1977年のOW35から1981年のOW53までの5年間、6代にわたるヤマハファクトリーレーサー「YZR500」のエンジンは、ピストンバルブ吸気を採用しシリンダーを並列に置いた4気筒を踏襲していた。一方で新たな技術的なトライとして、1981年のOW54と1982年のOW60では、ロータリーディスクバルブ式吸気を採用した2軸クランク方式の4気筒を開発。この技術の延長線上に登場させたのが、2ストローク500ccマシンとしてはGP史上初のV型4気筒エンジンを搭載した1982年のOW61だった。さらに1983年には、V型4気筒の2代目モデルとしてOW69がデビュー。アルミ製デルタボックスフレームやフロントの17インチタイヤを初めて採用するなど、GPレーサーの進化を大きく発展させることになった。

翌1984年、アメリカを代表するデイトナ200マイルレースで、OW69に乗るケニー・ロバーツが新記録で勝利。ヤマハに大会13連覇をもたらした。そしてこの年の世界選手権500ccクラスでも、ケニーの愛弟子であるエディ・ローソンが見事にライダーチャンピオンシップを獲得する。こうして「YZR500」は1985年ごろになると基本スタイルをほぼ確立し、以降は、年々急速に進む周辺技術の成果を最大限に導入しながら、ひたすら熟成を続けていった。

世界GP500ccクラスチャンピオン、E・ローソン選手(1988年)

OW98がデビューした1988年は、実りの大きな年となった。第7戦オーストリアGPの500ccクラスでヤマハ勢が1-2-3フィニッシュを遂げるなど、3年連続となるメーカーチャンピオンを獲得。ローソンも3度目の世界選手権タイトル獲得を達成した。また1989年に登場したOWA8は、走行中のマシン状態をセンシングするデータレコーディングシステムを本格投入。1990年のOWC1にて、通算6度目のメーカーチャンピオンを獲得した。

全日本ロードレース3連覇を達成した平忠彦選手

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