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YZR-M1開発者インタビュー

YZR-M1開発者が2010年シーズンを振り返ります。

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MotoGP

「貪欲」なスピースと「好人物」エドワーズ

 来シーズン、そのロレンソのチームメイトになるのがベン・スピースだ。MotoGPデビューイヤーの今年、スピースはイギリスGPとインディアナポリスGPで表彰台に上がる活躍を見せ、ランキング6位。ルーキー・オブ・ザ・イヤーも獲得した。昨シーズン、WSBのデビューイヤーながらチャンピオンを獲得したスピースを知る北川にとって、「期待通りかな。彼ならこのくらいはやるだろうと予測していました。来年ファクトリーチームにあがるだけの資格は、まず得ることができる成績だったのではないかなと思います」と、冷静にその能力を評価する。
 また、中島によると、スピースもまた王者に必要な資質を備えているのだと言う。
 「やはりベンも貪欲なんですよ。ガレージではあまり喋らないけど、後で必ず私を呼びつけて、グズグズ言うんです(笑)。これは後で知ったんですが、パドックじゅうでいろんなライダーとメーカーの垣根を越えて話しているみたいですね。そうやって情報を集めてきて“あいつはこのコーナーを一速で走ってる。だから一速をもっとロングにしてほしい”とか、“あるいはどこそこはショートがいい”、とか。それくらい、いろいろ考えている姿を見ていると、勝負に対する執念の片鱗は十分に感じられましたね。来年は、期待と言うよりもむしろ、少なくともトップ5に入ってもらわないと困る。ということは、今の四強に次いで、少なくともドヴィツィオーゾ選手の前を確実に走ってくれれば、と思っています」
 一方のエドワーズは、ランキング11位で一年を終えた。スピースを静とすればエドワーズは動。同じアメリカ人でも好対照に映る二人だが、同郷出身だけあってエドワーズは様々なアドバイスを与えて側面からスピースを支えていたようだ。また、その豊富な経験は開発能力の高さとしてエンジニアたちからも絶大な信頼を得ているという。
 「かつてミシュランのエンジニアが彼をすごく評価していて、今もやはりブリヂストンの日本人エンジニアの方々が、コーリンのことをすごく気にしているんですよ。バレンシアテストの時でも、『コーリンは二日ともちゃんとテストをしますよね。彼にやってもらいたいタイヤテストがこれだけあるんです』と言ってこられたくらいですから」と中島。
 「コーリンはイエスかノーかがハッキリしているんです。で、テストのインプレッションを面白おかしく説明するものだから、エンジニアの方々もそれを一所懸命聞いてニコニコしている。第三者がニコニコして話を聞くくらい信頼されているということは、それなりに彼の価値も評価されているのだろうと思います」

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バレンティーノ・ロッシの移籍とその影響

 開幕前には3連覇を期待されたバレンティーノ・ロッシは、イタリアGPのフリープラクティスで転倒し右脚開放骨折という重傷を負った。このけがのためにチャンピオンシップからは脱落する格好となったが、負傷後41日で奇跡的な復活を遂げ、安定して表彰台に上がり続けるという離れ業を演じ、ランキング3位で激動の一年を締めくくった。来シーズン、ロッシはライバル陣営のドゥカティへ移籍する。彼とともに過ごした7年間について、古沢はあふれ出てくる思いを堪えるようにしばらく黙り込み、
 「……なかなかコメントが難しいですね」
 そう切り出して、ゆっくりと話し始めた。
 「自分がだんだん年をとってゆき、今後はピークを過ぎていく。かたやチームメイトはどんどん強くなってくる、というジレンマがあったんですよね。もはやポケットの中にはあまり余裕がない状態で、いっぱいいっぱいで走っていると、転んで骨を折ってしまった。簡単に言えば、あの転倒はそういうことだと思うんです。そして、それがドゥカティにいくという意志にさらに拍車をかけることになったんでしょうね。
 自分がヤマハにいてももう仕事はない、貢献できることはない、と思ったんでしょうね。もう一回新しいチャレンジをしてみたい、と。ヤマハの立場からすれば、辞めるのならできれば二輪を完全に辞めてほしかった、というのが正直な気持ちです。でも、本人はあと3年くらいやりたい、といっているので、MotoGPを終えたらひょっとしたらWSBに行く可能性もあるのではないかと思います」
 今回の移籍話が持ち上がる以前には、ヤマハでライダー生活を終えると公言してはばからなかったロッシだが、北川によると、既に2005年の年末にこのような結末を迎える前兆はあったのだという。
 「一時期、バレンティーノがF1にコンバートするという噂が持ち上がって、かなり大きな話題になりましたよね。その後、彼は実際にテストも実施しました。我々は早く“ポストバレンティーノ”を見つけ出して育成しなければならない、という現実を認識せざるをえなかった。そこで浮かび上がってきたのが、ホルヘだったんです。
 ホルヘと契約するに際しては、ストーナー選手がMotoGPに来て2年目にチャンピオンをとった例などを挙げて、“よそのメーカーにいかれてしまうよりは、ウチに来てもらったほうがいいじゃないか”とバレンティーノに説明したことを覚えています。“バイクが同じなら、あなたのほうが上だろう?”と話すと、彼も、それはまあそうだなあ、と納得していたのですが、ホルヘの成長は我々の想像を遙かに凌駕していた。そして、それが最終的にバレンティーノを脅かすことにもなってしまった。これは予想外だけれどもうれしい誤算でもあって、そういう意味では非常に複雑な心境です」
 一方、中島は、今回の移籍はMotoGP全体の盛り上がりを彼自身が視野に入れた上での行動という側面もあるのではないか、と見ている。
 「MotoGPの世界は、ある意味では間違いなく彼を中心に回っています。MotoGPをドラマと考えたときの主人公は、誰が見てもバレンティーノ。そのドラマで、そろそろ違うシーンを作らなければならない、と考えたんじゃないでしょうか。ムジェロで転倒して骨折したときに、ヤマハの中で物語を作っていく作業は終わった、と自覚したんだと思う。今度はメイドインイタリーでいくわけだから、きっと面白い物語になるでしょう。それだけのことを出来る能力が彼にはあるし、これでさらに来年のMotoGPが盛り上がるだろうとも思います。ただ、正直なことを言えば、彼だけは敵に回したくなかった」
 この中島の指摘には、北川も同意する。
 「傲岸不遜に聞こえるかもしれないけれども、一レースファンとして考えた場合に、バレンティーノの移籍は健全な状況を作ることになると思います。来年もヤマハのライダー二人がトップ争いをするとなると、ファンの方々はきっと食傷気味に感じてしまうでしょう。レースに対する関心や興味がなくなってしまったら参戦している我々には何の意味もない。レース自体の健全な発展を考えると、彼の決断にはむしろ感謝すべきだろうなという気もします。MotoGPがバレンティーノに依存しているという事実を、今さらのように感じますね」

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7年間の回顧、そして来年へ向けた覚悟と抱負

 2004年からヤマハで過ごした7年間を振り返り、バレンティーノ・ロッシは2004年開幕戦の南アフリカGPをベストレースに挙げている。古沢、北川、中島の三人にとっても、それは同様だ。アフリカ大陸最南端のウェルコムサーキットで、ヤマハ移籍後の初レースに優勝を遂げた衝撃的な一戦は忘れることができない、と三人とも口を揃える。
 「やはり、最初の南アフリカですね。あのときは失神した者もいたし、吐きそうになっているスタッフもいた(笑)。おそらく誰にとっても南アが一番印象が強かったんじゃないかな」(古沢)
 「レースということでは、あれ以上のものはたぶんない。いくつか歴史に残る名勝負はあったけれども、我々にとってはあのレースが一番」(北川)
 「失神はしませんでしたけど(笑)、レースが終わった瞬間はほとんど倒れそうになりました。あと、ストーナー選手との激しいバトルを制した2008年のラグナセカと、ホルヘを最終ラップの最終コーナーでオーバーテイクした去年のバルセロナでも、バレンティーノそのもの、というレースを見せてもらった。“こいつだけは敵に回したくない……”とつくづく思ったのがその二つのレースです。今年も、脚と肩にけがを抱えた状態で、終盤のセパンで勝っていますからね。ペドロサ選手の欠場はあったにせよ、もしあれでバレンティーノの体調が完璧だったら、と考えると恐ろしいものがあります」
 そのバレンティーノ・ロッシがヤマハの眼前に立ちふさがるであろう2011年シーズンは、「四強」たちの繰り広げる争いが今年以上に熾烈になると予測される。ディフェンディングチャンピオンであるヤマハは、選手、チーム、マシン開発と万全の体制を整えて彼らを迎え撃つ覚悟だ。
 「できればバレンティーノは時々勝つ以外は混乱が続くような状態で、あとは我々が勝つようにシーズンが進むとベストでしょうね(笑)」
 古沢はそう冗談めかして言った後に、真剣な表情で来季の目標を簡潔に述べた。
 「三冠をもう一年続ける、ということじゃないでしょうか」
 この言葉を北川が受ける。
 「四連覇は未経験ですからね。ケニー・ロバーツも3年。ウェイン・レイニーも3年連続。ここから先は未踏の領域です。
 バレンティーノの話をするならば、7年間の感謝を込めて完膚無きまでに叩きのめしたい(笑)。それが結果的に、彼に対して感謝の意を表すことになるのだと思います」
 その通りです、と中島。
 「バレンティーノがYZR-M1を可愛がって、あそこまでのオートバイにしてくれた。そのM1で相手を負かすのが、我々から彼への恩返しです。そしてもう一つ、ヤマハのMotoGPを常勝軍団にするために古沢が2004年から改革に着手し、ようやくその片鱗が掴めるところまで進んできました。勝つことの難しさを痛感する日々ですが、どこまでいけるのかな。でも、いくしかないですね。三冠はとりたいけれども、とにかく第一の目標はチャンピオンの死守。厳しいことはもちろん、覚悟の上です」


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