春先のレースがなくなったのは残念。でもこのオフから、ヤマハのMotoGPマシンYZR-M1のテストライダーに加わりシーズンオフにマシンを走らせる機会が圧倒的に増えたため、心・技・体ともにレースがいつ始まってもいいように、準備は整っていた」
 YZR-M1に乗る前までは、中須賀にとっての最高峰マシンはYZF-R1だった。全日本ロードレースで使用しているYZF-R1のベースはあくまでも市販車で、それをロードレース仕様に仕上げたものだ。だが、YZR-M1は、すべてが専用設計になっている世界最高峰のロードレースマシンであり、さらなる上のレベルのマシンに乗ることを意味していた。これに中須賀は「ライダーの幅というか、マシンに対する考え方というか、とにかく新発見の連続だった」と語り、このYZR-M1での経験が、全日本ロードレースに、どのように反映されるかが、注目を集めることになった。

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一戦必勝を目指した中須賀の新しいライディング

 2011年の全日本ロードレースは、当初の予定から約1ヵ月遅れて、5月15日の鈴鹿2&4レースで幕を開けた。全日本ロードレースが開催されるサーキットのなかで、唯一優勝経験のない鈴鹿サーキットフルコース。中須賀は金曜日のフリー走行で転倒し腰を強打していたが「スタートダッシュを決めて、オープニングラップはトップで戻ってきたい」と、予選5番手からの巻き返しを狙う。
 その決勝日は、気温23度、路面温度は46度にまで上がる。こうしたなか、ポールシッターの秋吉耕佑(ホンダ)が好スタートからレースをリード。一時は独走態勢に持ち込んだが、レース中盤以降では、中須賀が秋吉を追い詰めて行く。しかし、レース終盤のシケインで、中須賀は僅かながらにミスすると、これで秋吉との差が広がってしまい、1.457秒差の2位。だが、「最後にミスしてしまったが、そこまでは、タイヤマネジメントもできていたし、いいレースができた」と、手応えのある2位となった。
 続く2戦目は、ツインリンクもてぎでの2レース。ノックアウト予選の結果、レース1、レース2ともに4番手スタートとなった中須賀は、レース1では3位の表彰台に立つが、優勝した秋吉からは13秒遅れ。そしてレース2では、4位でチェッカーを受けるが、やはりトップからは大きく引き離されていた。「アベレージスピードで、予選上位と差をつけられていたので、レースでは厳しい戦いになるとは思っていたけれど、予想以上に苦しかった」とレース後にコメント。それでも、第5コーナーなどで見せる究極とも言えるマシンコントロールは、前年よりも確実にキレを増しており、YZF-R1を、完全に自分の身体の一部として操っていた。
 3年ぶりとなる鈴鹿8耐参戦を経て、全日本ロードレースJSB1000クラスは、約2ヵ月のインターバルを置き、スポーツランドSUGOからシリーズ後半戦に突入した。だが、不安定な天候により、中須賀はマシンのセットアップが定まらないままに決勝を迎えることとなる。そして、5番手を走行中の16周目、第3コーナー立ち上がりでダートにタイヤを落としてしまい転倒。大きな怪我には至らなかったが、今季初のノーポイントレースとなってしまった。
 第6戦は、中須賀の地元でもある九州・オートポリス。だが、9月1日に行われた事前テストで、中須賀は転倒して全身を強打しており、満身創痍での戦いとなった。6番グリッドからスタートした中須賀は、優勝した高橋巧(ホンダ)、2位の秋吉からは大きく引き離されたが、柳川明(カワサキ)との激しい3位争いに競り勝ち、今季3度目の表彰台。「身体の状態を考えると、3位になれるとは思っていなかった。とにかく心だけは折れないように、それだけを考えて走っていた。オートポリスは、毎年、YSPをはじめ多くのヤマハ・ファンが集まってくれて、その声援が後押ししてくれた」と、ファンにメッセージを送った。
 そして迎えた第7戦岡山国際。気温もグッと下がり、路面温度も低くなった。この時を待っていたとばかりに、中須賀は予選で最速タイムを記録すると、2009年の最終戦MFJ-GP鈴鹿以来のポールポジションを獲得。「前に誰もいないというのは、やはり気持ちがいい。このコースは、体力的に厳しいので、最後まで絶対に諦めないことが大切。満身創痍のオートポリスで3位になれて、リズムも良くなっている」と中須賀。
 その決勝では、オープニングラップこそ柳川に先行されるが、2周目のバックストレートからヘアピンの進入でトップに立つと、その後は秋吉とのマッチレース。そして、秋吉はレース中盤以降で中須賀のペースについて行けず、徐々にその差が開くと、レース終盤で中須賀は独走態勢となり、2年ぶりの優勝を遂げた。
 「昨年は、最終戦でチャンピオン争いに加わっていたけれど、それまで未勝利だったことで、勝ちにこだわった。その結果、転倒・リタイアで、チャンピオンも優勝も手放してしまった。もちろん、攻めた結果なので悔いはなかったけれど、未勝利でシーズンを終えたことが悔しかった。今年は、もっと早い段階で優勝したかったけれど、気温、路面温度が下がって、マシンのパフォーマンスが上がるこの時期まで、本当に我慢のレースだった」と、中須賀は、このレースにすべてを賭けていたことを明かした。
 そして迎えた最終戦MFJ-GP鈴鹿。秋吉と加賀山就臣(スズキ)の二人が予選から他を圧倒するタイムを記録。これに、レース1で3番グリッド、レース2で4番グリッドからのスタートとなった中須賀は、「今回は、スタートで前に出るのではなくて、後ろについてタイヤマネジメントをしながらチャンスを見出したい」と作戦を立てる。
 そのレース1では、柳川との激しい2位争いを制して、トップを行く秋吉に急接近する。だが、秋吉を逆転するには至らず、2位でゴール。そしてこのレース1では、高橋が5位となったことから、秋吉のチャンピオンが決定した。続くレース2では、中須賀はオープニングラップのスプーンカーブで転倒。早々に戦列を離れる結果となったが、年間130ポイントを稼ぎ、ランキング5位で2011年シーズンを終えた。

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3年ぶり鈴鹿8耐参戦
そして世界最高峰MotoGPへの出場

 今年の中須賀は、全日本ロードレース以外で、様々なレース体験をしている。そのひとつが、3年ぶりに出場した鈴鹿8耐だ。チームは、MONSTER YAMAHA - YART (YART =YAMAHA AUSTRIA RACING TEAM)で、チームメイトはイゴール・ジャーマンとグウエン・ジャバニ。世界耐久選手権では、2009年にチャンピオンを獲得したチームだ。マシンは、ヤマハYZF-R1だが、世界耐久選手権を戦うマシンで、中須賀が全日本ロードレースで使用するスプリント用YZF-R1とは仕様が異なる。また、この鈴鹿8耐で、レースで初めてミシュラン・タイヤを履くことになった。
 こうしたなかでも、中須賀のパフォーマンスは際立っており、レース自体は、序盤でのマシントラブルで結果は残せなかったが、トップ10トライアルでは2番手のタイムを記録し、スタッフはもちろん、場内を沸かせる結果となった。そしてこの活躍により、シリーズ最終戦カタール・ドーハ8時間耐久に、同チームから招聘された。中須賀が一度の転倒を喫するが、チームは4位でチェッカーを受けた。
 また、MotoGP世界選手権のマレーシアGPと、最終戦のバレンシアGPに、怪我をしたホルヘ・ロレンソの代役としてヤマハ・ファクトリー・レーシングから出場。予選で17番手となったマレーシアGPの決勝は中止となったが、その後のバレンシアGPでは、予選15番手、決勝では6位入賞を果たした。
 こうした、世界選手権出場や海外チームでの活動に、平忠彦マネージャーは、「いろいろなレースを、いろいろなチームで経験することは、とても勉強になるし、ライダーにとってプラスになる。経験したことを糧にして、さらなる飛躍を期待したい」と語る。そして当の中須賀は「今年は、ライダーとしていろいろなことを経験させていただき、本当に感謝している。こうした活動のなかで、いろいろな人にサポートされてレースに出場できているということを、改めて実感した。そしてこの経験を、今後のレース活動に生かし、とにかく毎戦優勝を目指して頑張りたい。1年間、ファンの皆さんの声援には、勇気づけられた。本当にありがとう」とコメントを残した。


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